AD30年頃、エルサレムで起こったキリスト教徒迫害により
現在のトルコHatay県(シリアとの国境)に属する
ANTAKYA(ANTIOCH アンティオキア/アンテオケ)市に
信者の集まり=教会が出来ます。

教会といっても、岩をくり抜いた空間みたい。

ANTAKYA教会跡



信者たちの口からは、
「キリスト=救い主」のことばかり語られるので
アンティオケの人々は、この信徒たちを
「キリストをフォローする人々」
すなわち、クリスチャンと呼ぶようになります。

聖書 使徒言行録13章より

「(アンティオキアで)
 彼らが主(神)を礼拝し、断食していると、
 聖霊が告げた。
 『さあ、バルナバとパウロをわたしのために選び出しなさい。
 わたしが前もって二人に決めておいた仕事にあたらせるために。』
そこで、彼らは断食して祈り、
二人の上に手を置いて出発させた。」


アンティオキア教会から、
世界最初のキリスト教宣教師としてバルナバとパウロが
送り出されます。
「二人に手を置いて」というのは、
教会が神の前に心をひとつにして責任を持って
宣教師を送り出す、という意思表示です。

バルナバとパウロがひざまずき、
教会の人々が彼らを取り巻き、
何名かの代表者が、バルナバとパウロの頭に手を置いて
神の前に誓いの祈りをささげたことでしょう。

世界最初の宣教師パウロは、元はユダヤ教エリート教師。
当時ユダヤ人の中では、最も尊敬される職業であり、
名声も経済的にも安定した将来が待ち受けていたのですが・・・
パウロは、それらをすべて投げ捨てて
イエス・キリストに従う道を歩むようになりました。

その理由については、
「使徒言行録」「パウロの手紙」に何度か書かれています。

使徒言行録9章より

「さて、サウロ(パウロの旧名)は、なおも主の弟子(キリスト信者)を
脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、
ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。
それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、
エルサレムへ連行するためであった。
ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、
突然、天からの光が彼の周りを照らした。
サウロは地に倒れ、『サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか』
と呼びかける声を聞いた。
『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、答えがあった。
『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。

起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる』」

まさに、晴天の霹靂!!
キリスト信者を迫害することに燃えていたパウロ(旧名サウロ)が
キリストと出会ってしまったのでした。
この事件により、パウロは3日間目が見えなくなるのですが、
神様がアナニアという人にパウロのもとへ行き、
ミッションを伝えるようにと申しつけます。
アナニアがパウロのところへ行き、彼に手を置き、

「『兄弟サウロ、
あなたがここに来る途中に現れてくださった主イエスは、
あなたが元どおり目が見えるようになり、
また聖霊で満たされるようにと、私をお遣わしになったのです。』
すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、
サウロは元どおりに見えるようになった・・・」
              (使徒言行録9章17-18節)


この時から、パウロの人生は新しく始まり、
現在のトルコ、ギリシャ、ローマに至るまで
神の愛を伝えるために命をかけ、
最後はローマで殉教します。

パウロを祈りながら派遣したアンティオキア教会は
世界で初めて宣教師を派遣した教会として、
今も世界中の教会のモデルケースとされています。


実は、アンティオキア市には、
とても貴重なトルコ音楽合唱団があります。

The Civilization Choir of ANTAKYA
(アンティオキア文明聖歌隊)


キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の讃美歌を歌う聖歌隊です。

歴史的に、アンティオキアには
この3つの宗教が平和に共存してきたそうです。
住民は、そのことを誇りに思っており
いつの時代でも世界への平和の発信地でありたい、
というポリシーにより、2007年に設立されたそうです。

現在のアンティオキアは、
残念なことに、シリア、イラクの内戦により流出してきた難民があふれ
治安も悪化し、物価も高騰し、
静かで平和だった街が乱されています・・・

もう少し落ち着いたら
私も箏を携えて、アンティオキアに行き、
この聖歌隊と一緒に、平和への祈りをささげつつ
コンサートをしたいと願っております。


アンティオキア文明聖歌隊


聖歌隊のロゴには3つの宗教のシンボルが描かれている




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