正しいフェイクがあるのか?真実は騙すのか?

 

ひとは、信じたいものを信じていまう。

信じたくないものは信じようとしない。

誰も見たくないものを、真実とは思いたくない。

そしてフェイク(でっち上げ、捏造)は、誰かにとっては都合のよいものだ。

 騙されて心地よいものも確かにある。

「群衆」というのはそういうものだろう。私もそのひとりなのだろう。

 

 

 「国葬」を見たあとに、やっぱりジワジワと「粛清裁判」が見たくなってしまった。前もって公式ガイドブックは購入してあったのでざっと読んでみた。新聞の切り抜き書評も映画館に貼り出されてあったので、写メで撮って読んだりした。それでも「粛清裁判」が何者なのかよくわからなかった。解説文がわかりにくかったのではなく、そんな事があり得るのか!という気持ちがして信じられなかったのである。映画を見終わってまだ不審に思えて仕方がなかったが、もう一度ガイドブックの「粛清裁判」の部分と新聞記事を読んでよくわかった。

 要するにスターリンという独裁者の国民支配の為の映画なのだから、都合のよい部分だけが実写で、裁判官や被告は俳優の演技なのかと思い込んでいたが、演技しているのはホンモノの裁判官や被告だった。ホンモノの被告が、フランスと密通しソビエト連邦を転覆させようとスパイ行為などをしたと告白する「産業党」に所属する大学教授やテクノクラートたちで、法廷で罪を自白し裁判官から死刑を宣告される。

 しかし実は、本人が強要(脅迫)されて演技をしているのである。演技していないのは、裁判所内を埋めて傍聴し判決に喝采する観衆や、裏切り者を処刑しろと叫んでいる裁判所外のデモ隊だけなのだろう。

 ロズニツァ監督への日経新聞のインタビュー記事によると、「裁判は1年をかけて準備され、陳述もシナリオが出来ていた。協力を拒んだ被疑者は公開裁判無しに処刑された。」 被告8人が関与したとされる「産業党」という反政府組織自体もフェイクであったと判明している。被告たちのなかには恩赦された者もいるが裁判官たちの中にさえ後に処刑された者もいる、と公式ガイドブックにある。このような「大粛清」は他にも行われ、いわゆるスターリンの大粛清では78万人が処刑されたとフルシチョフの時代に報告されているそうである(ウィキペディアより)。

 私にとってのスターリンのイメージは、昔から日本の左翼もソビエト共産党も自民党も否定する稀代の独裁者である。しかし、レーニンの後継者でもあり私にはこれまでよくわからなかった。しかし近年のロシアではスターリンを再評価するする向きもあるという。もちろんこの映画も、重ねて言うがスターリンを再評価しようという映画ではない。

 ところで先日、朝日新聞にちょうど10年前に「ジャスミン革命」と呼ばれたチュニジアの現状が紹介された。チュニジアは、強権政治で圧政に苦しんだ民衆が起ち上がり民主化運動「アラブの春」の唯一の成功例と言われていた。しかし、近年では経済状況も改善せず生活苦から密航者も多く、他国でも政治の腐敗や内戦が起きていると報道されている。民主主義体制が必ずしも成功裏に終わるとは言えない例なのかもしれない。

 

 またコロナ禍中、世界を揺るがすもう一つの出来事「米国大統領選挙」が行われ、現職のトランプ大統領が敗北してバイデン次期大統領の就任が真近い。トランプ大統領はいわゆる民主主義やリベラリズムに反する言動が多く、アメリカの知人で支持する人に会ったことがないが、不思議に期待したくなる所があった。今にして思うと稀代の劇場型政治家、悪く言えば演技者であったのかもしれない。典型的なのが北朝鮮との友好関係だった。どのように理解したらいいのか私には不可解であったが、正しいことも間違ったことも彼自身が大衆の心を演じるフェイクだったのかもしれない。北朝鮮の大衆の人たちから見ると、われわれ西側の政治や社会情勢もフェイクに見えているのかもしれない。

 コロナと自粛が始まってから9ヶ月、時間が止まってしまっているかのようである。その間に米国大統領選挙がコロナと人心を二分したという面では、何か共通点があったような気がしてならない。今はツイッターなどを通じて世界的にも信じられないようなフェイクニュースが流されて、不確定性的な情報に全世界の群衆が一斉に振り回される時代なのかもしれない。                          (12/25一部修整)

 

(※2020年6月「東京新聞」より 多数の同様な画像があり、もちろんフェイク画像ではあり得ない。)

 

