今日は810日。911日のTOEICまであと1カ月になった。


今年は1月、5月、6月、7月と4回も受けている。1年に4回も受けたのは初めてだ。


ていうか、それ以前は1988年、2004年、2007年に1回づつしか受けたこと無いし、TOEICの為だけに特別に勉強して受けたのは5月の試験が初めてだ。5・6・7月と、それなりに毎回いろいろ研究しながら受けたつもりだけど、実は昔のようにTOEICの勉強をしないで受けた時の方がスコアがいいという皮肉な結果に現在のところなってる。



簡単に考えられる理由は、TOEICの難化と自分の老化(笑)。ただし人生経験を積んだ分、要領が良くなったりメンタル面でタフになったりするプラスの要素もあるだろうから、それらと老化を相殺すると、やはりTOEIC難化していると言っても異論を唱える人はあまりいないだろう。



さて明日から1カ月間、余剰時間をTOEICの為だけに費やすかと言うと、ちょっと今回は怪しい感じがする。実は最近、TOEIC満点を目指すよりもモチベーションが高くなる事があって、それが頭の中にちらついているのだ。


せっかく3カ月間、初めてTOEIC対策なる勉強をしたので少し勿体無い気もするが、TOEICはいつでも受けられるけど、チャンスは二度と来ないかもしれないので、9月のTOEICは微調整をするだけで、実力維持を目標に受けようと思う。




デビューライブと言っても僕以外のメンバーは館山市の中学時代からやってるので、僕のロックバンドとしてのデビューってこと。



前回書いたように、ピアノを習ってなかった僕は、唯一キーボードソロがある「Still I'm Sad」のたかが1分弱のソロに四苦八苦したおかげで、他の曲は適当にコードを押さえてればいいってことになった(他の曲はシンプルなロックなので、どのみちキーボードは目立たない曲)。何てテキトーなんだろう(笑)。



そしていよいよクリスマスコンサート本番の日がやってきた。


僕らの前のバンドがいくつあったか憶えてないが、全て終わりいよいよトリのNOISEの出番だ。会場となる館山市民センターは、小学生の頃、宇崎竜童率いる「ダウンタウン・ブギウギバンド」や、 人気絶頂だった野口五郎、そして五木ひろし(笑)などの日本の芸能界のビッグネームのコンサートを見に行ったこともある、2000人収容の田舎では大ホールだった(去年解体)。


もちろん満員どころかせいぜい100200人ぐらいしか埋まってなかっただろうけど、高1の僕のロックバンドデビューには充分な人数だった。他のメンバーも中学の頃からやってるので、全然緊張してなかったような記憶がある。



いよいよNOISEの演奏が始まった。オープニングは、マイケルシェンカー・グループの「Armed and Ready」。アップテンポな曲に乗せてTOSHIが客(主に同級生や近隣の高校生)を煽る。TOSHIはこの頃から客を煽るセンスはあったような気がする。さすがに「暴れん坊将軍で行くぞ、オラー!」とは言ってなかったけど(笑)。


そして子供ばんど(笑)の「Summertime Blues」ともう一曲何かあったかも。曲の合間には当時から既にそれぞれのメンバーに向けて、「ヨシキー!」「出山さーん(Toshiのこと)「Kさーん(僕と一緒に辞めた初代ギタリスト)」などと黄色い声が飛び交っていて驚いた。僕はこのライブがデビューで、もちろんメディアで紹介されてるわけでもないので、黄色い声が無かったのがチト悔しかったが、演奏中、何人か女の子がこちらに向かってフラッシュを焚いてくれたので満足した(何て単純:笑)。



あっと言う間に、ラストナンバーのレインボーの「Still I'm sad」が始まった。あの日演奏した曲の中でも、一番変化に富んで見せ場が多い曲なので、メンバー全員がノリまくっていた。そして曲の中盤に、他のパートが静かになって僕のキーボードソロが始まった。ミスると本当にカッコ悪い所なんで、それこそ何百回も練習した成果が出て、無事ミスらずにソロを終えて、最後のコーラス部分を終えると、YOSHIKIがシンバルにドラムスティックを当てて次々と客席に投げこむという(レインボーのドラマー、コージー・パウエルの得意技?)派手な演出でNOISEの出番は終わった。



