(2009年に読んだサイトより転載させていただきました。菜食のススメ さま)

 

第一話 「屠殺場を霊視してみたら」 


屠殺場がガラス張りだったら、 
    人は皆、ベジタリアンになるでしょう 
    ―――ポール・マッカートニー 

霊能者オズボーン・レナード女史が屠殺場を霊視したときのことを「ペットが死ぬとき」の中で語っています。その中から一部印象に残った部分をご紹介します。 

     * * * * 

霊的知識が要求する新しい道徳観(ペットが死ぬとき P172) 

オズボーン・レナード女史は、霊能者の大半がそうであるように、 
ある特殊な土地から発せられるバイブレーションに過敏に反応することがあるそうです。 

”サイキック・ニューズ”に載った女史の体験談によると、 
ロンドン北部の一角に、いつも陰気で憂うつな気分に襲われる場所がありました。 
女史は読書好きで、よく図書館に通うのですが、そのとき必ずその地点を通過するというのです。 

そのときの気分は強烈で、その気分から解放されるのにかなりの時間が掛かったそうです。 

たまたま通りかかった人に「ここは何をする場所ですか?」と尋ねると、大規模な屠殺場だということでした。 

では、そうした施設で大量に殺されていく動物たちは、 
死後、どういう運命をたどるのでしょうか。 
これから紹介するのは、レナード女史が幽体離脱の状態で霊界を訪れて、そうした動物の群れを観察した時の様子を綴ったものです。 

幽体離脱というのは、人体とよく似た形をした《幽体》と呼ばれる霊的な身体に宿って肉体から離れ、地上界ないし霊界を探訪する現象のことで、その間、肉体と幽体とは『魂の緒(シルバーコード)』と呼ばれるものでつながれています。それが切れたときが『死』で、要するに肉体からの離脱が一時的か永久かの違いにすぎません。 

『ある夜、肉体から出たあと私は、いつものように上昇していかないで、無理矢理水平飛行をさせられているような、重苦しい感じがした。 
気がつくと、暗くて狭い通りに立っていた――というよりは、立っている姿勢を保っていただけで、地面に足をつけていなかった。 
足下が汚泥で気持ちが悪かったからである。 

あたりを見回すと、家畜小屋のような汚い建物が密集していて、建物と建物の間は人間がやっと通れるほどしか空いていない。 
が、ところどころ、広く空いているところがあり、そこから囲いのある広い敷地へと通じている。 

そこから中を覗いていると、そこには動物の群れがいる。 
仔牛、豚、羊などがみな死んでいる――いや、生きている――地面に横たわったまま身体を動かしているのだ。 
私にはピンと来た。今しがた屠殺されたばかりなのだ。 

私は、ありたけの精神力をふりしぼって、その光景を見つめた。 
よほどの精神力がないと、とても見られたものではなかった。それほどむごたらしい雰囲気に包まれていたのである。 

私はこれまで、平均的人間が死後ただちに赴く世界をたびたび訪れてきたが、この場所はそれとはまったく異なり、一種異様な恐ろしさが漂っていた。が、それが一時的なものであることは私にもわかっていた。 
が、ともかくも私にはこれ以上その状態を叙述する気にはなれない。 

そのうち誰かが私に語りかけているのを察知した。 

姿は見えず、遠いところにいるような感じがした。 

あとでその声の主は私の背後霊団の一人であることが分かったが、その霊が教えてくれたところによると、その動物たちが置かれている場所は地球と幽界との中間に位置しているとのことだった。 

あの惨たらしい雰囲気は、人間の食糧として毎日のようにおびただしい数の動物が物的身体を奪われていく、その忌むべき行為から生まれるもので、物質界にきわめて近接した界層にあり、本格的な幽界に入らない中間地帯であるという。 

その恐怖と苦痛、それに、誰をということもない恨みの念があたりに渦巻いていて、それが建物や壁よりもなお強い存在感をもって迫ってくる。さきほどの背後霊は、その念、その感情の波動を何とかしなければならないのだと言っていた。 

それは、動物たちがどれほど苦痛を味わっているかの指標であるばかりではなく、それが地上界の霊的ならびに精神的大気を汚し、人間生活を毒し、進歩を阻害しているからだという。』 

レナード女史は、この体験をしてからは、動物の肉を食べるのをやめたそうです。 

それまでの女史は、肉を食べながらそれが、かつては人間と同じ大気で呼吸しながら大地を闊歩していたのだということ、そして殺されるときは人間と同じ苦痛と恐怖を抱いたのだということに思いが至らなかったと述べています。 

「しかしですよ・・・」と反論する方がいるかもしれません。 

『もしも殺さずにおいたらどうなりますか? 
地球上に動物があふれはしませんか?』 

またある人は、キツネやウサギがもたらす人間環境や農作物への破壊行為の話を持ち出し、人間が殺しているからたいしたことにならずにすんでいるのだと主張するでしょう。 

お答えしましょう。 

まず、牛をはじめとする家畜の問題ですが、人間が食肉用に飼育しさえしなければ、そんな問題は生じないのです。 

肉類は必ずしも必須の食糧ではありません。 
植物食だけで充分に健康を保っている人が大勢います。 
道徳的理由からだけでなく、健康上の観点から肉食をやめた人は、そのほとんどが健康を取り戻しております。 

肉は、みなさんと同じ物的身体をもち、同じ空気を吸って生きていたのを、人間の身勝手で命を奪われ食用にされた動物の身体だということ、そして、人間と同じ苦痛と恨みを抱きながら死後の世界へと連れて行かれたのだという事実を知って欲しいということです。 

殺す前に苦痛を与えて太らせたり、 
味を良くするための処置を施すのも、本来は人間の良心が許さないことであるはずです。 

たとえば鶏の生殖腺を除去するのは、肉の味を良くするためだそうですが、その手術は麻酔もせずに、しかも医学には素人の者がやっていることをご存じでしょうか。 

また、フランス料理で有名なフォワグラは、無理矢理に過食させて病的に太らせたガチョウの肝臓を使うのですが、エサを詰め込む道具を使用してわざわざ病気になるまで食べさせておいて、それを殺して病的な肝臓を食べるというのですから、どう考えても健全な食生活とは言えません。 
残念ながら私の国の英国でも大変人気のある料理だそうですが、 
禁止している国もあることを知っておくべきでしょう。 

毛皮の問題もぜひ考えて欲しいものです。 
みなさんが着用する動物の毛皮のために動物たちがどれほどの苦痛を味わったかをお考えになったことがあるでしょうか。 

動物の保護や愛護のための活動をしている施設へ行けば、 
身の毛もよだつほどの現実を語ってくれることでしょう。 
備考:http://www.no-fur.org/ 
http://all-creatures.org/ha/Kegawa/Kegawa.html 

人間と同じく動物も、死の直後は睡眠状態にあり、その中で目覚める者と、長時間にわたって眠り続けるものとがいますが、 
その中にあって可哀想なのが、大量に屠畜されたり薬殺されたりした動物たちで、とくにと畜されたものは恐怖におののき、本能的に復讐心に駆られて暴れ回っていると言います。(ペットが死ぬとき P172~179) 

ペットが死ぬとき―誰も教えなかった別れの意味 
4.50点(4人) 
1998 
ハート出版 
シルビア バーバネル, Sylvia Barbanell, 近藤 千雄 

 

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