ドキュメンタリー映画『群衆:国葬』を観てー生と死ー

OBSERVING A FACES IN THE CROWD

 

 「生」の方が「死」よりも恐い 

  「死」はモノそのものだ

 悪いことはしない

 「死」んだことのある人はいない

 「生」きている人しかこの世に存在していない

 だから「死」にたいという人は正常だ

 「生」の方が「死」よりも恐い

 「忘れていく」ことでさらに恐い

 私は戦争に行ったことはない

 しかしアウシュビッツに行ったら記念写真を撮るだろう

 

 ある映画を観た後で、こんな詩を書いてみた。詩など書くのは何十年ぶりだろう。タイトルにある、ウクライナの映画監督セルゲイ・ロズニツァ氏が2019年に製作したドキュメンタリーフィルムである。レーニンの後継者、ソビエト連邦の最高指導者として29年間君臨したスターリンが亡くなったのは1953年である。その死を悼む国民の顔・顔・顔が映画に写し出されていく。しかもまた彼は78万人もの政敵を処刑した人物という顔も持っていた。今コロナウイルスのために世界中で160万人が亡くなったと言われている。しかし戦争や内乱では数百万・千万の単位で人は亡くなってきた。近年ではまたスターリンを再評価するひともいると言う。

(もちろんこの映画は、スターリンを再評価する映画ではない。)

 題名からしてもこんなに暗い映画は無い。ドキュメンタリーフィルムというと東京オリンピックの記録映画のような映画を念頭にしてしまうが、「現代ドキュメンタリーフィルム」は全く違う。なにしろ解説が全く無い!ただ映像そのものがロングショットで次々に映し出されていく。いくつかの新聞の映画評欄で取り上げれているようだが『群衆』を観に行くならば、まず窓口で公式ガイドブック『群衆/セルゲイ・ロズニツァ』(1,800円だが)を購入することを薦めたい。もちろん、あらかじめ解説を読むことは製作者側の意図からは必ずしも推奨されることでないかもしれない。しかし、映画を観てからでもいい。ガイドブックを読むと、監督本人や映画関係者による文章が書いてある。すると「ジワジワ」と映画を観てよかったと思えてくる。

 

「公式ガイドブック」より

UNTITLED

 

瞑想に入るように映画の中に入っていった。

歴史の破れ目を直視するには静かな心が必要だ。

(中略)

想像を超えるような残虐な史実を聞かされると人は戸惑い、おどけてみせるか、

深刻な顔をしながらまるでそれが演技であるかのような不快感に襲われる。

この映画はわたしたちを反応することの忙しさから解放してくれる。

過去に近づこうとする度に突き返される。

無理に理解しようとしないで静かに見つめているのがいいのかもしれない。

(後略)

※ガイドブック末尾の多和田葉子氏コメントより抜粋引用

 

 

 令和元年からブログを書き始めたが、コロナ禍が日常となって以降、まるで時間が止まってしまったかのような気がする。テレビ、新聞、ネットも令和2年の4月以降は、こぞって感染者数の上がり下がりを報道するだけになってしまった。アメリカ大統領選挙という大きな出来事はあったが、ブログを書こうという気力も萎縮してしまっているような気がする。

 令和2年師走の先週になってからだが、たまたま、この映画の紹介記事が眼についた。記事の中にあった「現代ドキュメンタリーフィルム」という言葉に反応したのだと思う。群衆となったロシア人の顔顔顔がこちらを見つめているポスターが異様だった。現代ドキュメンタリーフィルムとしては、このブログに書いた「ニューヨーク公共図書館:エクスリブリス」に次ぐ僕の観た2作目の映画となる。

 「国葬」を見た感想は、「現代ドキュメンタリーフィルム」という、文化遺産とも歴史遺産ともアーカイヴ映画とも言えない、人を沈黙させる映画であった。

 

 ※(注)この映画は三部作で、時系列的には「アウステルリッツ」(2016)、「粛清裁判」(2018)、「国葬」(2019)です。私はまだ「国葬」しか見ていません。多謝。

  

 「みな様 息が詰まりそうです。」そんな内容のメールがハイキング仲間から届いた。もちろんコロナウイルスに感染したわけではない。5月立夏ゴールデンウィーク、登山もハイキングも海辺歩きもできない、ジョギングはマスクをしないとできない・・・というような言葉を発すると、白眼視されそうな空気が日本中を流れている。「Stay at Home!!外出することは、自分もそして他人の生命も脅かすことになります・・・」

 

 

