僕が生まれ育った「越前大野」は,
市街地は碁盤目に道路が走る"越前の小京都"とも呼ばれるところ.
自然に恵まれたいいところですが,
冬は,雪が多くて大変です.
●越前大野駅構内に停車中の"ハチロク"
●越前大野駅構内に停車中の"ハチロク"
子供のころから,
親の手伝いで屋根に上って,積もった雪を取り除いたり,
玄関の雪を取り除くという作業をしなければなりませんでした.
雑な性格なので,除雪にも,それが現れます.
両親からみれば,"役立たず"の息子だったと思います.
●これから単機で「勝原駅」の転車台に向かいます"ハチロク"
●これから単機で「勝原駅」の転車台に向かいます"ハチロク"
●これから単機で「勝原駅」の転車台に向かいます"ハチロク"
ただ,どんなに豪雪の年でも,
夏まで雪が残っていたことはありません.
考えてみれば,「雪を取り除く」というのは,とても無駄な作業です.
それでも,生活に支障をきたさないよう,
寒さに震えながら,除雪作業を続けるしかありませんでした.
●越前大野駅構内に停車中の"ハチロク"
●越前大野駅構内に停車中の"ハチロク"
写真を見ると,
黒一色の蒸気機関車は,意外と,雪の風景が似合います.
たぶん,これらの写真は,1973年の冬に帰省した時に撮影したもの.
金沢からの帰省時に利用していたキハ52とのツーショットも残っています.
●越前大野駅構内でキハ52とツーショットの"ハチロク"
●越前大野駅構内でキハ52とツーショットの"ハチロク"
12月に入ると,
空は鉛色になり,冷たい雪が降り続くという生活が3月まで続きます.
子供の頃は,日本全体がこのような状態と思っていました.
だから,「お正月には,凧あげて,コマを回して遊びましょう」という
童謡の意味が理解できませんでした.
あるとき,そうでないことを知り,雪国に生まれた不運を恨みました.
その反動で,南の島にあこがれ,軽快なダンス音楽を趣味とする,
"ラテン的性格"になったのだと思っています.