Ronnie Scott’sでは、僕に限らず、周囲にも久しぶりの再会の喜びを分かち合う人々が数多くいた。この先どうなるかわからないが、少なくとも2年間我々の時計は止まり、時間の経過に関する感覚は、これまでと大きく異なっている。特に家族を除き、人と接する機会が大幅に減少したことにより、何もしない内に時間だけが過ぎて行き、あっという間にニ年経ったという感覚を誰もが持っているのではないだろうか。

 

日本においては、昨年の秋、不思議なことに感染者数が急降下、久しぶりに友人と再会することも多少はあり、その時にも感じたことだが、ロンドンに来て以来、2年ぶりに会う人々と再会を喜ぶも、久しぶりという感じは、ほぼしないことに気が付いた。普通であれば、2年も会っていなければ、最初は懐かしさを強く感じるものだが、そのように感じなかったのは、おそらく自分だけではなく、全ての人にとっての時間が同じように止まってしまったからなのだろう。その意味では時間が止まったというより、地球上の人々から、この間の時間がすっぽりなくなってしまったということなのかもしれない。

 

コロナは戦争とは異なる形で、時間の喪失という犠牲を生む災いといえる。人間の一生という観点で考えると、生きる年月が減ってしまったような感じだろうか。となれば、リスクを恐れて時間を失ってしまってはいけないと思えてくる。

 

いきなりシリアスな方向に話を展開させてしまったので、ロンドン二日目のことも書き記しておくことにする。

 

そんなことを考えつつ、迎えた日曜日。この日はliveの予定もなく、人混みを避けたかったので、人影がまばらなSOHOで美味しい英国伝統のフルブレックファストを食べてから、現代美術を鑑賞するため毎回訪れるTate Modernへと足を運ぶ。

 

 

英国の美術館ゆえ、常設展への入場は無料だが、入場者を特定また人数を管理するためか、サイトにアクセスしてQRコードを取得、それを入口の係員がリーダーで読んでもらい入場という流れ。館内は、マスク着用が指示されていることもあり、着用率は9割を超え、見渡せばマスク姿ばかりである。

 

 

 

ひと通り展示を見てから、テムズ川沿いを散歩。温かい日が続くロンドン、ウォーキングラリー的なイベントに参加している人々もいたりと平和な日曜日。英国全土でのオミクロン感染者が、毎日9万人ほど報告されている感じはない。次に訪れたのはグリーンパークとハイドパーク。ショッピングエリアの人出は、以前より随分少ないイメージだが、公園には多くの人々が集まっているという印象。東京と違って、大きな公園が町の中にあるのは、何とも羨ましい。

 

 

ヨーロッパでは、日本人の国民性と違い、個人の自由が尊重され、それぞれの判断に委ねるという考えが強いため、自己責任で動く傾向が強い。ことコロナに関しては、それがマイナスに作用し、結果感染拡大を繰り返すいった側面もあるが、前述した時間の喪失という観点でいえば、ロックダウンがない今、その喪失を止めることも、自らの判断次第で可能ということになる。

 

やはり、更なる時間の喪失は何としても避けたと思うので、まずは一日も早くブースター接種を受け、自由な生き方を手にしたい、そして新たな変異株が登場しないようにと、切に願うばかり。

 

以上 第四章「時の喪失」

 

次章につづく