16世紀から17世紀にかけて王族、キリスト教の封建時代から脱却しアンシャンレジームとなりましたが、アンシャンレジームからの脱却に内包している宗教革命も奇妙な価値判断=権利運動を理解する上で手づるとなる出来事です。カトリックの教条に堅苦しさを感じイタリアからルネッサンスが萌芽し、それが広がり啓蒙思想となり、ひいては宗教革命、アンシャンレジームに発展しました。宗教革命を簡単に書けば、行いや善行は救いの条件を信条とし贖宥状を販売するカトリックの考え方についていけずにキリストを信じる信仰のみによって救われるのプロテスタントや清教徒ピューリタン(改革的プロテスタント)などに枝分かれしていくのですが、価値判断が衝突するのでユグノー戦争(貴族の党派争いでもある)のように戦争にまで発展していると、宗教覚醒はこれまでも何度かありましたが、宗教戦争のようにYES WE CANの政治が絡んだので、この表現も駄目、あの表現も駄目と、今度は教条に先祖がえりをしようとし国民の間で軋轢が起きているが、責任は持ちたくない覚醒しようとしている先祖返りの側が反対の立場にいる側を分断を煽っていると喧騒しているが、アフォーダンスに政治を絡めて手を出すと戦争に発展しかねないのはキリスト教圏の人間なら我々よりも宗教革命から宗教戦争になった経緯を理解されているはずなのですが、そうでもないようで、そうしたものの現在の極まりがワシントンとカルフォルニアでタコは知的生物だから養殖禁止法が成立したという・・・LGBTQ、移民、パレスチナのように連関していくと、いつしか哺乳類を食うなのヴィーガン運動にお鉢が回って、哺乳類を殺すなが旗印のヴィーガン革命で大勢の死者と、「みじめな笑劇」が繰り返されても私は何も驚きません。例えば日本は現在選挙中ですが混迷すれば確かに報道機関としては話題に事欠かないというメリットはありますが、#1立憲、共産、社民、れいわらが議席を獲得したところで国民にとっても、もし報道人の方に家族がいれば家族にとっても無駄な時間が過ぎ安定性を欠き、後人に多大に厄介ごとを残すと遅い思考で家族のことを真剣に考えれば選択してはいけないということぐらい報道にたずさわっているなら日本が置かれている立場を念頭に理解できるはずですが、衆議院選挙の争点は裏金問題と喧騒し混迷の道へと誘導していると、現実は陰謀論に出てくる話のような計画的、合理的にできているのではなく情念が理性を支配しているおかしな世界だから何が起こっても不思議ではありません。
#1自民党が良い政党と言っているのではなく、私から見れば公と私の区別もつかない運動家気質の政治家は害悪でしかないという話で、日本の左派野党は口では国を護る的なことは言うが国防意識がないと人は守れないのに、敗戦国の贖罪意識から国防に関する意識はかなり疎く、人気のある人権が上位に立ち過剰な福祉と道徳に固執する。それは公よりも私を優先するからであり、その福祉と道徳には金が必要だから財源の話が出てくるけれども、社会保障に随分持っていかれているので、それは増税という話になり、増税して経済を冷やし失業者をだして振出しに戻り福祉と道徳の話のくりかえしとなる。それから支援団体の日本労働組合に対して貢献しているのも福祉と道徳もどう見ても自民党で、荒畑寒村が前身の日本社会党を「社会主義とはまるで縁のない分子と、情実と、便宜のために作られたに過ぎなかった」と言ったそうだが、それであるなら、そもそも土台となるものも空虚で自民党が国家社会主義的な政策を好むので、今更、社会主義云々と言ってもしょうがなく、結局、過剰な道徳と福祉というしかないと私は思っています。
ディープステート
ギビング・ブレッジという大資産家による寄付の啓蒙活動があり、資産の半分を自身が選んだところに寄付をするという取り組みらしい、それ自体は大富豪の慈善活動に過ぎず、多大な社会貢献をもたらしているのですが、大資産家による寄付活動の金は奇妙な価値判断をもち、あれも表現してはダメこれもダメ配慮が必要と、しかし対象は我々の考える弱者でなければならず、それに逆らう人たちには権力と金の力で生存権を奪い人の口をふさぐ活動を社会的正義と考えている人たちにも流れていて、協力すらしている。