モハメドアリの逝去。


私の体験としてのアリはアントニオ猪木との異種格闘技戦での猪木の応援側と

レオン・スピンクスに番狂わせで敗れたという外電を聞いたぐらいしかなく

今知っている情報のほとんどはボクシングファンになってからビデオ映像と本で

修めたものだから了知した時からすでにアリは偉大な存在でした。

そんな訳で臨場感というのかな、偉大と言われるようになった背景など

当時の状況を肌で感じていないから20世紀に活躍した選手が21世紀なっても

偉大としてボクシング界のイコン的なものになっているのは、どうしてなのかと自問しても

 

「ボクシング選手としてオリンピックの金メダルにソニーリストンを破って

世界王者、ジョーフレージャ―、フォアマン、ケンノートンとの死闘、2度の王者返り咲き

これは3度のホリフィールドに破られるまではヘビー級の記録で

これだけでも見事なものだけれども、強さだけならジョールイスもマルシアノも強かった

それに後輩にも、今後、もっと上手くて強い選手が出てくるかもしれないから

まさしく 蝶のように舞い蜂のように刺して天賦の才を発揮したカシアス・クレイ時代

オールドファンの中にはカシアス時代までが本当のアリだと主張する人もいるけれども

イスラム改宗や徴兵拒否を経てジョーフレージャーとの第一戦を迎えるが

この試合の敗戦あたりを境にスピード&瞬発力に陰りが見え始めていて

(スピードを身上とする選手はスピードが落ちると減退するのは自明だが)

著名試合として語り継がれている、その殆どは陰りが見え始めた逆境のなかで

心技体(この体はタフネス)を駆使し辛うじて勝利を手にしている、

こうした困難と闘う姿勢に共感する人も多くいて、それぞれの物語、

一つ一つに衆目を集めたからと」

 

聞きかじる程度の回答しか出てこない。

そんな私がアリのことについて書くのは正直、厳しいですが

追悼の意を込めて書きたいと思う。

書くにあたって、どうしてイコン的な存在なのかと自問したように

多くの逸話もあって好き勝手に放言している黒人選手や

エンターテイメント性など、その功績に触れる機会もあるけれども

今では当たり前となって意識しにくくなっている部分もある、だから今回は

当たり前の部分を意識して今一度、その功績を少し振り返ってみたい。

 

今ある日常を勝ち取るために、すべてをかけて闘った男こそアリなのであるって書けば

何か格好良い響きですが、当時は常識に反する男に見られていたことでしょう。

投獄していたタイソンが刑務所でイスラムに改宗したというものがありましたが

アリの時代はイスラム改宗は社会的懸案でありCIA、FBIからマークされる事案

だから著名人が表立って、そうした社会活動を行うということは偏見を持たれる

リスクを伴う行為でした。案の定、騒動となり州のコミッションが問題なしとしたので

首は繋がったが(不問になった)認定団体から「ボクシングの利益を著しく損なう行為」

としてベルトを一時剥奪された。ベトナム戦争の選抜徴兵にしても追従していれば

慰問使節団として扱われた可能性だって十分にあったと思うけれども

良心的兵役拒否を理由に拒否して逮捕、ライセンス失効、タイトル剥奪、のちの裁判で

良心的兵役が認められて無罪となるがボクシング選手として盛りの25歳から29歳の

3年7ヶ月を失った。

 

私がここで不思議に思うのは自転車を盗んだ犯人に仕返しをするために

ボクシングを習い始めたというエピソードからして幼少時代から

裕福ではないかもしれないが犯罪に手を染めなければ生きていけないほどの貧困でもなく

ましてや金メダリストから世界ヘビー級チャンピオンという

人もうらやむエリートコースを歩んでいて成功者として十分に生きていけるのに

どうしてイスラム改宗やら徴兵拒否など、わざわざ波風を立てる必要に迫られたのか?

公民権運動(公民権法)の成功は勿論、公衆トイレは別々でバスの席を譲らないと

逮捕される時代に不当な差別だと席を譲らなかったことで逮捕された

ローザ―パークスのような多くの無名の人の勇気と努力によって手に入れたものだけれども

著名人は社会に与える影響力があればあるほど受ける反発も同じように大きく

マルコムXは内ゲバで殺され、マーティンルーサージュニアも暗殺されたように

中心的な活動は決死の覚悟が必要だった、すでに別の世界で富や栄光を

手に収めている著名人が火中の栗を拾う必要など

どこにあるのかと凡人の私は考えてしまう。

 

金メダルを獲得して国家に貢献したのに黒人という理由でレストランから

締め出されたり、白人の暴走族に嫌がらせを受けて川に金メダルを捨てたといういう

有名な逸話、これはゴーストライターの*ダーハムが作り出した話で

実際は紛失したという話が今のところは有力のようですが

黒人拒否のレストランに入れなかったのは何もアリだけの話ではなく

先輩の黒人世界ヘビー級チャンピオンもみんな入れなかったし

( ジャック・ジョンソンの教訓からか波風を立てることをわざわざしなかった)