  日本では、3月の下旬から急激にコロナ感染者数が増えた。海外特に欧米の主要国でパンデミックと医療崩壊が起き、大量の死者が出た。テレビやインターネットで、教会や墓地に並べられた何百?もの棺の映像が流され、現実のウイルスと共に、「恐怖」が東京を始めとする各都市を包みこんでいった。

  この2ヶ月で、私も毎日夕方になると、「感染爆発」していないか、「ピークダウン」してくれていないか、東京都などが発表する感染者数や死者数の棒グラフや数字をインターネットでチェックして一喜一憂する習慣が身についてしまった。

 しかし数字は正確なものだとばかり思っていたのだが、感染率にしても結局は基礎的なパラメーターが不確かだったり、「基本再生産数」「実効再生産数」などによる予測なども、定数の根拠はアバウトのようだった。同じ専門家と称する人からも疑義が出たりして、確定値はほとんど無いのがわかった。情報を追い続けていると、デマやフェイクも横行しインフォデミックという言葉を聞いて、東日本大震災のときの原発事故を思い出した。あの時は、不安にかられて体温計に似た形の線量計を購入し近くの場所の放射線量を測ってみたりした。お互いの意見の毀誉褒貶が多く、新型コロナについての数字や情報を追うのは止めようと思った。テレビやネットも余り見ないようにしようと思った。

 

 

 ・・・だったのだが、つい数字を見てしまう癖が取れず、先日新聞記事を読んでいて、今まで考えていなかった観点があるのに気づいた。「年齢」である。ネットで公的機関のグラフを見てみると、上記のような結果である。記事によると、新型コロナによる感染者中の死者の半数以上を80歳以上が占める。さらに60歳70歳台を加えると死者数は92%だそうである。逆に感染者数は20〜50歳台の若者?が圧倒的に多い。検査数が増え母数が増えてもこの割合はあまり変らないだろう。かなり極端な数値のグラフである。20歳以下の死者は極めて少ない。

 私は、当初から「感染者数」でなく、「死者数」を絶対的な基準だと思ってきたが、「感染者」も「死者」に変じなければ「生還者」である。そして若者も老人も等しく一人に勘定してきたが、疑問が湧いてきた。先日、NHKの特集番組で「自粛」により大学生の5人に一人が授業料を払えず退学を考えていること、卒業間際の4年生が内定を取り消され卒業もできず人生を大きく狂わされようとしている姿を見て、涙が出た。66歳の私の余命と、現在22歳の若者の将来とその中に溢れる人生の意味の長さと大きさを、等価であるとは言えない気がしてきた。

 口さがない人からこの「自粛」のご時世に街をブラブラ外出しているのは老人ばかりだ、という声を聞く。その通りである。しかし高齢の人間にとっては「死」は友人のようにいつも隣にあって恐いとだけ言っていられない。むしろ都市封鎖も辞さず「Stay at Home」も字義どおり厳しく順守しコロナを死滅させるべきだとするのは若者に多い印象がある。「死」は若者にとって遠い先の出来事なのであろう。

 そんなことを考えていたら、ある対策が頭に浮かんだ。た欧米のような本当の「感染爆発」が(まだ起きていない?)日本の場合には、60過ぎの人間には厳しい「自粛規制」を行って死亡率を下げ、50歳以下20歳以上の若者?には通常どおり仕事も遊びも行って、「集団免疫」と「経済貢献」に寄与してもらう。もちろん60歳以上には「抗体検査」をすべて行い、抗体がある人の自粛は解除する。先のブログで妙案はまったく浮かばない、と書いたが、この特異な性格を持つ新型ウイルスへの対策は、年齢による「歩留まり」戦略が最も有効ではなかろうか??日本においては、致死率から言って新型コロナは強毒性とは言えないのだから。

 ・・・と考えていたら、やはり似た発想の研究者もいるもので、下記のような参考文献が新聞や週刊誌で目についた。たぶんマイナーな部類に属する意見であると思うが、私には感ずる所が多かった。参考まで掲げておきたい。

 

➀『朝日新聞 5/13 朝刊 アムノン・シャシュア(ヘブライ大教授)「若者は外へ 高齢者は家に:重症化のリスクで分類 病床確保して対応」 

②『週刊現代』5/16号  p41-43   木村盛世(元厚労相技官、医師)「緊急事態宣言の延長は間違い。集団免疫が正解」 

③JBpress 2020.5.11 木村もとよ 『日本が社会を壊さずにコロナを終息させる唯一の道』 ※ネット情報

(注)もちろん上記の考え方は、致死率と感染率が現在の日本と異なって非常に高い場合には、まず政策的にも厳しい隔離政策がまず採られるのを前提としているのだと思う。

 