協力については、それまでは大々的に表に出るようなことはしていませんでしたが、ハマスによるイスラエルテロ攻撃によって大学構内等で行われている学生らによる報復しているイスラエルに対する抗議デモの禁止を卒業生をはじめとする寄付提供者からの要請があり。祖国の一大事にやむを得なく表に出てきたわけですが、それに従わなかった校長らには反ユダヤ問題として議会下院公聴会へ召喚されメディアからも問題視され口をふさごうとしている、またイーロンマスクのXにもマスクがユダヤ人が白人への憎悪を掻き立てている(おそらく一連の運動介入についてだと想像するが)との反ユダヤに関係するかもしれない他人の投稿に「真実を語っている」とマスクが返信すると、そうそうたるグローバル展開する企業「アップル、IBM、ディズニー、ライオンゲートワーナなど」が広告を出すのを停止した、マスクはこれに対して金で脅迫するのか・・・と言葉を返している。これらは奇妙な価値判断の社会正義運動の件でキャンセルし生存権を奪い人の口をふさごうとした同様の手口、だから意識の高い学生諸君なら、あなたたちがそれまで~運動として人を排除したり思いどおりにできていた力の源の正体は、今あなたたちの口を塞ごうとしているものと同様の存在であるということぐらいは理解できるでしょう。金の力と権力で人心を操ろうとするのは、人間が欲心に弱いのは事実であるが、それは軽蔑される要素でもあるということを、そしてあなたたちは自意識の球体に迷い込んでいる(だから運動が重複している人は休むこともなく新しい何かが出てくれば前後関係なくそれに飛びついているのではないのか。でなければ女性に権利をとしながら女性と権利が重なるLGBTQに権利をとし、そのLGBTQなど認められるものではないとしているイスラムとの連帯はできないでしょう。)それは日本においても、性的マイノリティの権利をとうたいながらペドフィリアやロリコンは許されないの日本版dbsでは性犯罪の「恐れ」だけで職場の配置転換ができたりするという人権意識の醸成とは真逆のことを同じ政権が当然の顔をして決定していたりする。要するに政治家は「性的マイノリティ」が何なのかの意味すら理解していない可能性があり(性嗜好に関わる問題だから性的マイノリティなのでありQの切り離しはあり得ない)そんな人たちが法律を書き換えている。
LGBTの権利を後押ししているオープン・ソサエティー財団からヒューマン・ライツ・ウォッチ に1億ドルを寄付、そのヒューマンもLGBTの権利を後押ししている。
https://www.opensocietyfoundations.org/voices/topics/lgbtqi
理解していないと、こうした発言をします。
「経団連の十倉雅和会長は20日、自民党内で意見が割れる「LGBT理解増進法案」の議論について、欧米と比べての遅れを「恥ずかしい」と語った。」自由主義社会の中で「法律や宗教の抑圧もなくむしろ自生的秩序があった」これがどれほど尊いのかを理解できない人のほうがとても恥ずかしいことなのですが、学力の高い大学を出て大企業の社長に就任した、それはそれで大きな実績なのでしょうけど、その実績で全能が備わるわけではないのはゴーンを見てもわかるようにいくら金や肩書を持っていてもその他において優れているわけではなく、意見だけならそこら辺のおっさん一人とそれほど変わらないのですが、残念ながらその金や肩書に人は弱く、有識はなくてもメディアに有識者枠で取り上げられ影響力をもっていたりします。この影響力は本当に困ったもので、陰謀論のように組織だって計画的行われているものなら、計画ですから綿密で、その落とし処もそれなりにあるでしょうけど、数百万人単位で死ぬ戦禍は、死ぬ前に手にした権力を使って歴史に偉大な人物として名前を刻みたい自己顕示欲という野望や偶然から起きているということはアンシャンレジームにも書いたように、欧州から何度もあって、今もプーチンの自己顕示欲によってロシアはウクライナに侵攻している。持っている力を行使したい、持っている力の大きさこそ違いますが、手にした金と権力を使ってということではその行為と結果に違いはあっても、思い立つ根源の部分ではどれも違いはありません。