アリも黒人が生意気な口を利くことや非国民扱いをうけるということはどういった

リスクを伴うのかエメット事件(白人に生意気な口をきいた少年が惨殺された)や

リンチを受けて木に吊るされた事件を子供のころに見聞きしていて

どういった振る舞いをした方が良いのか、その作法も理解していたでしょうから

ソ連の記者に *1「黒人の入れないレストランがあるような国の為に闘い栄光を手にした気分は」と問われた時には「そういった問題に取り組んでいる人がちゃんといるし、

その結果がどうであろうと俺には関係ない、俺にとってアメリカ合衆国は世界一の国なんだ」と模範的な回答をしていて、先例を見らなっていたなら入店拒否など不遇もあるけれども好感の持てる人気者の

世界チャンピオンを演じられ安穏なボクシングライフを過ごせるのも重々承知していたけれども、安穏なボクシングライフに背を向けて*2「新しいタイプの黒人がどういうものか

それを世界に証明する必要があった」 を信条に先例を見習うどころか他の選手をアンクルトムと論い四方から不興を買った。

 

*ダーハム( 黒人ムスリム新聞ムハマンドスピークスの編集者)

*1*2出典 「モハメッドアリ その戦いのすべて」ディビット・レムニック著より

 

こうした信条はどこからきているのか?

 

この問いの答えのヒントになりそうなものが「モハメッド・アリ その戦いのすべて」 の

シュガー・レイ・ロビンソンに会いに行く件にあるので抽出すると

ロビンソンに会わせてやるとジャーナリストがアリをハーレムに所在する

ロビンソンの経営するバーに連れていくのですが、その途中、路上で人目もはばからず

人種差別の演説をしている人を見たアリは「やばくないの、あんなことして」と吃驚している

数年後にそうした活動の中心人物になっているとは、この時には

思いもしていなかったのだろう。

ロビンソンとの初対面ではつれない態度をされたことに対して

「自分が偉大になったらもっとまともな態度でファンに接する」と誓言

これはフロイドパターソンとの対面でもつれない態度をしたパターソンに対して

「侮辱されたからいつか借りを返す」としていて

大人になると憧れの人が自分の想像を膨らませた人物像ではないことも

往々にしてあるということや、年がら年中、 著名人は人に囲まれているのだから、

いつもニコニコしているわけではないと寛容に考えることもできたのでしょうが、

年若のアリは物事をストレートに受け取る純真な性格だったのでしょう

これらのエピソードから純真、理想に燃えるロマンチシスト

そして高いプライドを持つアリの性質の一班を窺い知ることができる。

その中で理想に燃えるロマンチシスト 、プライドの高さも重要ですが

私は純真な性格がポイントだと考えていて、それはこの本には

パターソン×リストンの話も触れられていているのですが、そこのヘビー級チャンピオンと

公民権運動の旗手にまつわる箇所に公民権運動を主導するリーダーたちは

白人にも好感をもたれている上品なパターソンが公民権運動の旗手なのは相応しいが

元受刑者のリストンが旗手になってイメージが悪くなるのを恐れていたというのがあり、

アリ以前にも悪く言えば広告塔としての役割が世界チャンピオンにあったということが

描かれていている(パターソンはマーティンルーサージュニア側の公民権運動)

勿論、アリ自身も社会問題に関心を持っていたのだろうけど

旗手としての道筋があり、アリの純真さ、これを利用しようとするのが現れても

何も不思議ではない状況から察して、私はこれが入り口となって理想を追求する精神が

ネーションオブイスラムの教義に投合し暴力をも厭わない分離主義に

傾倒していったのではないかと推し量っている。

純粋無垢といえば聞こえは良いがどんな色にも染められるということでしょうから。

 

ここで疑問がひとつ生じる、アリは現代では人種差別と闘ったと

伝えられているがネーションオブイスラムの教義には白人を糾弾する逆人種差別があり

主流であるルーサージュニアの掲げる人種統合かつ非暴力としての

南部公民権運動とは相容れない存在であった。

アリのイスラム改宗が社会的懸案 となったのも当時の観念からすると

分離主義的な考えは非常識というのが大勢で黒人層からも

懸念されていたから人種差別と闘ったということ自体は誤りではないのですが、

一時は逆差別も厭わない急進派に見られていたということです。

いつの間にか社会的評価が変わったというのは奴隷解放運動家ジョン・ブラウンと

よくにているのですが 、恐らく今の人種差別と闘ったという印象は

のちのベトナム戦争での反戦運動以後に出来上がったのではないだろうか。

その徴兵拒否もアリの思想に強い影響を与えていたとされるマルコムXの

影響を受けたと言われているが掘り下げるとイライジャムハンマドも

1942年の第二次世界大戦の選抜徴兵を拒否して起訴されていて

徴兵拒否も元はネーションオブイスラムの観念形態

つまるところ激動期の衝動に駆られたのも、もちろんあると思いますが

もう一面は人種差別、徴兵拒否の社会活動はネーションオブイスラムの教義を

忠実に守っていたということになるのでしょう。

 

それで何を得たのか?

