インドネシア・ニューギニア島西端の西パプア州。

現在は西パプア州の州都となっているマノクワリ。


戦時中、このマノクワリに約2万名の日本軍兵士が駐屯していました。


制海空権を取られ、補給も満足にできなくなり食糧・薬品・武器・弾薬が不足していた昭和19年7月、マノクワリへの米軍上陸が濃厚になると、部隊壊滅回避と残り少ない食糧の食い繋ぎのため、第2軍は半数の1万人をジャングルの向こうにあるイドレへ転進させる命令を出しました。


半年に渡りジャングルを歩き続け、イドレへ到着した兵員は僅かに500人。

転進者1万人のうち95%の死者を出した事になります。

しかも大多数が戦闘で斃れたのではなく、食糧や薬品不足による餓死か病死でした。


本書は第1部と第2部で構成されています。


第1部は、極限状態による上官の射殺事件や、思い出したくは無いが敢えて書いたと言う「人肉食」、自殺をした戦友や自分自身も自殺を試みた事など、半年に渡る飢餓転進の様子が書かれています。


第2部は、イドレ到着後の現地人との交流について書かれています。

小田切さんは宣撫活動を命じられ、診療所や学校を開き現地人との信頼関係を作る事ができました。

お祭りに誘われ一緒に現地の踊りを踊った事、現地女性から特別な感情を抱かれ事など、転進時とは全く違った状況が書かれています。


僅か100ページの本ですが、非常に印象に残る内容です。


宣撫活動・・・占領地において、占領軍の目的や方針などを知らせて、人心を安定させること



内容(「BOOK」データベースより)

中隊45名の内、42名が餓死等により熱帯の露と消えた、太平洋戦争時における、ニューギニア山中での飢餓転進(退却)の生々しい記録。

白骨街道 死の転進―食べること生きること死ぬこと/小田切重徳/文芸社

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