つまり歴史に名を刻みたい、偉いから人々の記憶に残りたい、この世に何かを残したいという、人間の本能から湧き出てくる、仏教的に言えば三毒の一つ貪欲であり、マズローの5段階の要求の言うところの高次元の自己実現の要求といったところでしょうか、カルロス・ゴーンにしても残りの人生で使い切れないほど十分に財を持っていても、会社の金を個人的なことに使う背任をして、逮捕されたからと国外逃亡まで実行してしまう、せこい人間ですが、使いきれなくてもまだまだお金がほしいという欲があるうちはお金持ちとしてはまだ遜色であり、偉くなると金と権力の力で大概のことが達成するので宗教家だけではなく神に(なったと思う人まで)近づいたと錯覚してしまう人もいるのですが、死に対する恐怖だけは金と権力を持ってしても手に入らないから、それを和らげる為に抵抗する。それが歴史に名を刻みたいという貪欲で、プーチンもコロナ禍でのあの20メートルはありそうなテーブルの神経質な振る舞いを見ていると、自分の死の恐怖で死生観が狂い歴史上の偉人になりたいという要求が強くなったのかもしれませんが、合理的に考えれば余計なことをしないで死んだ方が歴史的評価としては高いかもしれませんが、クリミア半島侵略も上々の出来もあり貪欲に勝てなかったということでしょう。三毒の後の二毒、瞋恚(しんに)は怒り、愚痴は物事の真実の道理を知らない人間としていて、三毒は悪業の基になると仏教の世界で教えられています。三毒の対処としては骨相観(屍が朽ちていく) 慈悲観(慈悲なる心) 縁起観(現象は相互に依存して生じる)を知るとありますが、差別と同様にそれができないのが人間という生き物であり、意にそわない相手に差別主義、排外と烙印を押すのも同根の差別、排外だが、愚痴だから、それを指摘、弾圧する側だから許されていると思っている人に縁起観は意味を持たない。そして骨相観を持てば持つほど貪欲にとらわれてしまうというように人間という生き物は誰でも俗欲があるということを前提にスタートすることが好ましいけれども、恐らく、ほとんどの人は死ぬまで達成できない教えですから、一つの指標として頑張りましょうぐらいが適当かなとは思います。
陰謀論を口にする人たちが闇の勢力が存在しているように見えているのは物事の真実の道理を知らない愚痴だからということについては、High&Low2 End of Skyにヤクザの組長を演じる岸谷五朗の「お前らと俺らの喧嘩の違い、教えてやろうか?隠蔽できるんだよ」というセリフがありましたが、報道機関(メディア)というところは、処理水を中国や社民共産立憲と口をそろえて汚染水と針小棒大に騒いだり、報道しない(しても小さく割り当て問題としない)自由を駆使し情報を都合の良い方にコントロールします。子宮頚管がんワクチン(HPVワクチン)一つにしても、ある新聞は副反応によるキャンペーンを張り厚労省は2013年からワクチンを積極的に勧奨するのを停止、報道を聞いて、ワクチン接種を見送った方々もいる。厚労省の調査で入院が必要な副反応は1万件に6件はあったようですが1万人に132人は一生のうち子宮頸がんにかかる割合でそのうち34人が亡くなるということ。確かに副反応の人は存在するのですが、人の生命にかかわることを、普段は人権を叫ぶ報道機関が慎重に考えずに一つの事実を報道したまでという態度で報道してしまう。また非加熱血液製剤の件でわかりますように権威の顔を立てるために驚くぐらいにいい加減な人たちによって運営されていたりということがあるので、原口さんのようにワクチンが生物兵器まがいと感じるのは、まるで根拠がない愚痴ではなくて、実際の経験則によって生じている可能性がありますが、それなら、それで他の人よりも、もっと調べて詳しくなれば、処理水も同様に理解を深めることもできると思うのですが、自身にとって都合の良い意見が目に入ってしまうという矢張り情念が理性を支配してしまうのでしょうか?しかし、これも隠蔽するメディア、権威とその周囲のいい加減なやらかしは存在しています。あとは実存の価値観のアップグレートを旗印に権利運動に励んで教条に先祖がえりをしようとしている人たちとルネッサンスの人たちとは価値観が違いますから対立するのは仕方がなくて、先祖返りがキャンセルさえ使わなければここまで瞋恚が増すことはなかったのですが、本来、冷静に対処しなければならない政治権力が味方に付くので残念ながら双方に瞋恚があり、慈悲観もあまり意味がないかもしれません。何度も言いますが軍産複合体と同様に、こちらも実際に存在しているので闇の勢力ではなく、「~複合体の社会人文学版が昨今のme toやWokeなどの動きだと私は思っていて」と書きましたが複合体かと問うとパレスチナの連帯を見ればわかりますように一枚岩ではなく互いの思惑が絡み合い利用しあっている集合体と称したほうが適切かもしれませんが、経験則から見ると巨大な闇の組織に見えてしまうのでしょう。貪欲と報道機関の隠蔽できるんだよ、権威とその周囲のいい加減なやらかしという経験則が合わさった疑心がディープステートの正体ということに行きつきました。