 

五月晴れて マスクと消毒忘れずに 抗体検査 早く受けたし 

 

 

 

 

 定年生活が始まって1年があっという間に過ぎ去った。昨年は、春にマンションをリフォーム、夏に中国華南に旅行、帰国してから怠惰になってしまい、ブログから遠ざかってしまっていた。

 年明けにブログを再開しようかと思っていたが、12月下旬に中国武漢で新型コロナ肺炎の発症の火の手が上がり、1月には武漢が都市封鎖、昨年夏に世話になった中国浙江省に、日本国内に残っていたマスクを購入して送ったりしてまだ対岸の火事だった。1月に日本と韓国にも感染者が発生したが、まだ悠長であった。2月に3,700人を乗せた豪華クルーズ客船で集団感染が発生すると、一挙に、新型コロナウイルス問題の火の手が日本でも上がった。

 その後は息つく間もなく事態が進展した。火の手は欧米に及び、イタリアやスペインそしてアメリカで「感染爆発」が起き、日本でも感染者がジワジワと増加し、「感染爆発」「都市封鎖」「医療崩壊」が政府からもマスコミからも声高に叫ばれ、現在の東京は「緊急事態宣言」(非常事態宣言とほぼ同義らしい)が発令され、銀座も新宿も渋谷も人影もまばらな状態で人々は、緩い戒厳令下のように「不要不急の外出」はしないよう東京都知事から「要請」されている。ただし欧米のように、道路封鎖や外出する際に許可証が必要だったり罰金が取られたりはしないが、現在の新型コロナ感染・死亡状況は、下記の通りである。

NHK特設サイト新型コロナウイルスより https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/

 

 ちなみに上図で、アメリカは感染者524,524名死者20,444名、イタリア感染者152,271名死者19,470名、スペイン感染者161,852名死者16,353名、韓国感染者10,527名死者217名である。世界全体では死者108,432名である。欧米のような厳しい都市封鎖等を行わず感染爆発の一歩手前と言われる日本の対策は緩い、遅い、後手後手だ、と言われ批判されている。と言ってより強い都市封鎖、規制に踏み切ればさらなる経済破綻が見えており、日本全体が暗い不安に包まれている。

 

 悲しいことに、この最大の事態について何の知恵も湧いてこない。今は戦争状態に近く、これから各国ですでに起きているさらなる「感染爆発」に日本も備えなければいけない、と言う人も多い。私は66歳であるが戦争は体験したことがない。新型コロナウイルスについては、現在その只中にいて、昔話のような経験と若い年代の人とは異なる感覚でしか書けないが、こんなことを思う。

 

➀結核とBCG

 「感染症」というと、まず私の母を思い出す。私が2歳のころに「結核」にかかり2年間、結核病棟で療養した。その間は祖母に面倒を見てもらった。月に一度くらい三鷹の病院に面会に行ったが抱いたりはできなかったと思う。当時一緒に住んでいた叔父は今90歳くらいだが、当時私の母の結核が感染したのだろう、独身で一人で2階で静養していて時々遊んでもらった。私の生まれた1950年代に「ストレプトマイシン」という抗生物質の特効薬ができて二人ともそれで助かったと言っていた(結核の特効薬はいろいろあるようだ)。私が今ここあるのはひとえに「ストレプトマイシン」のお陰である。因みに、私の生まれた1954年に日本で結核で亡くなった人は年間6万人位で、戦前はもっと凄くて20万人位亡くなっていたそうである。映画「トトロ」の中の母親も思い出されるが、戦前の著名人や作家などで結核で亡くなった人は数知れず、どれだけ多大な社会的・学術的・芸術的な損失であったろうか。

  

東京都健康安全研究センターHPより  http://www.tokyo-eiken.go.jp/sage/sage2003/

 

 BCGという結核予防ワクチンは戦前からあったそうである。その後1951年「結核予防法」以降日本人ならほとんど誰もがBCGワクチンを打ってもらえるようになり、私は長い間、結核菌は日本では死滅したと思い込んでいた。しかしそれは全くの認識不足であり、「結核」はまた勢力を取り戻したのか、厚生省のHPを見てみると現在でも年間15,000人が発病し3,000名が亡くなっているそうである。吃驚した。結核は肺ばかりでなくいろいろな部位に感染するので、種類が多いのだろうか?しかし欧米ではほとんど結核になる人がいなくなり、BCGも打たなくなったそうである。私はツベルクリン検査でいつも「疑陽性」になってしまうので何度もBCGを打たれたような記憶がある。

