まだ朝の七時か八時だったと思う。
私は母に、兄の友達の戸田くんと鼬川から山の方まで亀を捕まえに行って来る、と言った。
母は、なぜ戸田くんと二人でなのか、なんで兄は一緒に行かないのか、などと尋ねたかも知れない。私は、とにかく大きな亀を捕まえに行きたいことを言い張ったと思う。あまり遠くまで行かないこと、昼過ぎくらいまでには帰って来ること、そのようなことを、母は私に注意しただろう。でも私はまだ、そんなに時間の感覚を正確に持ってはいなかっただろうし、遠いところだと分かっていたのに、港南台まで行くことは言わなかった。
今にして思えば、それが、母には内緒の、私が幼児から少年に成るための通過儀礼的な、初めての冒険だったのだ。
その日は、夏休み真っ最中の、ある一日だった。
むろん、私は、まだ幼稚園生だったから、夏休みという感覚などなく、毎日が日曜日のような気分の中にいただろう。一日は長く、夏は永遠に続くかのように思って、ただ太陽の下で、無限の楽しさと戯れていただけである。
夏の朝の、さわやかな気配がまだ残る頃、戸田少年と私は、まず鼬川へ向かうことになった。
戸田少年の自転車は、主婦が買い物へ行く時に乗るような型で、前に籠が付いていた。なんと彼は、その籠の中に大きな亀を、そのまま突っ込んだ。そうして、首を前へ伸ばした亀が道先案内人であるかのようなかたちで、亀を先頭に、私は自転車の後ろの荷台に乗せられて、彼の漕ぐ自転車は走り始めた。
鼬川に沿った歩道を、彼の自転車は、しばらく走った。自転車を止めて、橋の上から川面や川岸を見たが、泥亀の大きなのはいなかった。彼と私は、川幅が広くなっているところで自転車を降り、川原を歩き回って大きな亀を探したが見つからないので、膝下くらいの深さの川の中へ入って行った。日向(ひなた)は、もう夏の噎せ返る(むせかえる)ような熱気に満ちていた。川岸は、草むらの匂いと湿気で余計に蒸し暑さを感じるが、川の中は水が、ひんやりと冷たくて気持ちがいい。浅いところで、石の狭間(はざま)を流れる澄明な川水が、夏の陽光を、きらきらと白く弾いて、光の乱反射が目に眩しい。川の中から見上げる風景は、橋や道路が上に見えて空も広く、いつもと、まったく違って見えた。
彼と私は、岩の間や泥の中を探したが、大きな亀は見つからなかった。
「山の方へ行こう」
と彼は言った。
――やはり山へ行くのか。
幼い私の心には、期待と不安が入り混じっていた。
予想していたとおり、山に入ると私が見覚えのある景色は、まったくなかった。山といっても、そこは『瀬神の市民の森』と呼ばれ、遊歩道が整備されていて、家族連れが散歩していたり、少年たちが渓流や森の奥の『瀬神の沼』で、よく遊んでいる自然公園のようなところだ。危険は、まあ、ほとんどないと言える。
その山の中でも、大きな亀は見つからなかった。戸田少年は、すぐに諦めたような顔を見せた気がする。カニやザリガニを獲るのは、私たちの、その日の目的ではなかったから見向きもしなかった。そうかといって他にすることもなく、仕方ないので、彼の亀を自転車の籠から降ろしてきて、しばらく川で泳がせて遊んでいた。他の子供たちから、「でっかい亀だなあ」、と羨ましがられたのは嬉しかった。「こんなに大きいのは初めて見た」と、ある子供が言っていたのは、私も頷いた。
「亀を探すのは、また今度にして、港南台の駅へ行こう」
不意に彼が言った。
私は落胆しただろうか、ただ啞然としただろうか。そのどちらでもあったような気がするが、もうこの辺りで幼い私は、かなり疲れていたのだろう、このあと記憶が少しずつ断片的になっていくようである。
森の間の小川に沿った山道を抜けてから、山手学院という私立中学校がある辺りを通って、戸田少年の漕ぐ自転車は港南台の駅へ向かっていた。
私は、彼が懸命に漕ぐ自転車の荷台に乗っていて、荷台は座席ではなく、ただの金属の細い格子なので尻が痛かった。
真夏の正午頃の太陽に照り付けられて、運動している彼は汗だくで暑かっただろうが、籠の中の亀も、荷台の私も天日干しで暑かった。亀の甲羅が、からからに干乾びていたのを、よく覚えている。
前方よりも後ろを振り返ってばかりの私を乗せた自転車は、ぐいぐいと先へ先へ進んで行った。
――何のために港南台へ行くんだろう。
私は、自分の大きな亀を手に入れるという当初の目的を失って、子供ながらに疑問を持ち、彼への不満も募らせたかも知れない。そんなに我慢はしなかったはずである。
「やっぱり港南台へ行くの、やめようよ」
と私は、彼の背中に向かって切りだして、
「お母さんから遠くへ行くな、と言われているし」
と、その訳を説明した。
「おまえは、お母さんがいて、いいな。おれは、お母さんの顔を、はっきり覚えてない」
自転車を漕ぐ彼の背中が言った。
私は、なぜ彼が突然そんなことを言うのか、ほとんど理解できていなかったと思う。なに不自由のない家庭に、ぬくぬくと育った私が、その頃に、母親の顔さえ知らないという彼の心の実感に、どれほど共鳴できていただろうか。
幼い私の、子供ながらの憂鬱にも関わらず、自転車は、真夏の直射日光により溶けるほどに熱せられ、地面に濃い影を落して走り続け、港南台の駅へと近づいて行った。
やがて、駅近くの見覚えのある風景を、私は認めた。自転車で行く港南台までの道には、見覚えのあるところなんてなかった。母の運転する自動車に乗り、幹線道路を通って、よく行く港南台ではあったが、自転車で行ってみて初めて、こんなに家から遠かったのか、と私は驚いていた。しかし、私も十歳くらいに成ってからは、今度は私が友達を引き連れて、自転車で港南台まで、よく行くようになった。
今になって思えば、両親や兄ではなく、戸田少年こそ、私が行動範囲を大きく広げる切っ掛けをくれた人なのかも知れない。
港南台の駅に到着してみて、実は今日、戸田少年は初めから、もっと大きな亀を捕まえるなんてことは、どうでもよく、ただ遠くまで遊びに行きたかっただけなのではないか、と私は思うようになった。
――一緒に港南台まで行く仲間が欲しかっただけなんだ。
その証拠に、彼は、川や山で亀を探しているときよりも、港南台の街で遊んでいるときの方が楽しそうだった。二人で一緒にペットショップへ入ったとき、彼のと同じように大きなクサガメが、千円だか二千円だかで売られていた。本当は彼は、大きな泥亀を鼬川で捕まえたのではなく、どこかで買い求めたのではないのか、という疑いさえ私は抱き始めた。
私は少し騙されたような気がした。そして、その時までには私も、もう亀なんて、どうでもよくなっていた。彼にいたっては、そもそも亀なんて、どうでもいい、といった感じで、亀を自転車の籠に入れっぱなしで、駐輪場に放置したまま商店に入ったりしていた。
亀は、ときどき首や手足を伸ばして籠から出ようと懸命に、もがいていたが、無駄であった。亀は、だいたいが、ただ甲羅の中で、じっとしていた。私は、なんだか、亀の気持ちが分かるような思いがしていた。