戦時中、日本の主要都市の無差別爆撃、広島・長崎への原爆投下など一般人虐殺に使われた米軍のB29爆撃機。

このB29爆撃機に乗り、東京空襲を空から見た少年がいました。



第一次世界大戦後から日本の委任統治領となり多くの日本人が住んでいたサイパン島


昭和19年に入ると米軍によるサイパン島への空襲が始まり、6月15日米軍が上陸し日本軍との激しい地上戦に突入しました。


3週間後の7月7日、この日の総攻撃を最後に日本軍の組織的な抵抗は終わり、日米両軍と島民に多くの犠牲を出したサイパンの戦いは7月9日に終了しました。


サイパン島を占領した米軍は日本軍ゲリラを掃討しながら飛行場を整備拡張してB29爆撃機による日本本土爆撃の準備を進め、生き残った日本人は収容所へ収容され内地への送還を待ちながら生活をしていました。


「米軍に捕まると殺される」と信じていた日本人達でしたが、米兵は細かい事は気にせず敵であるはずの日本人に対して親しく接し、特に子供には優しくし、厳しい日本兵とは違い親しみやすい米兵に子供たちはよくなついたようです。


少年“谷田のぼる”も米兵に優しくされた子供達のうちの1人で、米軍の攻撃で両親を失い1人でいたところを拾われ収容されました。


谷田は身寄りの無い子供達と少年探偵団を作り、夜は焚火をして野宿をしたり、偵察だと言って山や飛行機を見に行っていました。


何度も飛行場へ行くうちに整備兵やMPと仲良くなり、黒人の整備兵から可愛がられチョコレートや飲み物をもらうようになり、整備中のB29の操縦席に乗せてもらい操縦かんを握らせてもらったり、後部銃座に入れてもらい機関銃を握らせてもらったそうです。


年が明け正月も過ぎたある日、谷田を可愛がっていた黒人の整備兵が最後尾の射撃手とその日乗り込んだカメラを持った報道記者に頼み谷田を東京爆撃に向かうB29へ乗り込ませます。

そして、少年は空の上から東京空襲を目撃する事になるのです。


結局、谷田を乗せた黒人兵は営倉へ入れられ、その後遊びに行っても黒人兵はおらず飛行場へも入れなくなってしまいました。


身寄りのない少年を元気付けようと思い乗せたのか、それともアメリカの力を見せ付ける為に乗せたのか、黒人兵がなぜ東京空襲に向かう爆撃機へ谷田を乗せたのか本書では書かれていません。




内容(「BOOK」データベースより)


太平洋戦争末期、サイパンは米軍の猛攻にさらされ、玉砕の島として様々な悲劇の舞台と化した。陥落後、島の一少年を待ちうけていたのは、自国の首都東京を空襲する爆撃機に搭乗するという悲運だった…!綿密な取材を基に戦争の実相を鋭く描き出した渾身のノンフィクション・ノベル。


B29に乗った少年―サイパン玉砕の陰に/浜垣 容二/ 読売新聞社

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