凄い映画に出会ってしまった。

9月14日(土)、気になっていた『許されざる者』を六本木ヒルズのTOHOシネマズで観た。
冒頭の大雪の中の壮絶な殺し合いのシーンから、理由が解らぬまま、一気に引き込まれ、気づいてみたらズシンと心に重いものが残ったままラストシーンを迎え、号泣している自分がいた。

渡辺謙演じる主人公十兵衛が北海道の苛酷な自然と溶け合うように、
苛酷な人生の変転を運命として受け入れて行く男としてのあり様が、
観る者の胸に染み渡って来る。

演技を超えた役者。物語を拒絶する監督。自然の一部としての人間。
李相日と渡辺謙が創り出してしまった、
人間が生きている限り未来永劫、どこまでも続く、ただ、そこにある成り行き。

人間の業と宿命を焼き付けたフィルムが、
観客の魂に焼き付ける、有無を言わさぬ厳粛な営み。

生きるために殺し尽くすしかなかった十兵衛は
冒頭からすでに内面など失くしている。

最果ての地で、愛する妻と2人の子供ために生きる理由を見つけた男は、
しかし再び、殺戮の曠野へ還って行くのだが、
渡辺謙の佇まいは、演技を超えて奇蹟のように、ただ、そこにある。

強いて言えば、究極のハードボイルドなのだが、
李相日と渡辺謙は、そんな既成の言葉を許さない。

ラストシーンのあり様も、
感動とか希望とかという概念を拒絶する神の視点を獲得している。

この世に人がある限り、
アイヌも女郎も人殺しも、主は汝たちの営みをただ見守っている、とでも言う様に。

「復讐するは我にあり」という神の言葉が、
スクリーンから聴こえたような気がしたのは僕だけだろうか。

黙示録に拮抗する李相日の映像世界。
それを支える渡辺謙の演技を超えた演技。

クリント・イーストウッドのオリジナルがどんな映画だったのかは知らないが、
これが映画だ!
凄い。凄過ぎる!
李相日と渡辺謙でしか達成できなかった映画。
世界に誇る新しい日本映画の誕生だ!