人生最初のロックバンドでYOSHIKITOSHIと同じステージに立てたというのは、今になってみればとてつもなくラッキーな経験だったが、あの頃の僕はNOISEのキーボーディストという事に満足していたわけではなかった(笑)。


続く








さて、前回はXの前身バンド「NOISE」で、柔道のクラスとは別人のように演奏するYOSHIKIとTOSHIを見て彼らに対する見方が変わったと言うことを書いたが、今こうして振り返ってみても彼らの演奏にはあの頃から独特のオーラがあったような気がする。「I Surrender」の他にも「Kill the King」「All Night Long」などの高校1年生にしてはかなり難易度の高いレインボーの曲を、荒削りではあったが、余裕しゃくしゃくで、アクションまで加えて演奏していくので、先輩達のバンドは人気・実力ともに完全に食われていた。



さて一方、体育館での「NOISE」の派手な演奏の後だか前だかに、実は僕も高一の文化祭で演奏していた。中学3年間はビートルズ少年だった僕は、中学の時の野球部の先輩のクラスでのど自慢(笑)をやるから出てくれと頼まれたので、二つ返事でOKして、アコースティックギターを一本抱えてステージに立った。当然ながら?お得意のビートルズの名曲「ミッシェル」を歌い、先輩が贔屓してくれたかどうか知らないが、準優勝という微妙なタイトルをもらった。その時どっかで見ていてくれたのが当時の「NOISE」のベーシストだったМ君で、彼が文化祭の後、おそらく夏休み前ぐらいに「実はNOISEのキーボードが辞めることになったんだけど、君やらない?」って声をかけて来た。その後のやりとりは全く憶えていないが、そんなに悩んだ記憶も無いので、恐らくこれもまた二つ返事でOKしたのだろう(笑)。



今だから笑い話になるが、実は僕はピアノのレッスンなど一度も受けたことが無かったのである。ただ、小さい頃からなぜか家にピアノはあったので、甲子園で勝ち進んだ学校の校歌を人差し指で弾いたり、ビートルズのLET IT BEを適当にマネたりしたことはあった。昔から根拠のない自信家だった僕は、家のピアノで練習すれば何とかなるでしょうと思っていたのだが、夏休みに炎天下でテニス部の練習をし過ぎて急性腎炎で一週間入院してしまい、退院して家に帰って来た時に、なぜか我が家のピアノが消えていた(笑)。アセって母に聞いたら、近所の同級生の女の子がピアノを家で練習したいって前から言ってたから貸したとのこと。そこで仕方なくクラスメートで電子オルガンを持っている奴に頼み込んで借りてきて(何という厚かましさ(笑))、我が家に運び込んで練習を始めた。



当時館山市では「松田屋」というヤマハ楽器店が定期的に市内のアマチュアバンドを集めてライブを企画しており、NOISEは館山市民センターでのクリスマス・コンサートのトリで演奏することになった。演奏予定曲は確か3曲ぐらい。マイケルシェンカー・グループの「Armed and Ready」、なぜか子供ばんど(笑)の「Summertime Blues」、そしてレインボーの「Still I'm Sad」だったと思う。この3曲の中でキーボードソロがあるのは「Still I'm Sad」。最初カセットテープを渡されて聞いた時は、途中で3~5分ぐらい延々と続くキーボードソロに、さすがにビビって「こんなん出来ないかも」って言ったら、YOSHIKIが全てのパートが載ってる楽譜を貸してくれて、キーボードソロはショートバージョンでいいよって事になった。とは言うものの、1分近くのキーボードソロはあるし、ソロに入る直前はリードギターの早弾きと同じ速さでハモるところがあり、ピアノを習ってない僕的には結構難関だった。でもライブまであと2~3カ月、何とか弾けるようにならなきゃと、毎日学校から帰ったらオルガンの前に座って延々と練習した結果、何とか様になって来た。


続く