藤圭子の母は目が見えるーーその現場をつかんだ話は後述するとして、キングレコードとの約束の日、スタジオには赤間制作部長と女性ディレクター3人がいて丁重に迎えられた。
面映ゆい感じがしたが、うるさい男が太鼓判を押した少女を連れてくるということで、敬意と期待が半々だったようだ。
O企画の林専務と阿部純子を紹介すると、3人の女性ディレクターの目が変わっていた。当日、お下げ髪の阿部純子は白いパンタロンスーツと白いギターだったと記憶している。
純子が白いギターを抱えて金魚鉢の中心のマイクの前に立った瞬間、亀戸のキャバレーの薄暗い席でスカウトした直感は間違っていなかったと確信した。
純子が歌った曲名は覚えていないが5曲だった。自らギターを奏で出すと、いきなりパンチの効いたポップスを歌いだした。
純子は私がギターを持ってくるように伝えた意味を直感で読んでいたのだろう。そういう直観的判断力もスターになる大きな要素でもある。彼女は浪曲師夫婦の間に生まれ、生まれながらに歌の才能を身に付けていたと認めてよい。5曲のうち、いわゆる演歌は1曲だった。
「お疲れ様」の声で、レコード会社の人たちが待つミキシングルームに不安げな顔で戻った彼女を大きな拍手が迎えた。特に女性ディレクターたちが好意的眼差しを示していた。
赤間部長はエレベーターで送りながら私に、「来月の編成会議は決まっているんですが、急遽割り込ませます」と約束した。
これは特例である。人材のいない新興レコード会社ならともかく、当時、キングレコードは春日八郎を初めとしてスター歌手、しかも会社に貢献度の高い大物歌 手が大勢いたから、その人たちの新曲発売等の編成会議に、無名の新人を割り込ますのは容易なことではないのは私はよく知っていた。
続きはこちら
アクセスジャーナル本部へ