東野圭吾のさまよう刃を読んだ。ミステリーものかなと最初思ったが、読み進んでいくうちに、少年法といった未成年の犯罪に対する現行制度の限界あるいは問題を、読者に投げかけ考えさせるストーリーと理解した。
自分にとって、ラストは衝撃だった。とても残念な気持ちにもなった。一番悲しい結末にしてくれたなとも思った。ただ、一方、悪い気持ちにはならなかった。
決して答えが出ないように思える少年犯罪のテーマ、それに対する一つの答えが、この物語には描かれているように感じた。
和歌子は長嶺に当事者として向き合い、手間を惜しまず協力し、説得する。それに遂に心打たれ、長嶺は志を捨て自首を決意するも、密告者からもらったチャンスを活かす行動に出てしまう。それは結局、誰も望まないラストに結び付くものだった。
長嶺のそれまでとった行動は理解できるし、作中否定されていない。衝動的に犯してしまった殺人でさえ、執行猶予が付くだろうと説明がなされている。しかし、計画的に犯す殺人はそうではない。その感情は十二分に理解できるが、実行するとなると話が違ってくる。
遺族の無念さを取り除くには、第三者が本当にこの問題に向き合う姿勢が絶対的に必要であることを、和歌子の存在が教えてくれる。逆に、そういった努力は、決して無駄ではないと言ってくれているように思える。
長嶺が唯一犯してしまった間違いは、和歌子の説得に応じた気持ちを最後裏切ってしまったことではないだろうか。それの報いは長嶺の死として描かれるが、これが少年への殺人行為であったとしても、その報いの重さは寧ろそれ以上ではないか(和歌子の声が届いたたため目的を果たせなかったその結末は、皮肉なものではないのではにか)。もし、あのとき上野に向かわなければ、明るい未来が用意されていたに違いない。
現実の生活とはなかなか直接結び付かないテーマだが、少年犯罪のニュースを考えるとき、この本のことを思い出すだろう。また、和歌子の真面目さを見習いたい。
