リベラル(Liberal 自由主義 革新)という名称があります。私も若いころは新しことやものを好み、自由(違法性、選挙にいかない、自己中心性、つまりアナーキーな反社会人)という行為を満喫していたようなので、本来の意味するリベラルだったのかもしれない。その観点からすると、DEI&表現規制など自らのイデオロギーにすぎないことを「政治権力」と結託し他人に強制し思いを成し遂げようとする勢力にリベラルと流用するのは誤用もいいところだから、こちらのブログでは、極左、使える馬鹿、酔うたような衆、「異常」な価値観のアップグレード系推し 、あまのじゃくなどと、その場面に応じ名付けていて、否定的な文脈を用いていることから、私が、リベラルと誤用されている層の考えを否定的に捉えているからというのは、その通りで、私が付けている呼び名が正用と考えています。そう云い張るからにはそれなりの理由はあるからですが、このリベラルについての呼び名の扱いに困るのは何も私だけではなく、社会心理学者のジョナサン・ハイトはThe Righteous Mindの著書に、リベラルと称呼されているも自由主義(自由主義の例えが、肉を買ってきて、その肉で性行為した後に調理したについて、他人がどのように道徳性を感じるのか、自由主義者なら他人が買った肉をどのように使おうとそれは個人の自由なので問題ないに対して、その話を聞いて眉をひそめる人たちは、その行為は道徳的にどないやねんと感じているならそれはリベラルとはいえないというもの)の本来の使い方ではないと指摘している。リベラルというと自由という文言から耳障りの良いような扱いがされておりますけれども、自己分析しているように、リベラルはジョンロックの自由は責任を伴うとする観念がなければ、単なる自己中心性の反社会人に過ぎず、政治家、マスメディアが代表するように、自由と責任の責任はまるで守られていないので単なる反社。(政治責任と他人には責任を押し付けるも大きな問題を起こして倒産したマスメディアがどこかあったでしょうか)そんな単なる反社が社会を変えてやると、おのれのイデオロギーでしかないことを善(社会的正義)として強要しようとしているが、おのれのイデオロギーなんてものは暴力団構成員も善(必要悪なんていう言葉に変えて社会的正義とすら思っている)であると信じて持っている。

 

 

それではこの特性を持った人たちは何者なのか?その対にいる保守と言われている人とは?ということが今回のテーマです。


 

リベラルというかアメリカ民主党  多様性、人にやさしく弱者救済、環境保護

保守というかアメリカ共和党    国体とは(いろんな人の集まり)、共同体の共助、歴史文化の保持

 

 

この似て非なる価値観は何が正しいと考え、守り大切にしたいか、そのことで出てくる犠牲を何にするのかの対象に違いがあらわれることで左や右、リベラルや保守という名に変えて確執が生じたりしている。ジョナサン・ハイトがThe Righteous Mindの中で提唱している「道徳基盤理論(Moral Foundations Theory)」は、人間の道徳的判断は生得的な6つの基盤「care配慮」「fairness公平」「liberty自由 権利」「loyalty(忠誠)」「authority(権威)」「sanctity(神聖さ)」に基づいているとして、リベラルの傾向としてはこの6つの中の「care」「fairness」「liberty」に重きを置き、保守は6つの基盤をバランスよく持つとしていて、6つの道徳に訴えかけることができる共和党は選挙に強いとしている。

 

 

「loyalty(忠誠)」=仲間意識、自己犠牲、裏切りへの嫌悪の感情が道徳性価値に影響している。

「authority(権威)」=年功序列的な縦社会や社会秩序を尊重する感情が道徳性価値に影響している。

「sanctity(神聖さ)」=アニミズムや律法を順守する感情が道徳性価値に結び付いている。

「care(配慮)」=いわゆる相手の身(立場)になって共感や保護、慈悲を考えるが道徳性価値になっている。

「fairness(公平)」=不正に対して強い正義感を持つ

「liberty(自由 権利)」=反権力や平等

 

 

ちなみに(目立っている代表的な)本邦のリベラル左派は

「care」仲間内とその対象に配慮することで徳ではなく得が生じるときに配慮が生まれ、それ以外に対する配慮なんてものは微々たるもないご都合主義であり、しかも配慮なのに他力の他責が多い。

「fairness」差別をするなと言いながら差別心が異様に強く、反権力と言いながら実質は反自民党なだけで、他の野党の犯罪には目を瞑る場合が多い。

「liberty」平等は自身らが認めた対象のみであり、政治権力を使い強要する欲望を持っている。

 

というようにカントの徳に対する義務(~すべし)という話ではなく一般的な道徳すら存在しないことから、左はなぜ嫌われているのかなんていう話題が持ち上がったりします。簡単に言えば多様性、人にやさしく弱者救済、環境保護と一応は外面を繕っていはいるが、リベラル左派は社会を変えてやると人に要求してくる以外は何もないフリーライダーだからです。ネットフィリックスにあるチンパンジーの帝国を見るとわかりやすいですが、自分勝手なフリーライダーだらけになるとその種は生き残ることはできません。共同体を作ることで生き残っている。人類も進化の過程でフリーライダーを排除する感情を手にして、フリーライダーが蔓延らないような社会を作ってきましたが、文明の進化により出てきた余裕からフリーライダーが跋扈するようになってきた。チンパンジーの世界でも隙を見て1位の座を狙う2位、3位が結託していても、外敵が襲ってきた場合は、手を取り合い戦おうとする。嫌悪感は相手に寝返る裏切り者のフリーライダーを許せばその種は消滅するとする感情からきています。

 

 


 

 

お題のGod's Gonna Cut You Downはアメリカの民謡をジョニーキャッシュがアレンジしたもので、曲名はrun onとしても有名、悪いことをしている人たちは、今は逃げられているかもしれないが、いつか死が訪れ神に刈り取られるよ、という歌詞で、曲だけ聞くと共和党の方に馴染むような気がしますが、ジョニーキャッシュ自体はアメリカ民主党を支持しており、貧困や弱い立場の人側に立つという意味で黒い服を着ていて、薬中の時期もある、いわゆるリベラル左派層です。