 

公民権運動の結果、ジムクロウ法の撤廃と公民権法を掴み取ったが

これはフレデリック・ダグラスの系譜に属するルーサージュニア側の人種統合で

ネーションオブイスラムの教義が求めていたマーカスガーベイ的な分離政策ではない。

求めていた降り口が違うのだから同じ人種差別と闘うといっても十把一絡げというわけにはいかない、これは当初の目的は未達成というほかない。良心的兵役拒否についても

戦争自体の評価や正誤の判断はベトナム戦争は第一次インドシナ戦争からの共産との代理戦争という背景があり立場によって変わるでしょうから置いとくとしてアリ自身の良心的兵役拒否の戦いは無罪を手に入れて決着はついたが、平和を求めるという意味においては

アメリカは、その後もイラクにアフガニスタンと中東で戦闘を繰り広げており

ベトナム以降も戦争の当事者であることはなにも変わらない。もしアリが心底から

平和を望んでいたなら、これも志半ばということになるのではないだろうか。

 

けれども著名人アリの決死の政治的な発言は

信条に違いはあるけれども多くの方々に勇気を与えて

その結果、公民権法に繋がっていったのだろうし、そうした社会運動の高まりが

アメリカをベトナム戦争撤退に追い込んでいったのも確か

一般的には教条主義化したものには警戒心が強くなるものなのですが

人々は信条の違うアリの声に耳を傾けた

恐らくこれは当時としては過激とされる思想でしたが底意にはあったことと

純真さからくるアリの言動に胸算用を感じなかったからなのでしょう

 

そして何よりもルーサージュニア側の人種統合はアメリカ社会が形成した黒人はこうであるべきという固定観念を打ち破れただろうか?ジャック・ジョンソン以降の黒人ヘビー級王者たちはジョンソンの教訓から振る舞いや発言に

神経を尖らせジョールイスは倒れた相手を見下ろさない。クリーンな試合をする。

女々しい試合をしない。八百長はない。単独でナイトクラブに行かない。

白人の女性とは一緒に写真を撮らない。カメラの前では無表情をキープする。

という明らかにジョンソンの教訓を意識した( seven commandments )7つの戒律を宣言し

礼儀正しいということを前面に押し出すことで社会に受容されようとしたが

ありのままの自分でいたい「新しいタイプの黒人がどういうものかそれを世界に証明する必要がある」を意としたアリはジョンソン以降の習わしを嫌い自由奔放に行動し、ずいぶんと反感を買うことになったけれども著名人であるアリが行動することでありのままが認識され黒人はこうであるべきを打ち破った、というのはアリ以降に出てきて好き勝手な言動をしている黒人ボクサーを見れば一目瞭然ですが、メイウェザージュニアが白人の総合格闘家ロンダとレイラアリを対照してロンダがCMや映画で活躍できているのは人種差別があるからだという話をしていましたが、これはタイガーウッズに多くのスポンサーが付いている時点で消費行動を意識したマーケティングに過ぎない話なのだと思いますが、ルーサージュニア側の人種統合の帰結がこうした過度なポリティカル・コレクトネスならば

どちらの思想が黒人社会にとって良かったのか

自由と平等は両立しませんから、これは本当に難しい問題だと思う。

 

今では当たり前となっているので意識しにくくなっているのですが

このようにアリの功績は実存は本質に先立つではありませんが

他人に決められた人格で生きるのではないというもので

それをアンガージュマンになることでアメリカ社会が作り出した因習を打ち破り

自由精神を確立して良いことも悪いこともありますが

今ある日常を手に入れたことになるでしょう。

これはマーティンルーサージュニア側の

協調的なものではこうあるべきは壊せなかったかもしれない。

 

アリの特質するところは

どの困難も吸収し自分の養分に変えてしまうところで

気が付けば教義すら飛び越えて何かアリの高説を拝聴するみたいな感じになっている。

こうした独壇場は本業であるボクシングでもいかんなく発揮され

世界中で脚光を浴びることになった。

 

終わりに

近年はアマチュアボクシングがプロの選手のオリンピック参加を容認したことに対して

プロボクシングの世界に動揺が走り

認定団体のWBCとIBFは例によって関わったものを処分すると威嚇して

危機に備えようとしていましたが、もし、アリが現役であったらどういった

ふるまいをしていたでしょうか?きっと「今すぐそいつを目の前に呼んで来い、

ぶちのめしてやる」と捲し立てていたのではないかと脳裏に浮かぶ、

もちろん実際の試合となるとあくまでキングはこちらだからと(裏方の活躍で)

プロのリング&ルールでという話になっていると思うが

危機でさえ養分に変えて最終的にはすべて自分のものにしてまう

まさにgreatest、唯一無二、誰も貴方には勝てませんよ。