 BCGは、ジェンナーやパスツールに通じる有用な予防措置であり、日本や韓国では予防接種していても若干の感染者も発生するのだから、経済的ではないかもしれないが、欧米でもBCG接種を復活すべきではないのだろうか?猛威を振う新型コロナウイルスについてもBCGの効果があるかもしれない。欧米などの新型コロナの死亡率の高い国の世界地図と、BCG非接種国の世界地図がほとんど重なり合うという指摘もある。

参考:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200413-00234432-diamond-soci&p=1

※WHOや日本の政府やマスコミの多くは、現在この説は未確認ということで認めていないようだ。

 

②麻疹(はしか)

 次によく覚えている感染病に、「麻疹」(はしか)がある。やはり子どもの頃絶対的に麻疹ワクチンを打たれた。私には「麻疹」は子どもの病気の代名詞であり、当時は上の子が「麻疹」にかかると下の子にもわざと感染させたというような乱暴なお母さんもいたそうで、親も子どもが早く「麻疹」になるのを期待する向きさえあった(麻疹は1回かかると生涯免疫となると言われていた)。

 それ位「麻疹」は軽く見られていて、私も幻の病気になったかと長く思い込んでいたのだったが、国立感染症研究所のHPを見てみると2007年頃に大学生等に大流行したとある。私は大学職員であったが、2回目の麻疹ワクチンを接種していない学生が羅患するというので、突然大学をロック・アウト(大学紛争の頃の呼び名か?)するよう指示があり、検問を設けて学生を構内から閉め出して休講措置を講じた。たしか中学生は免疫ので授業をしており、何と大袈裟な措置だと思った記憶がある。しかしその後は、ワクチン接種が2度完璧に行われるようになり、麻疹患者は0になったのだろう。平成27年に日本は麻疹ウイルス排除国として国際機関から認定された、と厚労省のHPに記されている。ところが又近年沖縄で発生したとのことである。麻疹の空気感染力は極めて強く、1,000人に1人の死亡率の可能性があるそうである。麻疹は幕末に外国から日本に持ち込まれ、40万人が亡くなり江戸の人々にコレラよりも恐れられたと読んだことがある。また力を蓄えて復活することもあるのだろうか?

 

 新型コロナウイルスは、これからどのような道を辿るのだろう?過去を繙くと感染病は津波のように不可避に世界中の人を襲うようだ。新型コロナウイルスは世界中の都市でペストやスペイン風邪のようにオーバーシュート(感染爆発)し、何十万何百万の犠牲者を出した後、静かにナリを潜め、また結核や麻疹のように、蘇ったり退治されたりするのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 中国に「寧波」(ねいは、Ninbo)という都市があるのを知っていましたか?。日本からの直行便がつい4月からスタートしたばかりの浙江省の都市で、帰りはそこに1泊して帰国しました。1泊だけだったので、とても寧波の紹介などはできませんが、ホテルで10日ぶりにテレビを見ました。浙江省の台風9号被害などを報じるニュース番組などの映像を見ながら、僕はヤフーニュースで浙江省全体で30名位の方が亡くなる被害を知っていましたが、テレビやネットで報じる「情報」って何なのだろう?と思いました。

 50程あったチャンネルの中で、やっぱり政府提供?らしきテレビドラマで凶悪日本軍が出てくるような番組もありましたが、普通のメロドラマや歴史小説、マンガ、エンタメもあります。国際線の停まる「寧波」街には都市の匂いがぷんぷんします。ただし外国人らしい人は見かけず中国一色です。「公衆道徳を守ろう」「文化国家らしくしよう」「団結一致してアメリカに対抗しよう」などの標語が見られたりもしますが、習近平氏の顔写真が街中に大きく貼られていたりなどの光景は見かけませんし、道路も立派に?交通渋滞しています!

 

 テレビを見ていて超面白かったのは、映像から言ってたぶんそういうことだろうと思うのですが、日本と同じように、自動車の運転中に「あおり運転」やいろいろな事で激高し、暴力を振るったりする人が少なくないようなのですっ!「路怒症」「路暴症」と画面に大きく映し出されていました。中国語がまったく出来ないので確かではありませんが、映像から言ってたぶん日本語に訳すと「あおり運転」などの社会問題のことだろうと思います。漢字というのは、これだから好きです。ニュアンスや強弱がいくらでも出てきます!韓国でも同じ社会問題が起きているようですが、まったく困った社会現象です。決して日本の真似はしないでほしいですね~。

