「良い」と「悪い」の選択 | 平山トオル オフィシャルブログ「通る 徹る 透る THROUGH PASS CLEAR」

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俳優 平山トオルのブログ

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プライベートなことなどを書いています!

久々に普通のブログを書いてみようかと。


僕はですね、


何かに「良い」とか「悪い」とかつけるのはおかしいなあって思う人なんです。

というか勿体無いなあって思うんです。


だってね、例えば「すごく汚れた靴」を履いてる人がいるとします。


ある人が

「見た目はすごく美人だけどこんな汚い靴を履いてるなんてすごくだらしない人だ。」

って言ったとする。


その瞬間そこにいる人たちはきっとほとんどの人が

「え!そうなの!?意外ー」とか

「わ!そうなんだ。ははは」とか

まあ少なくとも否定とは捉えない返事をすると思います。


でも心の中はどうだろう?

多分本当に「だらしない人」と捉える人もいるだろうけど、

「靴をボロボロになっても最後まで大事にする人だ」

と捉える人もいませんか?


僕はこんなことが日常に山ほど転がってるって思うんです。


物事に「良い」、「悪い」を付けてしまうと、それだけで価値がすごく狭まって決まってしまう。

って思うんです。


自分の見えてるものって、自分の価値でしかなく、自分の経験でしか見えていない視野が狭いものだと思ってるので、僕は意識的にあまり物事に「良い」「悪い」を付けないようにしてます。


芝居でも僕は付けません。

だから色んな「良い」や「面白い」を用意しておこうって思うタイプです。

どれもきっと正解だから、正解をいくつも用意しておこうって思うんです。「悪い」はないんです。


ある人にとっては正解だけど、ある人にとっては不正解が日常であるのならば、不正解を作らず、正解をたくさん作ってその中から選んでいくのが良いなあって思うんです。


それが「良い」とか「悪い」ではなく「面白い」とか「心に響く」に行けたら良いなあと思うので、そうしてます。


人生の選択もそうなんじゃないかなあって思うんです。

不正解な人間なんていないし、そんなの作るの間違えてると思ってます。

でも、「面白い」とか「心に響く」人には憧れるので、自分もそういう選択ができる人になったら良いなあって。


でも人って生活してるとやはり何か道標が欲しくなるもので、ついつい「良い」「悪い」を作っちゃう。

そんな状況を自分が作ってしまう時にすぐにそんな自分に気づける人になれれば良いなあってそんなことを考えたりする今日でした。



おやすみなさい💤


平山トオル