翌日 弟からLINEがきました
こどもたちは、母からの支援を知っているのか?
知っているし、感謝しているなら なぜ
葬儀に来なかったんだ。それはあまりにひどい仕打ちだ。 俺はまだ やることがあり悲しみに浸る余裕もない。 と。
これは、悲しみを怒りに変えているだけなので、
こどもたちの気持ちはこどもたちにしか
わかりません。
いつか、自分たちで会いに行こうと思えた時に
実家に行くと思う。
と、返信した。
叔母から 話をしに来なさいと、メッセージが来たらしいね。 叔母にも色々お世話になったと聞いてるよ
だから、俺は話に行った方がいいと思う。
と、またLINE。
お世話になった時には、その都度感謝を伝えてるよ。
今、色々あり、私から話をしたいこともないし、
しばらく距離を置きたい。
と返信
すると、
周りは色々言ってくるけど
俺たちが兄弟なのは 変わらないと
返信がきた。
弟も十分傷ついた。
悲しみも怒りもあり
役割もある。
義兄と叔母がかき回すが、
結局近くに住んでいるのはこの人たちだと
頼らなくてはならない気持ちもわかるけどね。
板挟み
きっと 母も板挟みで しんどかった。
今は 誰かのせいにしたい
母の死が自分のせいじゃないと
みんな 思いたい。
もっと行けばよかった とか。
でも、誰しも最期だと思って関わってなかったよね
そして、これは 誰の責任でもない
母はやっぱり 実母からの愛が欲しかった
共依存の最たるものであった。
でも、 みんな そんな風には思えないね。