 10日間、とにかく息子たちの旅行に便乗して、珍しく日本旅行者に全く出会わない珍しい海外旅行をしました。ヤレヤレでしたが、これから彼らもいろいろ経験を積んでいくのかと思うと感無量です。

 最後に、「寧波」のある浙江省は実は日本と歴史的に深く関係した都市であり、唐代には最澄や栄西などが寧波近くの天台山を訪れて修行し、鑑真が仏教伝道のためここから日本へ渡航を試みました。13世紀には日本からの留学僧道元が寧波で修行し、曹洞宗を開宗しました、明代には寧波は日本との勘合貿易の指定港だったそうです(ウィキペディアなどより)。

 

 

➀温州市でみかけたキリスト教会。キリスト教徒も多い。明治に渡来した欧米の宣教師も上海やこのあたりで日本の事情を調べてから来日したそうである。②は温州市の博物館付近。③④寧波市中心地の観光名所「天一閣」。寧波は儒学者王陽明の出生地でもあり、明代の大蔵書家の当時最大級の私立図書館(今は博物館)があります。「麻雀」の歴史も寧波から始まったそうです。⑤天一閣で麻雀の神様たちの銅像と対戦する少女。⑥貴重な蔵書を虫干し(曝書)する昔の図書館員の銅像。観光客目当てか。⑦⑧最近人気の寧波の浅草仲見世みたいな「南塘老街」。寧波には、これから観光に訪れる日本人が多くなるだろうと思います。ことに麻雀が強くなることは請け合いです。(終)

 

 

 

 夏のお盆休みのころに、中国浙江省の知人が住むある町に10日滞在してきました。中国は北京しか行ったことがなかったので、地方ははじめての経験です。中国華南近くの昼間の暑さはさすがに日本以上です。日中は街中を歩いている人はいない。はじめて日傘を出して歩きました。夕刻になると、公園や川辺でラジカセを流して体操なのかジャズダンスのような踊りを皆で踊っています。10年以上前の北京では、みんな朝公園で太極拳をしているのを思い出しました。

 宿泊している民家は山麓で昔通りの生活ですが、都市化の大波がそこまで迫ってきています。少し離れた「街」には、日本の地方都市以上に高速道路が走り、高層ビルやショッピングセンターもあります。しかし、街そのものが広く拡散しており道幅も広いので、三輪タクシー、自転車タクシー、バイクタクシーなどが無いととてもあちこち動けたのではありません。立派な外車や自転車タクシーなどが凸凹道を縦横無尽に走っています。顔認証やスマホ決済など先端技術は入っていますが、インフラはまだまだかなという気がします。

 

 

➀浙江省、瑞安市の街中、②温州市立図書館、③市中の民家

 

 しかし、よく聞けばこの温州地域にも、四川省など内陸部から人が押し寄せ、治安が悪くなったりで、旧来の住民は、政府の方針なのか次々に建設される市内のマンションなどを購入して移り住む人が多いのだそうです。土地は広大にあるので、巨大なショッピングモールや高層マンションなどが次々に建設され、バブル状態のような話を聞くと、バブルの崩壊も起きなければいいのだが、と思います。

 

 

➀風光超明媚な大羅山から流れ出る八水渓谷の流れ。②国家推奨の健康増進ハイキングコースもある。③街中で自動車以外に、無くてはならぬ電動バイクや三輪タクシー。

 

 

  「定年」になって、あっと言う間に4ヶ月たった。さすがに何も用事の無い日が出てくる。パスカルという哲学者は、「人間は考える葦」であると言ったそうだが、身体も動かさないと頭もボーっとしてくる。ボーっとしていると、時間はあっという間に経つ。流れに棹さしていると、一週間は瞬く間に過ぎ去っていく。

 昔は「隠居」と言ったそうで、落語のなかによく登場する。「隠居」の時代には、家督を息子に譲ってお経を読んだり書画・骨董を嗜んだりしながら心静かおを迎えを待ったらしい。今では75歳以上の後期高齢者でも「隠居」とは呼べないだろう。私の祖父は職人だったが、50歳台で仕事は引退し70台で亡くなった。父はサラリーマンで「定年」の時代を生きて、私と同じサラリーマンだったが、公務員だったので退職後は比較的いい年金を貰って退職金や預貯金を取り崩しながら妻と旅行などして老後を終えた。90歳目前で亡くなった。介護も2ヶ月くらいした。

