熊沢雅宗は、どうしても、もう一度だけ美緒に会いたかった。

さらに、美緒と肉体関係にあるであろう赤松重臣にだけは二度と会いたくなかったので、電話で赤松重臣が不在であることを彼の妻に確認してから、美緒に会うために赤松重臣の研究所へ行った。

「熊沢先生、今日は、どうしたんですか?」

「私の論文で、少し書き直したいところがあったものだから」

「あらっ、私にお電話いただければ、私の方で直しておきましたのに」

美緒は、わざとなのか、女がよくするように、この前の夜の抱擁と口づけを全く気にしていないように振舞っている。

「美緒さんも、たくさんの発掘品の整理や、本の編集作業で忙しいだろうから、私の論文の書き直しまでお願いしたら申し訳ない、と思って」

「熊沢先生はお優しいんですね。赤松先生は、バカの一つ覚えみたいに相変わらず発掘作業ばかりで、その研究成果の整理は私任せ。本に載せる写真の選定まで全部私に押し付けて」

「この前、飲みながら話したみたいに、もう本当に、こんな仕事は辞めてしまったらいいのでは? そもそも、なんで美緒さんのように頭が良くて、若くて美しい女性が、あんな男の下で、こんな研究所に一人でいるのか、私には疑問です」

「自分でも不思議なんです。女学校を卒業したのですけれども、不況で良いお勤め先も見つからないし、お嫁に行きたいようなご縁もなかったので、仕方なく、いつの間にか赤松先生のところで古代史探究のお手伝いをすることになってしまいました」

熊沢雅宗は、自分には家庭があるとか、大学でも助手を持つような立場ではないとか、下心が見え見えであるとか、そんなことは、もうどうでもよくなった。何でもいいから、とにかく美緒を、ただもっと自分の方へ引き寄せたいと思った。

「美緒さん、思い切って私の大学へ来て、私の助手として本格的に古代史を勉強してみてはどうだろうか」

熊沢雅宗は唐突に提案してみた。

美緒は夢見るように、希望に瞳を輝かせて熊沢雅宗のことを見つめ返している。

「本当ですか? ぜひ、そのお話、考えさせていただけませんか? 私が大学の研究員なんて、もし成れたら嬉しい。本当を言いますと、こんなところはもう、うんざりでしたの。赤松先生の奥さんも私のことを良くは思っていませんし、赤松先生の愚痴や、夜のお仕置きや、いじめも、もうたくさん。嫌で嫌で仕方なかったんです」

「それなら、美緒さん、ぜひ私の研究室へいらっしゃい」

「そうですね」

「私と一緒にやっていきましょう。二人で古代史を研究するんです、大学で」

「熊沢先生、今日は、もうお仕事のお話は辞めにして、これから私を飲みに連れて行っていただけませんか?」

 

二人で飲んでいるときから、熊沢雅宗は、もう美緒に対する前戯が始まっているように思っていた。今夜、二人が体を重ね合わせることは分かっているのだから、早く美緒を愛撫したくて堪らなかった。

今夜、美緒が熊沢雅宗に体を許してくれるかどうかは、まだ分からないのに、勝手にそう決めつけていた。熊沢雅宗は、もう美緒への肉欲が抑え切れなかった。

飲み屋を出て、

「もう今夜は帰ります」

という美緒を彼女の家まで送って行って、部屋のドアの前で、熊沢雅宗は美緒と飽きるまで唇を重ね合わせていた。

「今夜は部屋の中へ入れて欲しい」

「…………」

「今夜こそ君が欲しいんだ」

 また美緒は首を横に振って拒絶した。

「この部屋は、赤松先生が来るかも知れないから、だめなんです」

「…………」

「赤松先生は、この部屋の合鍵を持っていますから……」

 こんなときに赤松重臣の名前を聞いたから、さらに嫉妬で頭に血が上って、肉欲の塊となった熊沢雅宗は強引に美緒をホテルへ誘った。

 最初、美緒は拒んだが、拒みながらも熊沢雅宗に付いて来た。二人とも酔っていたので、いつの間にかホテルの部屋の中にいて、その夜、夢中で肉体関係を結んだ。

 

