廃線跡「敦賀港線」 | 夢見る“乗り & 撮り鉄❤日記”

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※福井県大野市出身、金沢市在住

10月下旬.

天気予報を超える快晴.

用事のついでに,敦賀駅で下車.


目的は,2009年3月31日貨物輸送を終了し,

2019年4月1日に廃になった「敦賀港線」の探検.

線路は,この先に続いていました.

海岸方向に向かって,歩き出しました.

目標は,「敦賀港線」のターミナル.

25分ほど歩くと,

左手に,移設された旧駅舎の白い建物が見えてきました.

さらに進むと,赤レンガ倉庫.

建物の横には,キハ28 3019が保存されています.

その横を,旧駅舎ランプ小屋へと向かいました.

途中,列車が通らない踏切での中央に立ちました.

海岸方向です.

踏切を渡り,左手方向に進むと,レンガ造りの建物が見えました.

これが,旧駅舎ランプ小屋.

金前寺に向かう階段を上ると,線路が一望できます.

線路に沿って,敦賀駅方向に進みました.

すでに線路が取り除かれ,踏切信号機が取り外されていました.

線路もサビついています.

歴史を調べると,

1897年9月10日,旅客輸送を廃止して貨物輸送専用となりました.

1912年6月15日,「欧亜国際連絡列車」の運行開始に伴って,

ウラジオストク(ロシア)航路発着日には,旅客列車旅客輸送を再開.

「敦賀港駅」は,“大陸との玄関”となりました.

1912年,初めてのオリンピック派遣選手団(金栗四三と三島彌彦)も,

開催地ストックホルム(スウェーデン)へ向けて

ここから客船「鳳山丸」で出発しました.

また,第二次世界大戦中には,

ナチスドイツの迫害から逃れるユダヤ人難民も,

杉原千畝領事(リトアニア)が発行したビザを手に敦賀港に上陸.

そして,日本国内を移動して

世界各国へと避難していったとのことです.

色々な歴史を見つめてきた線路は,ここまで続いていました.

そして,現在は,トラックによる貨物輸送ターミナルになっています.