私はボクシングの件、とりわけ亀田批判に意見する為に私と真逆の意見をあえて読むようにしていました。そうすることで相手側の意見を参考に自分の考えに齟齬がないか確認できるからです。そういうことで今回はヤン=ヴェルナー・ミュラーという大学の先生の書いた「ポピュリズムとは何か」という本に注目しました。注目したと言っても本を読んだわけではなくレビューを参考にしているだけなので主張が間違っていたら申し訳ないけど、レビューの大半が同じような内容なのでそこから推測すると、ポピュリズムとは反エリート 反多元主義で自分たちこそが正当な代表者とみなしている人たちのことを指すということらしい、金持ち、権力者のエリートら人間の業が企てたことで世界が揺れているという私の意見とは真逆で、まさしく同じものを見ても解釈は真逆になる「多元」を表しているようですが、ポピュリズムなんてものは既存の構造を変えようと国民に訴えて実現しようとする運動体ということだとすると、多元主義を強要しようと政治権力を駆使して企むエリートらの運動もポピュリズムであることに一つも変わりがないし、日本のコロナ禍もポピュリズムそのもので、メディアが連日、患者数と政府の対応はお粗末だと世論が言っている体にして報道し、それに野党も同乗、それに押された政府が過剰に対応するはポピュリズムの典型でしょう。メディアの患者数の連日報道が無くなったら気にする人はほどんどいなくなった。要するにポピュリズムは人間の業(カルマ)によって生じるものであって一つの事象にポピュリズムと定義しているのなら、お粗末な定義だと言わざるを得ません。価値観のアップグレートなどと言ってカトリックの教条に先祖返りしようとしている側が、お前らは反エリート 反多元主義のポピュリズムだ!!というのは、ここまで説明したように自分たちで動かして(ポピュリズム)おいて責任転嫁するのは卑怯としか表現のしようがなく、リベラリズムはなぜ攻撃されるのか?というが、宗教戦争があり寛容の原理(ナントの勅令 信仰の自由)なんてものが出てきましたが、寛容ということにしておかないと人間は惨劇を起こすからであり、その寛容を大事とするリベラリズムが道徳を権威主義よろしくと権力で押し付けようとし寛容も自由も公正も大切にしないのにリベラルと主張するから嫌われるのです。リベラリズムはジュディス・ニッセ・シュクラーの主張とは少し趣旨は違うが恐怖のリベラリズム=自由主義で人権、権利を掲げた後でも「価値観の違い」で普通に殺し合いをしている惨劇を記憶しておいた方が良い。(もっと言えばリベラリズムの欺瞞はアメリカらの中東への関与は何をもたらしたのか?西側の言うように世界のどこでも民主主義は単なる押し付けではないのか?なぜアフリカ大陸から難民が出るのか、その根源も考えないで裕福な環境で不正義の無視や不寛容といくら言っても解決などせずにせいぜい多元主義と言っている人の自己満足でしかないということを理解していないこと。ブラジルにいる原住民にお前らは古臭い、人権や公正やで、近代化しろなんて傲慢でしかないでしょう)反多元主義が出てきたので移民についても書いておきますが、人類みな兄弟、八紘一宇と日本なら極右でも主張しているものなのですが、日本は他の国と違い不適格と私が思うのは、日本人は軍が強制しセックス・スレイブ(sex Slaves 性奴隷)を行ったと世界に発信されて、いや国が朝鮮の女衒に依頼して募集したと反論してもsex Slavesは独り歩きし、その責を問われています。それで昨年だけで9千人が失踪していると言われている技術実習生、中には犯罪に手を染めているのもいるようですが、あれも後世に性奴隷と同様に「日本人側」からslave laborとして喧伝され、証拠はありますよと、最後は土下座外交しなければならない羽目となるのでしょうか?