スペインから追われたユダヤ人が逃げてきたオランダは栄えるようになり、商人たちはイギリスに続いて東インド会社を設立します(世界初の株式会社)。
もちろんユダヤ資本家は東インド会社の大株主です。
それまでは大西洋から南アメリカ先端を回って太平洋を渡り、インドに行く航路を目指していました。
しかしこの航路はとても長く、嵐などのリスクが大きいためもっと短絡的な航路の開拓を目指すようになります。
(実際太平洋を渡って来た商船団が嵐や飢えで漂流の末日本に流れ着いたのがリーフデ号で、徳川家康に救済されます。)
最初は北極海を突っ切ることを考え、ヘンリーハドソンは最初モスクワ経由で北極海を目指しますが凍結でそれ以上に進めません。
次にトライしたのが北アメリカ航路ですが、結局は袋小路となり失敗します。ちなみにハドソン湾やハドソン川はこのヘンリーハドソンの名を取ったものです。
さてハドソン川の入り口あるのがマンハッタン島です(先住民のマナハッタ族が訛ってマンハッタン)。
オランダ政府はマンハッタン島に植民地を作ることにし、島の先端にニューアムステルダムという村を作ります(新しいアムステルダム)。
もちろん多くのユダヤ人も住み着きました。
オランダ人は先住民にガラス玉などのガラクタを差し出し、この書類にサインをしろと迫ります。これは島の売買契約書ですが、土地所有という概念も契約という概念もない先住民は言われるままサインをしてしまいますが、オランダ人はこれをたてに先住民の立ち退きを迫ります。
自分たちの価値観を押し付け物事を強行に進めようとするのは昔も今も変わりませんねえ。しかもだまし討ちにしていることなど百も承知の上でやっているのでしょう。
当然オランダ人との間で戦争が起こります。
オランダ側は材木を組んで防御壁を作り抵抗しますが、本国からの援軍を受け攻勢を進め、防護壁も撤去します。これがいわゆるウォールストリートと呼ばれるようになりました。
撤去した材木を売買するために卸問屋が形成され、後のニューヨーク株式市場となります。
さてその後イギリスも北米大陸に進出してきて植民地を作り、オランダと戦争を始めます(英蘭戦争)。
その結果ニューアムステルダムはイギリスに占領され、イギリス軍隊を率いたヨーク公の名前をとってニューヨーク(新しいヨーク)と変えました。
ただ商業金融の街として発展していた街はそのまま残したため、現在に至るまでアメリカの商業金融の一大勢力を築く元となります。
何?ユダヤ人迫害の話が出てこないじゃないかって?
この初期のニューアムステルダム経済には多くのユダヤ人が関与しています。もちろんそれはスペインを追われてオランダに逃げ込んだユダヤ人です。オランダでもいつ迫害を受けるかわからないユダヤ人は新天地アメリカを目指したものと思われます。
ちなみにコロンブスのアメリカ大陸発見には多くのユダヤ人が絡んでいます。
コロンブスの探検に最初乗り気でなかったスペインのイザベル女王を説得したのもユダヤ人だし、資金を提供したのもユダヤ人です。コロンブスのまわりには多くのユダヤ人が取り囲んでいたそうです。
なぜコロンブスの探検に多くのユダヤ人が絡んでいたか。それは新しい逃避行先を探すためだと言われています。