先日たまたま目に入ってきた再放送番組で、
がん治療におけるアピアランスの
悩みについて取り扱っていた。

「外見の悩みがテーマかぁキョロキョロ」と
そのまま見てみたのだが、
なんだかもやもやしてしまった。

まずもやもやしたのが、
爪への影響についての話だ。
「タキサン系の抗がん剤では
冷却法に効果があるという報告がある」
というところまでは良かった。
その後、障害の回復時期について
「“手半年、足1年”と覚えておくと
 良いでしょう。」と説明があり、
「ほぉ〜、そう思っていると
 なんだか安心ですね。」と
聞き手役が相槌を打っていた。

治療期間が含まれていないのが
気になってしまった。
それに回復するとはわかっていても
「治療期間+半年または1年」は
当事者にとってみれば長い。

また「桃栗三年柿八年」のようなリズムで
「覚えるとよい」と言っていたのだが、
誰に覚えさせたいのか
よくわからないとも思った。
聞き手役は患者ではないので
周囲の人だろうか。
これから治療する人だろうか。
治療中の人だろうか。

「半年もすれば治るよ」といっても
個人差もあるだろう。
その後の維持療法によっては
元には戻らないこともある。
「手半年、足1年なんだから
大したことない。我慢しろ。」と
言われている気持ちにもなった。

それでもなお見続けていたのだが
見た目の悩みというのは
 コミュニケーションの悩み、
 社会がなければ消えてしまう悩みです。」
という説明で再びもやもやした。

そんなつもりはないのだろうが
「社会に出てこなければ
 悩まなくてすみますよ」と
言っているようにも取れるからだ。
なぜ「消えてしまう」ことを
強調してしまったのか不思議だ。
そもそも社会はなくならない。

しかも「家庭も職場も同じ社会」と
ひと括りにするのも雑な印象を受けた。
我が子に時間をかけて理解してもらうのと
職場の人にウィッグを着ける理由を
説明するのは状況が違いすぎる。

「病気の情報は重要なプライバシーなので
 言う必要はない」から
「“気分転換”と答えるのもよい」と言うが
「気分転換」と説明するだけでは難しい。
本当の髪を切ったり
色を変えたりしたのではないので
後にウィッグと知られてしまう
可能性だってあるのだ。
気分転換で髪は抜けない。

「『年下の彼氏ができたの』と
 言った人もいます。」などと
おもしろエピソードとして語っていたが
後で嘘と知られる方がきつい。
「彼氏とはどうなっているの?」と
問われでもすれば、
また嘘で取り繕う必要が出てしまう。
同僚は二度と会わない人ではないのだ。
コミュニケーションの悩みが
増えてしまっているではないか

一方、こちらの冊子に書かれた言葉には
背中を押してもらえたキラキラ

病院の資料コーナーでもらった冊子だ。


「外見ケアは友人や職場といった
 社会との関係を維持し広げるための
 重要な役割である」という
説明もそうだが、
「身体が生かされていても、
 社会の中で生きていると
 実感できなければ、
 本当の意味で生きているとは言えない。
 人は誰かとつながって
 初めて生きていると
 実感できるんだもの。」
言っていたという患者さんの
エピソードにホロリとした。

本質的には同じことを言っているのに
アプローチの仕方で感じ方が
こんなにも変わるのかびっくりと驚いた。


「悩みをクリアした人たちが
活動的になれば、経済の活性化、
引いては豊かで成熟した社会の実現にも
つながるでしょう。外見ケアには、
限りない可能性があるのです。」


みんながつながることのできる
社会でありますように照れ

(オマケ)

眉頭を見失いがちな時期なので

とても助かっております口笛