 今、令和の時代には、 「引きこもり」という言葉が世を席巻している。「引きこもり」の時代はスパンが長い。子どもの教育問題から始まって若者の雇用問題となり、中年になりかけて自暴自棄になり暴力を老人問題になる。テレビでも親が亡くなって年金収入が無くなり、自死的に孤独死したりする「中高年引きこもり」を取材していた。生活保護を受ければいちおう生きていけるはずなのに、➀行政には「引きこもり」に寄り添う余裕が無い、②「引きこもり」側には自分のプライドを捨てきれない、という問題があるのではないか。目に見える形でセイフティネットがあれば、自死も防げるのではないだろうか。(写真は立山連峰、友人撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

   就職してしばらくして、夏のアラスカのルース氷河に海外登山をした。アメリカ大陸最高峰のマッキンレー山(6,195m)の裾野に広がる巨大な氷河溜まりの一角にある2,000m台のベリルという名の小さな小さな山の頂きを目指した。山岳部経験者のOGOBと大学生1名、山好きの歯医者さん1名合わせて6名で構成した一応の遠征であった。もちろん道などなく、ガイドブックなどに載っているはずも無い。地図の他には、山岳雑誌の「山と渓谷」に載っている写真が最も頼りになる情報だった。

 

➀氷河の下流をセスナで飛ぶ、氷河の上に着陸、一週間後に迎えに来てもらう。

②英国人登山者、ベリル峰最高到達点、登攀風景

 

③マッキンレー山、ベリル峰、不思議なグレーシャーブルー(氷河青)の氷河湖

④マッキンレー山の下に拡がる、ルース氷河の出合いは「円形劇場」と呼ばれている

 

 結果は、なんと敗退!!って言うか、気温が高く雪が緩んで雪崩の危険があったの公式理由。クレバスに落ちたら上がってこれない、というのを聞いてビビってしまったのも事実。しかし実はあまりにも美しい景色を見て感動し過ぎ、満足して登る意欲が無くなってしまったのが原因と思う。また、白夜なので時間の感覚が無くなり、テントの中でいつも誰か寝ている!!氷河湖や数千メートルの峰々を眺めながら付近を歩くだけで満足。景色はたとえようも無く美しい。たとえ雨が降ってもテントの中から外を見るだけで墨絵のように美しい。一週間見飽きることがなかった。そこにいるだけでよかった。

 

⑤登山基地タルキートナの郵便局と少年、カナダのメンデンホール氷河(観光)で泳ぐ

 

 メンバーの中で1名のみアラスカ経験者だったが、いちおう隊長の私も他のメンバーも氷河は初めて!海外

登山も初めて!クレバスに落ちるともう上がってこれないと言われて相当ビビった。氷河は内陸部で形成されて裾野を1日数センチみたいなゆっくりした速度で流れ下り、海に崩落する。

 アンカレッジからアラスカ鉄道でタルキートナという登山基地の駅に向かい、ブッシュパイロットと呼ばれる腕のいいパイロットを頼んで、かなり氷河上流の平らな所に、セスナ機で着陸しそこから登る。アラスカはセスナが乗用車に近い。アンカレッジ空港にはディズニーランドの駐車場のようにセスナ機が駐車している。

 

 帰国してからもう一度ルース氷河に行こうと誓い合ったが、結局、最初で最後になった。アラスカも縁遠くなってしまった。当時は欧米への空路は北極を飛ぶ北回りルートしかなく、飛行機はみなアンカレッジ空港に一時寄港した。ソビエトを飛行機で通過できなかったからである。アンカレッジ空港は日本語があふれ、ラーメンも食べられた。近年は、本当は日本から近い米国アラスカに行く人が少なくなったのは淋しいことである。

 回想のアラスカ登山記でした。

 

  ニューヨーク公共図書館では1984年から85年にかけて半年インターンとして過ごした。午前中は2階のオリエンタル部で分類作業や電話番をした。午後は地下の資料保存部で第一次大戦関係のコレクションの修理をした。館内は映画ゴーストバスターに出てくる雰囲気とそっくりだった。図書館の仕事は世界中同じような作業なので、あまり困らない。しかしスタッフの生活圏内に立ち入ると、いろいろな事が、日本とは似て非なるものに感じられる。