というのがあるからです。私からすればsex Slaves、slave laborどちらも金で釣って買っているということでは変わりませんので、責を問われている経験則から、どうせ問題を抱えるだけでまともに対応できないのですから、そういうことはやめといたほうがという意見なのですが、sex Slavesに日本が悪い政府は謝罪しなければならないと異常に反応する面々がどうしてか移民に同情的なのが多いような気がします。sex Slavesは悪でslave laborは善というのはどういった論理の組み立て方をすればその考えになるのかが理解できない。
開かれた社会とその敵
寄付の啓蒙の一人、ジョージ・ソロスはカール・ポパーの開かれた社会とその敵に大変、感銘を受けたという話でありますが、プラトン、ヘーゲル マルクスらの歴史主義(歴史法則)を批判し民主主義にも問題はあるけど全体、権威主義ら他に比べれば人間社会にとって最善とするポパー、確かに普遍的に歴史通りにはならないというのは、その通りで権威主義が素晴らしいものではないということも理解していますけれども、同時にポパーも指摘しているように、民主主義にも大きな問題があるの問題が全体主義などあらぬ方向を生みだそうとしているのを見ていると、プラトンの哲人政治と生まれながらの王の政治統治の方が適切としたのも、私は否定しきれないでいる。ミケーネ文明が前にありましたが紀元前なのにポリスを作りアリストテレスは四原因説を考えている、そんな人たちと、それから約2000年以上経ちましたが「隠蔽できるんだよ」の報道に操られてあらぬ方向へ行く民主主義を天秤にかければ、私の否定できないでいるということも理解できるのではないでしょうか?いや、民主主義は統治者を交代させることができるし、生まれながらにしての支配者にとんでもないのが出てくるやもしれないというはその通りであるが、本邦のように交代させたくても残りの政党がとんでもない選択しかないという、サミュエル・スマイルズの自助論にあるように「一国の政治というものは、国民を映し出す鏡にすぎない、政治が国民のレベルより進みすぎている場合には、必ずや国民のレベルまでひきずり下ろされ、反対に政治のほうが国民より遅れているなら、政治のレベルは徐々に上がっていきます。これは水が低きに流れるようなごく自然のなりゆきで、立派な国民には立派な政治、無知で腐敗した国民には腐りはてた政治しかありえない」政治も国民も「隠蔽できるんだよ」に戦前から翻弄されている人がいて、沈殿したままのようです。このことから私は民主主義が最善というのも懐疑的に見てしまいます。
ジョージ・ソロスはポパーの(シュクラーも立憲民主主義が問題はあるが最善としている)民主主義が最善に感銘を受けて支援をしているのかもしれませんが、プーチンらと同様に「手にした金と権力を使ってということではその行為と結果に違いはあっても、思い立つ根源の部分ではどれも違いはない」貪欲に支配されていると私には見えていて、それはポパーの開かれた社会とは相容れない存在である。
訂正、四原因説のアリストテレスのところをソクラテスとしていました。
ポパーは開かれた社会とその敵とは全体、権威主義だと言っています。人々が各々自由に物事を考えられる開かれた社会が最善で、それを可能にしない独裁の統治は閉じられた社会という考えです。私が敵だと思うのはもう想像できると思いますが、「隠蔽できるんだよ」の報道機関です。理由としては開かれた社会として本当に人々は各々自由に物事を考えられているのかという疑問から始まり、ここまで書いてきましたが宗教革命ら~革命の後ろに、常に情報があり、15世紀グーテンベルクが活版印刷の技術を発明し宗教革命の足掛かりになったといわれている。またフランス革命にはジャック・ルネ・エベールが創刊したデュシェーヌ親父、アレクサンドル・ロランが創刊したラ・レフォルム、ジャンポールマラーが創刊した人民の友 デムーランは自由なフランスらの新聞、冊子があり革命に影響を与えた。1812年になると輪転印刷機がイギリスで完成し印刷量が飛躍的にあがる。ドイツのライン新聞の編集長としてマルクスは勤め、その後の1848年共産党宣言の小冊子を発行し全体、権威主義に発展していきました。