コルマンインデックスが予告した変化 | とーと伊勢のブログ

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ヤスの備忘録 は私の愛読ブログです。
しかし、全面的に信用している訳ではない。所々チャチャを入れながら読んでいる。
一部分を拝借してここに載せたい。後はURLを載せたので、原本でお読み下さい。
簡単に書かれているが、結構恐ろしい事をさらっと書かれているので、読み込むと驚愕します。


本記事はヤスの備忘録 への紹介記事というスタンスで書いたつもりです。
そして、コルマンインデックスの予告した変化に自分なりのチャチャを入れてみた。

拝借についてはなにとぞ御容赦願います。


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http://ytaka2011.blog105.fc2.com/blog-entry-261.html


ヤスの備忘録 歴史と予言のあいだ

マヤカレンダーの終了に伴うコルマンインデックスの総括、シェールオイルとアラブの春


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コルマンインデックスが予告した変化


<中略>
コルマンインデックスとは、マヤカレンダーを人間の意識進化の予定表として理解する解釈だ。意識の進化が進展するにしたがって、あらゆる方面で以下のような変化が進むとしていた。
<中略>



人間の意識の変化


1)物欲や他者の支配を欲する権力欲が衰退し、人間関係に最大限の喜びを見いだす意識状態になる。
人類は先ず個々の命を長らえるのが先決であった。それが徐々に集団での生存を望む様になった。生存の確率が高くなる為の必然でもあっただろう。
しかし、生存の為の戦いは個々の争いから集団の争いとなり、また、大きな集団による争いの有利さから集団の集積化、巨大化し、やがては国家を作り出した。
その巨大化に伴い権力欲が次第に大きくなり、また他集団への支配化が起きている。支配欲は物欲に繋がる。
これは人類の歴史から見て必定であった。
我々人類はその物欲、支配欲、権力欲を放棄するのだろうか。経済の衰退と結びつかないのか心配である。
まだまだ発展途上国は先進国を憧れて追従したいとの欲求があろう。其処には大量生産や大量消費に対する憧れでもあろう。それが経済発展にも結びつく。
しかし、先進国に於いてはどうだろう。大量生産・大量消費に憧れを持っているだろうか。特に日本では。車は売れなくなっている。高級車何それ状態ではないか。
「いつかはクラウン」と言われた時代ではなくなってしまった。収入を上げられない現実を認識すれば、無駄な欲は捨てるしかないのが現状だ。それに一部の人がフェラーリを持っているとして、それをうらやましいと思うだろうか。価値観が多様化してしまっている現在に於いては、他人がどうあれ自分の好きな事の出来る状況を好むのではないだろうか。
そして同好の士が集まって話が出来る事の方がよほど楽しく思う時代に変化して来てはいないだろうか。
そう考えると先進国、特に日本の秋葉原の現状を見ると人間関係に喜びを感じるというのもあながち嘘とも言えない状況が一部に見える。
こんな意識が拡大していくのだろうか。日本の文化伝搬力には注目しても良いかも知れないが。


2)将来の計画を志向する目的合理的な行動が希薄になり、生きている「いま」に最大の幸福を感じる意識に変化する。
社会の安定が普通の事として認識される様になって来れば、将来こうしなければならないという切迫感は不要になろう。
明治期以来の日本は西洋諸国の軍事的圧力や被植民地化への虞により軍備増強への脅迫感が常にあった。
現在ではどうか。将来の社会保障や医療費の問題など山積ではある。しかし、その問題は過去に抱えた問題に比べて矮小化している。
近隣諸国との軋轢は存在するが、世界を二分する程の問題とはなりそうもない。ただし、放置しておいて日本が無くなる虞は十分にあるが。
軍備の不断の増強と政治的安定さえ確保出来れば恐るるに足らず、である。
そうなれば、趣味に生き自己表現の術を見出して人生を謳歌する人達が増えるのも納得できる。
定年退職した人達の元気に活躍している姿を見かけるにつけ、何とも羨ましい限りであります。
そういう意識は既に大きな流れになっている気がしています。


3)競争で勝利し、権力を追い求める強い自我を持った権力型の人格から、多くの人を対話で説得できる対話型の人格へと変化する。
世界の歴史からしても、政治家に強烈な個性を発揮する人物が少なくなっている様な気がしている。
日本だけではなく、どれをとっても小粒な感じだ。強烈な個性を社会が受け入れなくなっているのではないか。胡散臭さや危険を感じ取っているのではないか。企業で成功する個性的な人物も独断型の人物は少なくなり、多くのブレーンを抱えている。社会が複雑になり、一人の独断が通用しなくなったと感じる。また個人が会社や組織に執着しなくなり、職場や地域の移動も自主的な選択が可能になってきたのかも知れない。
個人の個性が尊重されて隷属性を嫌う様なゆったりとした社会へ向かっている様に思う。
まだまだこの流れに取り残されている国もあるが、世界から孤立しているから流れには乗れないと思う。



社会システムの変化


4)ピラミッド型の階層構造やそうした構造に基づく権力型の組織が崩壊し、メンバーの協調によるフラットなネットワークの組織が社会のあらゆる側面を担うようになってゆく。
現在のネットの社会では、老若男女がそれぞれのIDの中で生活している。個々が全て平等の世界と言って良い。
現実社会では長幼の序があるし、社会的地位の差が存在する。そこには下の者は自分の意見が言えない部分が多々ある。
今後ますますネットでの意見交換が増え、交流も盛んになり、現実社会の交流とも重なり、今後は面白い社会ができると思います。


