感動というと心理的な作用をイメージしがちですが、私の場合は先に身体が反応します。逆に言えば身体反応がなければ私は感動したと認識しません。

 

即時的な反応としては、リズムに合わせて身体が勝手に動きます。ロックやポップスなどリズム楽器が拍を刻むジャンルだけではなく、かしこまった観客が多いクラシック音楽のコンサートでも縦ノリしてしまうくらいなので割と困った性質ではあるのですが。

胃の上あたりに震えが来るのも感動の身体反応です。武者震いに近いのかもしれません。この震えが来ると必ず鍵盤に向かうことになります。無性に弾きたくなるんですよね。

 

また、鍵盤だけでなく、メーラーを開かせます。

以下は私が心から慕う師匠が随分前に書かれた記事なのですが、

 

 

この「これからもっと練習したい」とついメールを打たせてしまうのもわかりやすい感動の作用ですね。(もちろん私もそのメールを送った”生徒さん”のひとりです。笑)

 

SNSやブログに感動した出来事について綴るというのも立派な身体反応ですが、紆余曲折を経て自分は表現者を志す者であるという自覚を改めて持った私は「感動した」なんて凡庸な言葉で感動を語ってなるものかという意地があります。そもそも第1チョイスでそのワードが出てくる時点で感動なぞはしておらず「感動した」という言葉を以って「感動した私」をアピールしているだけにすぎません。世間でよく使われる「感動をありがとう」という消費者根性丸出しのウエメセ言葉には嫌悪感すら覚えます。

 

あなたにとっての感動とはどんなものですか?