 しかし、数日後、赤松重臣の不在を確認してから、熊沢雅宗が再び美緒に会いに行くと、美緒は意外なことを言った。

「赤松先生が反対したから、熊沢先生の大学の研究室へ行くのは諦めます」

「そう……。でも、なぜ?」

 熊沢雅宗の心臓の鼓動は急激に高鳴ってはいたが、不思議と平然としていられた。彼は、どこかで、彼女のこの返答を予想していたからなのだろう。美緒から、数日間、全く連絡がなかったので、熊沢雅宗には悪い予感があった。それでも、期待を大きく裏切られたことに落胆しているのは間違いなかった。

「……理由は特にありません。ただ、赤松先生が、駄目だって。そんなことは私が許さないって」

「そう……」

「…………」

「もし、あいつが、赤松がいなかったら、私の大学へ来る?」

「はい。行きたいと思っていました。でも、私、赤松先生からは離れられません」

「どうして?」

「月々のお手当も、あのアパートの家賃も、私の両親への仕送りまで、何不自由のない生活を、全て赤松先生に面倒見てもらっているんです」

――やはりな。

と熊沢雅宗は思った。同時に、自分にはそんな金は、どう逆立ちしたって出せはしないな、と諦めた。

「熊沢先生、私は、女学校を卒業する時から、ずっと赤松先生に支配されているようなもんなんですよ」

美緒は力なく笑った。

「他に仕方がなくて、いつの間にか、そうなってしまいました」

「…………」

「昨日の夜も、私の部屋で、赤松先生に、この前お話したとおり、やっぱり私、熊沢先生の大学へ行って助手として勉強したいんですって言ったら、またいつものお仕置きが始まって。もう恐かったんですよ、熊沢先生、助けてください」

今度、美緒は、何とも言えない笑顔を見せた。

「お仕置きって、どんな?」

「ねちねちと、一晩中ずっと放してくれなくて、激しく攻め立ててくるんです。しつこいったらないんですよ。熊沢先生、ほんと助けて」

 赤松重臣の性癖を聞いていて、この前の夜だけは赤松重臣ではなく、自分が美緒の妖艶な肉体を独り占めしていたことが思い返されて、熊沢雅宗は美緒に対する独占欲が強まって堪らない気持ちになっていた。

「もし赤松を殺して、奴がいなくなったら、どうする?」

熊沢雅宗は無理矢理に笑った。その笑顔は引き吊っている。

「もし赤松先生がいなくなったら? そうしたら私、熊沢先生の大学へ行って研究助手になります」

熊沢雅宗は、また強引に美緒を連れ出し、酒を飲みに行った。

二人でホテルへ行き、再び激しく体を重ね合わせた。もう熊沢雅宗の美緒に対する肉欲と独占欲は止まらなくなっていた。

 

美緒に会えないとき、熊沢雅宗には、赤松重臣への嫉妬と憎悪しか残っていなかった。だから、熊沢雅宗は、赤松重臣を殺して彼の発掘品や研究成果と、美緒の両方を奪い取ることを妄想するしかなかった。そのような悪事を、人が実行に移してしまうとき、最後にその決心をさせるものとは何なのか? やはり強迫観念なのだろうか? それとも、本当に単純な性衝動なのか?

熊沢雅宗は、大学から許可をもらったので、行田の古墳内の貴重な石室を共同で発掘調査しましょう、と赤松重臣を誘った。発掘好きの赤松重臣は、もちろん喜んで付いて来た。

その日、二人だけで、行田の古墳の発掘調査を始めたとき、熊沢雅宗は既に、石室の出入口の上に仕掛けをしておいた。夢中で発掘調査をしている赤松重臣を、計画的に落石を装って殺そうとしたが、失敗してしまった。赤松重臣は、後頭部の頭蓋骨を陥没骨折しただけで、死ななかったのだ。