今回は推薦文や、寄稿文などを立て続けに書いたので
それをブログに載っけます。

①吉本隆明全集推薦文

晶文社より来春刊行予定
『吉本隆明全集』発刊に寄せて~

<人間的な、あまりに人間的な>

初めて吉本隆明の詩篇に出会った時の衝撃は、今も胸に刻まれている。

自分の身体の奥底から吹き出してくる説明し難い感覚を、それは明瞭に言語化していた。
表現することの出来ない苛烈なパッションと硬質なセンチメントが美しい旋律となって、これこそ僕の気持ちだ、と溢れ出る涙を止めることが出来なかった。

この四十年間「転位のための十篇」だけは、週に一回は読み返す。
僕が少しでも過ごす場所には吉本隆明の詩集を置いていて、いつでも読める体勢になっているのだが、すでに全篇暗記してしまっているのに、読むとまた、涙が溢れる。

邪道な読み方かもしれないが、
不可能だと思えることに決然と挑もうとする時、僕は吉本の詩篇を暗誦する。
そのようにして幻冬舎は、今、ここに在る。

「マチウ書試論」も何百回と読み返しているが、その度に新しい発見がある。
吉本隆明は、最も深く影響をうけた作家・作品は? という問いに、
ファーブル『昆虫記』、編者不詳『新約聖書』、マルクス『資本論』の三冊を挙げ、
続いて、戦後、最も強く衝撃をうけた事件は? という質問には、
「じぶんの結婚の経緯。これほどの難事件に当面したことなし」と答えている。
その直後の、最も好きな言葉は? には
「ああ、エルサレム、エルサレム、予言者たちを殺し、遣わされたる人々を石にて撃つ者よ、……」とマタイ伝23の37の言葉を記しているが、
吉本にとっての人妻を恋するという内面のドラマが、
どれだけ思想の形成に深く関わったかを読み取る時、
僕の生きるという営みが影絵のように重なり合って、毎回、慄然とする。

吉本の個人的難関は、すべての吉本の作品に影を落としているはずだが、
それが新たな全集で発見できると思うといやが上でも興奮が昂まってくる。

この全集を読むことは僕の晩年の最大の個人的な事業になるはずだ。


②母校の創立50周年の記念誌に寄稿

静岡県立清水南高等学校 創立50周年記念誌に寄せて~

<かけがえのない今日>

44年前、僕は四回生として、静岡県立清水南高等学校を卒業した。

小学校・中学校と劣等生だった僕にとって、
高校入学は今から考えても決定的に大きな人生の転機になった。
東京での大学生活を通じても、高校時代ほど生命のエキスが凝縮された時間はなかった。

海と山に囲まれて、日差しがさんさんと降り注ぐ、花と緑が目に染みる、
青春ドラマの舞台になるような高校で、僕は全身をぶつけて、
恋愛や友情、勉強やスポーツに向き合った。

あれほど懸命に生きた記憶は、後にも先にもあの三年間だけである。
あの三年が今の僕を形作り今の僕をあらしめていると、はっきりと断言できる。
それほど僕にとって、濃密で一心不乱の季節だった。

はじめて異性を愛しいと思い、一挙手一投足に振り回され、思い詰めた日々を過ごしたこともなかったし、
ロックンロールに夢中になって
ビートルズという一組のミュージシャンにあれほどの熱量でのめり込んだこともなかった。

ラグビーに出会って、鈍い運動神経ながらも初めてスポーツを楽しいと思ったのも、高校の三年間だけだった。
社会に出てからも、ラグビーのクラブチームをつくってトレーニングにも励んだけれども、高校時代のようなトライの快感は得られなかった。

嫌だ嫌だと逃げたい心を押さえつけて一日3時間睡眠で受験勉強をしたのも、
海辺で友人と日が暮れるまで議論したのも、
本を片端から読んだのも、その三年間に限られている。

一歩を踏み出すこと、目標に向かって努力すること、死ぬ気で何かに熱中すること、
それらすべてを高校の三年間は僕に天の恵みのように教えてくれた。
自分の信じた道を真っ当に努力さえすれば、時間がかかろうとも必ず少しは報われる、そのことに僕は高校に入って初めて気づいたのだった。