5)無限の物欲の再生産と、無理な成長を強いる消費社会から、社会の実質的な必要性に基づいて生産する実質的な経済へと移行する。
これは地球の資源が有限である事や生産物を消費者に押しつける流行やモデルチェンジなどの人為的操作により需要を作り出す事の限界が見えてきている。個々の多様化が流行を小規模化したり、無くしたりしている。過大生産と不良在庫に苦しむ無駄より、注文生産やそれに近い見積もり生産が増え、商品の廃棄を減らそうと企業側が努力している。これは今も既にその傾向は見えてきている。


6)根拠のない幻想的な価値に基づく金融資本主義から、必要なものとサービスの生産を中心とした実体経済に移行する。
レバレッジを利用した架空資金による金融投資の資本主義が行きすぎて、政府が実体経済をコントロール下に置けなくなっている実情がある。
アメリカでは一時期下火になってしたが、規制が十分ではなく、政治的混乱もあり、復活してしまっている。世界的合意が形成されない限り、まだまだ先の事の様に思う。


7)第6サイクルの意識に基づいた古い社会集団への帰属意識が衰退し、国家の弱体化と消滅に向かう流れが出現する。
この事はグローバリズムを指すのだろうか。世界が不況に陥るときは、グローバリズムが否定され国家主義・民族主義が叫ばれる様になる。
現在はそういう状態ですね。一人一人が生活に必死になっている時期に他人を構っている暇がない。まして世界中で国内経済が疲弊しているのに、国内在住の外国人の面倒を見る余裕がないのは当然視される。
国家の弱体化と消滅には程遠いと思われる。東アジアを見れば国家や民族間の社会性に格差が有り過ぎて国家の消滅は混沌の始まりとなろう。
この指摘されている流れはまだまだ来ませんね。来たら困る。



思想の変化


8)特定の民族のアイデンティティーに過度に固執する民族意識や国家主義が衰退し、普遍的な人類意識が出現する。
うっそー、と言いたい。過度の民族意識に凝り固まっている国家がどれ程国際社会の癌と化しているのか、その現実を見る限りその衰退はまだ先の様に思う。
ただし、そういう国家がこのまま発展していく事は困難であるとも言える。周辺の普通の国家から不要な警戒を受け、自ら発展の芽を摘んでいるとも思えるからだ。
国家意識が郷土意識と同義になり、全体的に人類意識が芽生える事は慶賀といえる。
日本は地球の縮図の様なものと良く言われる。人類により地球の隅々まで発展しつくしてしまえば、残るはその地球という制約(これ以上の新大陸発見の余地がない)の中で如何に生存していくかという課題が突きつけられる。日本は日本列島の中で完結した社会を長く続けてきた。その経験が人類に役立つものと私は考えている。
そうなれば故笹川良一会長が言う「人類は皆兄弟」の世界に到達するのではないか。


9)左翼と右翼、保守と革新というように二極に分化した見方から、どんな対立した見方にも共通点を見いだし、対立を統合する総合的な知へと移行する。
今や単純に保守や革新の括りの中で政治を把握するのは困難な状態であろう。世の中はそんなに単純でもない。
それに極右も極左も国体を破壊する目的を有するのは共通項である。個人的欲望の発露に過ぎない危険思想に違いはない。
この左右両極端な思想は今後排除されていくのではないか。余りの異端者は社会との繋がりが絶たれてしまう気がする。


10)人間の外部に存在し、人間を支配する超越的な存在としての神の概念から、一人一人が神や仏の一部であることを実感する方向へとシフトする。
これを読むと思い出すのが次の白隠禅師坐禅和讃である。この真理が多くの人に理解される様になるのかと思うと胸熱である。しかし、自分の心の一部には100%の人に理解を求めたいのだが、絶対に理解を拒否する人がいるだろうな、という諦めの気持ちがある。理想社会は遠い世界の出来事の様に思える。


白隠禅師坐禅和讃
<冒頭のみ>
衆生本来仏なり 水と氷の如くにて
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
たとえば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
、、、以下略



一言で言うとこの変化は、左脳に偏重した目的合理的な思考と行動が衰退し、右脳と左脳のバランスのよい統合のもとで「生きている瞬間」に喜びを見いだすことのできる統合意識が出現する過程だ。

その変化とともに、過剰な物欲をベースにした消費社会と金融資本主義、また支配欲を基本に成立するピラミッド型の階層構造の組織がほころびる。そして、必要なものを地域共同体の経済圏を中心に生産する実質的な経済システムと、個人をネットワークでつなぐフラットな社会組織が出現する。社会の多くの分野はこうした形態の組織によって担われるようになる。

このような変化の方向であった。またコルマンインデックスは、一般のマヤカレンダーの解釈よりも一年近く早い2011年10月28日に終了したが、この終了点をもって、意識の進化とそれに伴う社会変化が完成するとするものではない。終了点を向かえると、これから意識進化と社会変化を主導することになる因子がすべて出揃い、この方向に向かう変化は加速するとした。つまり、コルマンインデックスが終了してからは、変化はむしろ不可逆的に進行すると考えられていた。


<以下貴重な話が書かれていますので、是非原本を御覧になって下さい。>


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年末年始はPCから離れます。
1週間から10日ほどお休みします。
皆さん、良いお年をお迎え下さい。

尚、この4行は後に削除します。


年末年始のコメントがありましたので、残す事にしました。

記事とは関係ないのですけれど、まぁいいっかな。