  たとえば給与と言えば、資料保存部の人はほとんど週給だった。週に一度みな揃って休憩時間に銀行に行く。ニューヨークの真ん中で決まった日に現金を下ろしたり振り込んだり、何とキケンなことかと思った。
 5番街のオフィスにはOLが沢山いるのにも驚かれされる。みなスニーカーを履いていて手提げバッグを持っていた(スニーカーはまだ目新しかったのである)。地下鉄の改札から上がってくると出口で手提げからハイヒールを出して履き替える。当時から女性は#KuTooだったのだと今にしてみると思います。
  ニューヨークには方言が幾つかあると聞かされた。ブルックリン訛り、クイーンズ訛りなどである。半年ではその差を判別するまでに至らなかったが、ニューヨークっ子の口調は西海岸とは明らかに違った。スタム副館長からは、君の発音はシカゴがシカニョに聞こえると注意された。日本人はNYPLをよくニプルと発音するがそれはダメだ、エヌワイピーエルと発音しなさいと言われた。その場で意味がわからなかったが、nippleを辞書で調べたら、「乳首」だった。英語指導もありがとうございました。
 ペースという黒人の図書館員がいて誰にでも親切で明るく館内の人気者だったが、突然心臓発作(アメリカは何と多いかと思う。)で亡くなった。当然葬儀など行くのかと思ったら誰も行かないという。よく聞くと住んでいる地域が危険なので、行かないということだった。少額のお金を集めて届けたようだった。コロンビア大学の近く125丁目あたりからがハーレムで犯罪の多い地域と言われていた。
 映画にちょっとだけ出てくる要人を集めた大宴会、夜は気がつかなかったが昼からよく宴会のようなことをしていて、コース料理をケータリング(この言葉も初めて知った。当時は日本では出前は別にして、ケータリングは無かった。)で頼んで多額の寄付者や富豪を集めた交流の場になっているようだった。※映画を見ると今も同じように行われているようだ。
 
※(左)休憩時間によく通っていた近くのカフェのウェイトレスの女性と資料保存部のスタッフ、(右)仕事を直接教えてもらったデニー氏とその奥さん
 
 

  岩波ホールで「ニューヨーク公共図書館」という映画を7月5日まで上映しています。ニューヨーク観光に行った方なら通りかかったことが多いと思いますが、五番街42丁目の目抜き通りの角に位置する白亜の建物で、35年前私は職場から派遣され研修生としてお世話になったことがあるのです。映画はこれから日本を巡回するらしいですが、東京では見た方も多いでしょう。

 実はこの映画は2年ほど前に山形市の国際ドキュメンタリー映画祭で上映されています。その時、たまたまこの映画を観た映画音痴の私は、現代ドキュメンタリーフィルムの手法(「ダイレクト・シネマ」と呼ばれるらしいです。)について無知蒙昧であり、上映時間3時間半ということもあり何と退屈な映画かと思ってしまいました。

 

 その後東京で上映されることになり、たまたま事前に見せてもらう機会があったのですが、いろいろ考えたり調べたりして初めてこの映画の真価がわかったような気がします。図書館関係者ですと、外国の映画で図書館が出てくるというと、何かしら仕事に役立つとか、最先端の技術やサービスが出ていないかと思って見てしまうのですが、私は、ワイズマン監督が伝えたかったのは、奴隷制度、南北戦争、黒人公民権運動、移民政策など、アメリカが血を流しながら守ってきた「民主主義」や「自由主義」「平等主義」「ヒューマニズム」みたいなもの、アメリカ建国以来の理想(コア・バリュー)を、図書館に体現させたかったのではないかと思うのです。

ですからこの映画では、図書館の建物、図書館の歴史、所蔵資料などでなく、図書館員の日々の活動が記録(演技でなく)されています。マークス館長がいい味出してますね。

いくつか35年前のニューヨーク公共図書館の写真を貼付します。➀ちょうど日曜日で図書館の大階段前で楽隊が演奏しています。②源氏物語絵巻の展示をしたりしていて「日本の美」という垂れ幕が下がったりしています。③は図書館裏のブライアントパークで当時は麻薬の売人がうろついていました。銃弾が図書館書庫まで飛んできたことがあるそうです。今は映画にあるような綺麗なオープンカフェとなり、地下は図書館の閉架書庫になっているとのことです。(※正面は、大阪の中之島図書館にそっくりですね。)

 

 

④は当時のグレゴリアン館長、スタム副館長と夫人と息子さん、⑤はお世話になったオリエンタル部。日本人、中国人、韓国人、イラン人、イラク人、インド人図書館員がいました。部長はスウェーデン人の研究者でした。⑥は資料保存部。器用と思われたのかなぜかイタリア系の図書館員が多かったです。

 オリエンタル部は現在無くなって一般研究部に吸収されてしまったようですが、資料保存部はAVやデジタル資料の保存までてがけて拡充されているようです。映画の中にもありましたが、予算によって部や課が無くなったり新しくなったりするんですね。

 映画を観られたら小冊子が付いていますので、よく読んでおくといろいろな背景がわかります。