何故それが高校時代だったのか、
丁度、強烈な自我に目覚める年頃だったのか、よく解らないけれど、
高校三年間で僕は、生きるという営みの歓喜と切なさを全身で受け止めたのだ。

自分が信じたものに熱狂できる特権は若者特有のものだ。
社会に出れば、様々な大人の事情が、それを許さない。

小・中学生では子供過ぎるし、大学生では自由過ぎる。
親のスネをかじりながら、受験という目の前に立ちはだかる乗り越えるべき大きな壁にぶつかりながら、自分が熱狂するものにもがき苦しみ、全力を尽くす。

僕が清水南高で得たものは62歳の僕の人生を左右し、僕の人生を決定づけた。
あの三年間がなかったら、今の僕はなかった。

そのさ中にある者には、その貴重さは解らない。
そのさ中をどう生きるのか。
何とどう向き合うのか。

君達は二度と戻らない、その貴重な季節のさ中にいる。
何でもいい。何かに熱中しろ。何かと格闘しろ。もがき、苦しみ、悩み抜け。
それが、どれだけ大切だったか、思い知る時がきっと来る。
光陰矢の如し。今日と違う明日をつくれ。

それには圧倒的努力が必要だ。10年なんてあっという間だ。
昨日と同じ今日、今日と同じ明日。そんなものはつまらない。

「君がなんとなく生きた今日は、
昨日死んでいった人達が、どうしても生きたかった大切な明日だ。」
アメリカ原住民に伝わる言葉である。

人生の中で最も恵まれた季節を、なんとなく生きるな。
失恋してもいい。失敗してもいい。
勇気を出して、自分が夢中になれる何かに一歩を踏み出してくれ。
どんなにボロボロになっても、それがあとで、かけがえのない一日になる。


③映画の推薦文
テレビマンユニオン配給 9月21日公開
映画『世界一美しい本をつくる男 シュタイデルとの旅』公開に寄せて~


電子書籍の波が押し寄せる中で、
ここまで紙の本の質感にこだわる出版社があるということ自体が驚異的だ。
アーティストとの交渉に世界中を飛び回り、
一冊一冊の本の仕上がりに怖るべき情熱でのめり込む。

僕は思う。「本は商品だ」。
シュタイデルは思う。「本は作品だ」。

商品にしなくても、
世界中のシュタイデルのファンが、彼の出版社をビジネスとして成立させる。
アートとビジネスの奇跡のような均衡。

忘れていた本造りの全うな姿勢に、しばし打ちのめされた。


④読むデザイン誌「クリネタ」の小黒一三特集(2013年秋号)での証言
小黒一三は僕の古くからの友人で元「ブルータス」の辣腕編集者。
今は「ソトコト」の発行人で木楽舎の社長でもある。
アフリカの画家ムパタのプロデューサーとしても有名。
マサイマラにムパタ・ロッジという高級ホテルを作ってしまったとんでもない男。

見城 徹氏の証言
小黒一三について一言

「アバウトで繊細。嘘つきで正直。小心で大胆。」
出会いは、確か村上龍を通じてだったと思う。同い歳で、とにかく気が合ったし、一緒にいると楽しかった。30年以上前、小黒が「ブルータス」、俺が「野性時代」の頃の話。あの頃は小黒と毎晩会っていた。坂本龍一と3人でもよく飲んだ。
同業者として、俺が一番危険な編集者だと思っていたけど、小黒と出会って、小黒の方が危険だと思った。「危険」は「刺激的」と置き換えてもいい。唯一、「負けた」と思えた編集者だ。気分のいい奴。いろいろ騙されたけど、まあ、小黒ならいいかと思える珍しい奴。人の根底に眠っている欲望にいつの間にか入って来て、小黒の言う通りにやらないと男じゃないという気持にさせられる危険な奴だ。
小黒へのアドバイス? 今のままでいいんじゃない。ただ俺みたいに少しはセコイ計算もちゃんとしないと、利益のスケールは大きくならないよ。計算づくめの小黒は、小黒じゃないけどね。