10月下旬.
天気予報を超える快晴.
用事のついでに,敦賀駅で下車.
2019年4月1日に廃になった「敦賀港線」の探検.
線路は,この先に続いていました.
海岸方向に向かって,歩き出しました.
目標は,「敦賀港線」のターミナル.
25分ほど歩くと,
左手に,移設された旧駅舎の白い建物が見えてきました.
さらに進むと,赤レンガ倉庫.
建物の横には,キハ28 3019が保存されています.
その横を,旧駅舎ランプ小屋へと向かいました.
途中,列車が通らない踏切での中央に立ちました.
海岸方向です.
踏切を渡り,左手方向に進むと,レンガ造りの建物が見えました.
これが,旧駅舎ランプ小屋.
金前寺に向かう階段を上ると,線路が一望できます.
線路に沿って,敦賀駅方向に進みました.
すでに線路が取り除かれ,踏切信号機が取り外されていました.
線路もサビついています.
歴史を調べると,
1897年9月10日,旅客輸送を廃止して貨物輸送専用となりました.
1912年6月15日,「欧亜国際連絡列車」の運行開始に伴って,
ウラジオストク(ロシア)航路発着日には,旅客列車旅客輸送を再開.
「敦賀港駅」は,“大陸との玄関”となりました.
1912年,初めてのオリンピック派遣選手団(金栗四三と三島彌彦)も,
開催地ストックホルム(スウェーデン)へ向けて
ここから客船「鳳山丸」で出発しました.
また,第二次世界大戦中には,
ナチスドイツの迫害から逃れるユダヤ人難民も,
杉原千畝領事(リトアニア)が発行したビザを手に敦賀港に上陸.
そして,日本国内を移動して
世界各国へと避難していったとのことです.
色々な歴史を見つめてきた線路は,ここまで続いていました.
そして,現在は,トラックによる貨物輸送ターミナルになっています.