キ・ソンヨンと李忠成
キ・ソンヨンは言った。
「観客席にある旭日(きょくじつ)旗(かつての日本の軍旗)を見て涙がわき出た」
「選手である前に韓国国民だ」とコメントを掲載、猿まねが日本人への差別的な行為だったことを事実上認めた。
http://news24.jp/articles/2011/01/27/09174951.html
李忠成は言った。
李忠成は試合後、韓国メディアのインタビューに対し、韓国語で「韓国人、日本人ではなく、サッカー選手としてここにいる」と述べた。この短い言葉には、韓国と日本という2つの祖国を持つ彼の思いが強く込められていると伝えた韓国のメディアもみられた。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0130&f=national_0130_053.shtml
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比べてみて、良く分かる二人の人間性。
李忠成のコメントは、キ・ソンヨンに対するアンチテーゼであろう。
また、韓国社会に対するアンチテーゼであったかも知れない。
選手である前に韓国国民だ。
だから韓国国民であれば、反日的行為は全てが許される。
韓国が勝つ為には、釘でも使う。唾吐きもする。意図して相手選手を傷つけても英雄的行為だと自慢する。
審判の買収も出来る。そこには何ら反省する気持ちの片鱗すらない。目的が正しければ(?)手段は何をしても構わない。
韓国のサッカーや全てのスポーツに限らず、韓国国民の行為のほとんどに当てはまってしまう。
たまたま今回はキ・ソンヨン選手がやり玉に挙がっただけで、誰もが彼の立場に立ってもおかしくはなかった。
それほど韓国国内の風潮が歪みきっていて、まるでガキ大将の集まりの様な幼稚な心理の集合社会となっている。
これが、今の韓国の深い病根となって、国家、社会の発展の阻害要因となっているし、国際的に韓国が信用を落としている原因でもある。
韓国人、日本人ではなく、サッカー選手としてここにいる。
この言葉には一人の人間としての個が成り立っている、と感じられる。
一人の人間として生きる為には何をすべきか。
明確な答えがここにある。
集団の中で甘えている事は出来ない。
集団の中での役割をしっかり演じていくことで、自己の個としての表現ができる。
人として何をすべきかを理解した者が社会、組織を構成すると無限の力が湧き出でる。
そんな思いに至った李忠成選手の言葉であった。
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