あとは言うまでもなく情報のあとに血で血を洗う惨劇があると、今も情報が人を支配しコントロールできるのなら、それは開かれた社会とはいえないのではないのか?3回の国政選挙に連続で国会議員を狙ったテロ行為があり、明らかに異常事態で山上の行為を意味あるがごとく報道し統一教問題として取り上げた報道の責任であるのは間違いないのですが、問題になることはなく「異常事態かどうかは我々が決めるんだよ、お前らと俺らの喧嘩の違い、教えてやろうか?隠蔽できるんだよ」と私は思っているので、そんなものが長年社会の中核にいること自体が間違いで、一億総白痴化と言われてから67年経ちますが国民の成長を妨げている。一国の政治は国民を映し出す鏡に過ぎないが国民も報道の質を映し出す鏡にすぎない、報道機関が実は行政機関から情報をもらわないと頼りない存在だということは東日本地震での原発報道で政府も情報を持っていないから報道も同様に持っていなかった、それに科学報道もNHK以外は無知もいいところで、結局、行政のリーク、レクチャーを受けないと記事のネタにありつけない始末、それで処理水報道での汚染水の話から、西村康稔さんがXで行政の安全対応を自ら公表したのは質も高く非常に素晴らしいことでしたし、その後、岸田さんも能登の件でいい加減な記事を書く人がいるので自ら行政の公報的な役割を果たしていたのは、これまでは行政機関の人が報道にレクチャーしていたものを議員さんが直接国民に伝えるスタイルは政治と国民の信頼関係となり政治活動として前進した形となった。このように社会の中核に報道が存在する必要はなく、事件も警察が事実を直接伝えれば、これまでとは違った社会が形成できる。それでは調査報道ができないだろという意見は出てくるが、私の意見は社会の中核に報道が存在する必要はないということであり、それも政府が特別席(地デジ化、消費税の軽減税率)を用意するのは市場の競争からの発展の阻害の観点から見ても間違いで、TVショッピングばかりのBS、CSで放送できるのだから、そこに引いてもらうだけで、ホワイトスペースだけではなくUHFが空くので社会にどれだけの恵みをもたらしたのか、何よりも一億総白痴化から脱却し国民の意識の向上に役に立つのではないのか、しかし、国民の意識の向上がないので政治の向上もなく、戦略的に仕掛けることはできなかった。安倍政治を許さないというキャッチフレーズがありましたが、私は戦略的に仕掛けることはできなかったということで政治の安定と甲乙はつけられませんが、それができるのは失脚から再起した安倍さんの役割だと思ったので安倍政治を許さないという感情があって、第一次安倍内閣は絆創膏議員、ナントカ還元水で足元をすくわれたのだから、この国の何が足を引っ張っているのかを理解しているはずで、理解していたからワイドショー政治をまともに相手にせずに長期政権を築き上げたと想像すると、なぜ新聞に消費税の軽減税率を施したり地上波をBS、CSに移動してもらわなかったのか?もちろん、移動させるとなると新聞特殊指定見直しの話が浮上した時のように全力で報道機関はつぶしにかかるだろうが、どうせつまらないことで政権が倒れるなら、BS、CSに移動してもらい、報道機関との関係を断ち切るで一政権が倒れる賭けをした方が意義は大きい。足を引っ張るのが後退して国民の意識が変わると、憲法9条2項の訂正も後続が問題なくできる、誰にでもわかるように2項は実体に反する嘘なんだから。しかし日本の報道機関のイデオロギーに沿わないものは否定される閉じた社会なので重要なことは一向に話が進まない。マッカーサーに「日本人はまだ生徒の段階で、12歳の少年である。」言われてから約70年、もうそろそろ自分の知性を使って、判断力のない未成年の状態から抜けでて、戦後レジュームから脱却してもよろしいのではないだろうか、と面白いことに私とは真逆の意見のヤン=ヴェルナー・ミュラーさんも「よく考えて」という結論は一緒みたいで国民の努力によって民主主義は最善となるのでしょう。その足を引っ張ろうとする報道機関は私からすると全体、権威主義と同様に開かれた社会の敵なのです。「お前らと俺らの喧嘩の違い、教えてやろうか?隠蔽できるんだよ」
前半の陰謀論の話とは違って形而上学的な話はないというお叱りを受けそうですが、形而上学的なお話は(自)死について2にケイゾクします。

