パラオ諸島・アンガウル島で左大腿部裂傷、左上膊部貫通銃創2箇所、頭部打撲傷、右肩捻挫、左腹部盲貫銃創、無数の火傷とかすり傷、栄養失調の為失明寸前という状態で米軍司令部へ単身斬り込みを行うも、司令部まであと一歩というところで頸を撃たれ倒れてしまった不死身の軍曹・舩坂弘氏。


米軍は軍曹が死亡したものと思っていましたが、「不死身の軍曹」の名に相応しく、3日後米軍の野戦病院のベッドの上で生き返り米兵を驚かせます。

目覚めた軍曹は敵に情けをかけられたと思い、周りにある器具を叩き壊し、止めに入ったMPに拳銃を突きつけられると「さあ、殺せ、早く俺を殺せ」と大暴れします。


その後ペリリュー島の収容所へ移され危険人物として監視されますが、米軍の爆撃機や輸送機の爆破を企てたり、脱走して弾薬庫を爆破するなど、監視兵に発見されれば即射殺という状況の中で「“戦死”すること以外考えていないのではないか」という行動をとり続けます。

そんな舩坂軍曹の前へ現れたのは、戦争とは言え人を殺す事が嫌いで通訳の任務に就いている敬虔なクリスチャンのクレンショー伍長。

彼は脱走した舩坂軍曹を見つけるも、MPに引き渡す事はせず、「なぜそんなに死に急ぐ?戦後の日本の復興の為にもっと生きろ」と軍曹を説得します。


初めは伍長に反抗的な態度をとっていた軍曹でしたが、生きる事の大切さを真剣に説く伍長に対し少しずつ心を開き、収容所を出る時にはお互いに信頼しあい強い絆で結ばれていました。


戦後、舩坂氏はあらゆる手を尽くしクレンショー伍長を探しますが、名前のアルファベットの綴りを間違えて覚えていたため見つける事が出来ませんでした。

しかし帰国して20年後、「太平洋の各島に慰霊碑を建立している日本人が元米兵を探している」と言う話がアメリカに伝わり、その話がクレンショー氏の耳に届き、連絡を取ることができました。

そして、舩坂氏のはからいで来日する事になり、20年ぶりに再会し改めて二人の友情を深める事になりました。



祖国から遠く離れた戦場で出会った、死ぬ事が全ての日本兵と、生きる事を説いたアメリカ兵の友情の物語。



聖書と刀―太平洋の友情 /舩坂 弘/文藝春秋


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