日本の社会保障制度に問題があると書きましたように、人口ボーナスで築き上げた制度はそれを維持できないと崩壊するのは自明の成り行きで、昔は女性が社会進出(自立)できる数少ない仕事の一つとして看護婦があり、地方の女性で家にお金がない人は授業料を都会の病院に負担してもらう代わりに卒業後は2年ぐらい働く約束で人材を人口ボーナスの時代においてもそうして維持してきたりした。その後、それでは人材確保の競争に勝てないので病院自体が学校を運営し人材を確保している(つまり人口ボーナスの時代でも看護師の人材確保は難儀であって、存在が当たり前だと思っている医療は歪んだ構造によって成立している)今は「男女共同参画」で女性は看護師にならなくても社会進出できる職業は他にもありますし「家父長制がどうのこうの、ジェンダー~、おひとりさま」と結婚はしないできない、子供をたくさん作らない作れないで少子化を生んだので現状を維持することは無理です。実際に知らぬ間に総合病院の紹介料なしは高額になって、高額医療の負担額、厚生、国民保険も上昇中に薬価の削減と、官僚は政治家に心を配りながらあの手この手のステルス延命が行われて現状維持が無理なことを表しています。私個人としてはそんなことをするより医療用の薬を薬局コンビニで市販として病院に行かなくてよいようにしてくれる方が助かるのに。医療費一人当たりの予算で行くとOECD加盟国の中で平均よりもやや上で38か国中15位、しかし自己負担率は低く38か国中27位、一方、自己負担率は低いが自己負担額は高いアメリカ、医療の水準が高い割には医療費一人当たりの予算を抑えてうまくいっているらしい日本の医療をアメリカのヒラリークリントンは視察したが、アメリカでは無理として帰っていったというのを以前にネットで読んだ記憶があり、どこまで事実かはわからないけど、調べるのはめんどくさいのであったとして書いていきますが、その無理の中で有名なのは、医療従事者の安月給なのに献身的な仕事ぶりはアメリカでは無理ということと、こちらはあまり知られていないのですが、大部屋で人権問題としてあれも無理ということらしく、どちらも日本側の貧乏くさい話なのですが、いずれにしても誰か別の人が払ってくれているから低い自己負担率と負担額で済んでいる日本の公的医療保険(制度)は医療の統制経済と自己犠牲精神を持つ医療従事者によって支えられているのであり、この自己犠牲精神を少子高齢化では維持できないので、結婚はしないできない、子供はたくさん作らない作られないのは是非もなく理由もどうであれ選択したことでしかなく医療や他のインフラの現状維持はあきらめましょう。それが選択した責任です。

 

 

それに関連して少子高齢化の中、移民がいないと社会制度(インフラ)が維持できないと本質から目をそらしている人もいます。これは問題の組み立て方が間違っていて、人口ボーナスで増大したインフラが人口減とともに消えていくのは自然なことであり、要は自分はクーラーの効いた部屋で快適な生活をしたい、自分のおしめ交換など今からおひとりさまとしての保身の心配している近視眼的発想なわけですが、なら結婚して子供ぐらい作れという話、繁殖しなければ焼け石に水、肝要なのは繁殖しないのは他の動物と同様に絶滅危惧種だということであり、そこをどうにかしないとどのみち行き詰まります。インフラの心配をするまえに絶滅危惧種だということを心配しましょう。むしろインフラが維持できないぐらい壊滅しないと絶滅危惧種になるということがどういったものかを理解できないから、そのぐらいにならないと酔うた様な無責任な人たちがますます明後日の方向へとなる一石を社会に投じてくる。なのでそれに文句がある方は「男女共同参画 家父長制がどうのこうの、ジェンダー~、おひとりさま」と社会に一石を投じていた人らに言ってください。これらは社会改革とした政策の結果なのですから。その帰結も考えないで簡単に社会に一石をとしていますが一石を投じるということは、このような結果につながることもあるのです。しかしジェンダー~とか公共の電波のTVを使い一石を投じていた独身の人が老後はシルバーハウスでと言っていて、結局は他人が生み育てたのにごっちゃんなんてどう考えても筋が通らないだろう・・・どうしてこういう簡単に社会に一石を投じる人たちは自分で選択したことを守り責任を持たないのだろうか?

 

そこで第一の道(選択)、絶滅危惧種に問題があると思うのならば社会に一石の価値判断なんていっているようなのは相手にしないで繁殖(政治家がこれを言うと一石の方々は差別と騒ぐも他人の子供の福祉には乗っかろうとする)するしかなく、その繁殖したに応じたインフラの維持を目指しましょう。それを一石に乗じ懸命に邪魔しようとする善意を示したい報道業界には不動産も含めて高課税を課せて徳を積めるようにしてあげましょう。 社会に一石を投じるのですからその責任も持たしましょう。

 

 

昨今の税制に関する議論を見ていていれば何が近視眼的発想なのかは一目瞭然、すべての議論が現状の社会保障、とりわけ医療、介護の維持に通じていて、それも国が手段を選ばず外国人を入れてとしているのは維持するための税収というのがあるとしても、上記に書いているように人口動態的に人口ボーナスの時代に統制経済と自己犠牲精神を持つ医療従事者によって支えられていたのにも無理があったのに介護まで増やして維持できるわけがないだろうというところは見ないようにして、とにかく「今」を逃げ切ろうとしているといえるのは、若者層が国民民主党を支持し、この先、その若者層を敵に回して、岸田政権の政策によって離れた500万人も戻ってこないとなればそれは何を意味するのか、しかし社会保障を問題にしないで棺桶に片足を突っ込むどころか目元まで入っている方々の意向を死守しようとしているのが昨今の税制に関する議論で、要するに中長期的な議論ではなく短期、それも長老議員の寿命内のもの(とにかくバッチをつけたまま今を生きのこりたいんじゃ逃げ切りたいんじゃ)、若い層の支持を得ている国民民主も、どう考えても維持できそうにない医療、介護の維持をやめ、その維持をやめた分で若者層の手取りを増やしますなんて言えば維新みたいに議席を減らすので言っていないから、酔うたような衆の意向は外せないのでしょう。現状の社会保障の維持の軽減には目を向けずに、移民や社会に一石に目を向けていても先はないから、もうどう見ても自民党は与党から降りたいと思っているようにしか見えないし、他の政党が与党になっても問題が解決することはなく与党になればワイドショー政治に追い込まれると何か与党になるのは罰ゲームのような感じなのですが、政治家を目指そうとするのはトロピコというゲームをやっているような感じで気まま勝手に社会を無責任に動かすのに喜びを感じる人たちなのでしょうか?私はフォールアウトというゲームで自分の集めた移民の居住地を裏切れという指令に、え?となり結局、裏切れなかったぬるい人間なので理解できないです。