香辛料を求め15世紀末から始まったヨーロッパ人による大航海時代。

東回りでインドを目指したポルトガルは喜望峰を発見しインドへの海路の開拓に成功、さらに東進するとインドネシアがある事を知り、インドネシア・マルク諸島で産出される香辛料がヨーロッパ大陸へ持ち込まれるようになりました。


16世紀末になるとインドネシアに注目をしたイギリスがジャワ島のジャカルタ付近に進出、イギリスの進出から少し遅れてオランダが進出してきました。

ポルトガル・イギリス・オランダの間で香辛料を巡る争いが繰り広げられ、まずオランダがイギリスを破りジャワ島の支配権を確立、続いてマルク諸島からポルトガルを駆逐し、1610年にマルク諸島のアンボンに東インド会社を置き、この東インド会社を通じオランダによるインドネシア(蘭領東印度)支配が300年以上にわたり続けられる事になりました。


1941年(昭和16年)大東亜戦争が始まり、翌1942年(昭和17年)オランダ主力軍がいるジャワ島へ日本軍が上陸、わずか数日でオランダ軍を降伏させ日本軍による軍政が敷かれました。


1945年(昭和20年)8月15日ポツダム宣言受諾により日本の敗戦が決定すると、スカルノやハッタなどのインドネシア指導者らは独立宣言を出し、オランダからの独立(ムルデカ)を目指し独立戦争へ突入。


日本軍政時、インドネシアの青年達は郷土防衛義勇軍「PETA」(ペタ)を組織し、日本軍の下で軍事訓練、精神訓話、体育訓練、実地訓練など日本式の厳しい訓練を受け独立に備えますが、日本の敗戦により「PETA」は解散。

しかし、その後のオランダとの武装闘争ではペタ出身者が大きな役割を果たす事になりました。


インドネシアが独立宣言をし、武装闘争を開始してから4年後の1949年(昭和24年)12月27日、国際世論の反発を受けオランダはインドネシアの独立を認めると、16の国と地域で構成されていたインドネシア連邦共和国へ主権が委譲され独立が実現し、翌1950年(昭和25年)8月、インドネシア連邦共和国は1つに統合されインドネシア共和国が成立しました。


日本軍のジャワ島上陸時にイスラム界の指導者の1人で、軍政開始と同時にバンドン市の教育部長に就任し、共和国成立後初のインドネシア首相となった モハマッド・ナチール氏。


アジアの解放を信じ、インドネシアの独立を願って行動をし、戦後ナラリア勲章を授与された第16軍宣伝部青年課長 金子智一氏。

タンゲラン青年道場や義勇軍練成隊で日本軍人と寝食を共にし、独立後22歳で国軍情報部門責任者、32歳で陸軍参謀長代行に就任した義勇軍小団長 ズルキフリ・ルビス氏。


敗戦後インドネシア側への譲渡を禁止されていた日本軍の武器をインドネシアへ渡るように工作し、インドネシア独立を実質的に支援をした第16軍作戦参謀 宮本静雄氏。



インドネシア独立に関与した4人の証言をまとめた1冊



ナラリア勲章・・・・インドネシア国家と民族に対して多大な貢献をした人物に与えられる最高位勲章


内容(「BOOK」データベースより)

蘭領東印度を占領した日本がもたらしたものは何か?敗戦後の日本軍が取った行動の意味は?インドネシアと日本の当事者4人の証言で綴る終戦時のドラマと知られざる真実。今、あの戦争の意味を問い直す。最後の親日国、インドネシア独立秘話。

ジャカルタ夜明け前―インドネシア独立に賭けた人たち/阿羅健一/勁草書房


あかべこのブログ