支援全般に言える事なのですが、支援希望とメッセージ頂いて実際お会いしたけれども諦めてしまう人などがいます。理由も多種ですが、一番私として残念に思うのは
「私のような相談で支援をして貰うのが図々しく思った」という理由です。恐らく私が子供たちや難病の方の支援などをしているので、そのケースに比べたら自分の相談がいかに小事であるかというのです。これは見当違いだと私は思います
また、他にもアメブロでメッセージを頂いてる段階で諦めてしまう人もいらっしゃいます
全て、簡単に言えば目的意思の薄さが関与してると思います。もちろん私という存在から支援を受けるに信頼的な事の心細さも関係してるかもしれませんが、大抵の場合はその方の勘違いや目的意識が曖昧だったりという場面が多いように思います
私には時間というものを限定的で有限なものであると強く思ってます。だからこそアメブロのメッセージであっても、その縁を一期一会の覚悟で大切にしたいと考えてます。恐らく、私が思う時間軸や人との縁などの価値観と、ご相談してくる方の価値観が違うのだと思います。もちろん人間ですから価値観はそれぞれ違います。けれども、支援が必要と感じた事で私にメッセージをした訳ですから、その思いとこの縁の重要性を安易な決断や勘違い、あるいは見当違いな判断で早まってしまうのは残念な事なのです
もちろん
【私は青山にメッセージをしてこういう理由で支援を諦めます】と明言されれば、実際はそれまでですし、それ以上をどうのこうの言う事もないのが事実です。ただ私が残念に思ってしまうのは、そういう点も不明確だったり、単に「私は場違いだったようです」のような表現だけで、全てを決め切ってしまうのは勿体ないように思えるのです
お人好しでお節介に思うかもしれませんが、私にメッセージをするという行為だけでも非常に勇気が必要な事だと思いますし、実際に私にメッセージを下さり、その行為そのものにも私は嬉しく思ってます。だからこそ、その段階まで来たのだから、その先もしっかりと進んで支援出来るまでお付き合いしたいという思いがありますが、ちょとした噛み合わせや捉え方の違いで、簡単に縁を切る人がいるのです
そういうのを私は純粋な気持ちとして「残念に思う」と言いました
恐らく、こういう方は他の場面でも同じような事をして、同じように人から思われてしまってるのではないのかな?という不安もありますし、せっかく出会い、縁ですから、どうにか私も協力したいという気持ちがあるのです
先にも言いましたが、明確に「青山は必要ない」と言われれば、それはその方の明確な意志表示なので逆に有難い意見として聞けますが、何か曖昧で煮え切らない事や、見当違いな捉え方なので去っていく方を見ると、歯切れが悪くて悲しい気持ちになります
もしかすると、私はトロント生活も長く欧米人を見てるので、日本人と違う感覚になってしまってるのでしょうか?言いたい事は言って、聞きたい事は聞き、そして遠慮なく支援の進展に期待して頂く方が私としても遣り甲斐がありますし、私も私で、言うべき事は明確に言わせて頂きますし、素性などに関しても重要な事は当然のことながら聞かせて頂きます
こういう人間と人間のコミュニケーション、当然なキャッチボールがあってこその幸せな未来創造だと思ってますので、どうか【気概】を持ってご連絡頂ければと思います。今の苦境が楽しく明るく未来に変わるための支援活動です。肩の力を入れ過ぎもダメですが、安易過ぎるのもダメです。このバランスを互いに保ちながら相互信頼を築き支援達成に向けて頑張りましょう!
それでは日本全国の支援を必要としてる方々からのご連絡をお待ちしております