1941年12月8日
真珠湾攻撃と同時に行われたイギリス領マレー半島への侵攻作戦「マレー作戦」
マレー半島北東部の都市コタバルへ奇襲上陸した日本軍は55日間で1,100キロを進撃し、 1942年1月31日、マレー半島南端のジョホールバルを陥落させました。
コタバル上陸後シンガポールへ向かい進撃していた日本軍は、トロラクの手前に構築されたイギリス軍の堅陣で激しい抵抗に遭い苦戦を強いられます。

ここで通常の攻撃法では攻略不可能と判断した戦車第6連隊中隊長の島田豊作少佐は、敵陣地を戦車で夜襲することを提案、 暗視装置など無い時代に今までに例のない戦車夜襲を決行する事になりました。

作戦内容は、工兵隊20名が敵陣地内へ潜入し戦車障害を爆破破壊。
成功の合図を待ち、歩兵80名を随伴した九七式中戦車12両と、九五式軽戦車3両が1列縦隊で左右のゴム林の中の敵を銃砲撃しながら陣地を突破するというもの。

午後8時、作戦が開始され工兵隊20名が先行し数時間かけ命がけで敵陣地へ潜入、 戦車障害破壊に成功し,戦車隊出発。

陣地に突入した戦車隊に対しイギリス軍は激しい攻撃を加えます。
対戦車砲を操作する敵兵の殺気立った表情とその敵兵に向かって砲撃する味方戦車。
戦車砲により対戦車砲やゴムの木と共に粉砕される敵兵。
砲弾が飛び交う中、白鉢巻を締め、抜刀して戦車の後ろに付き肉薄した敵に備える歩兵隊隊長。
戦車の前へ出て対戦車地雷を取り除く兵士。

戦闘を直接指揮した指揮官による手記のため、自分が乗車する戦車内の様子や味方戦車の動き、 敵兵の動きや周囲の細かな状況まで説明されていて、相手の表情が分かるほどの距離での戦闘の様子がリアルに伝わってきます。

この夜襲はかなりの犠牲を覚悟していましたが、損害は予想をはるかに下回る軽微なもので、戦車による夜襲は成功しました。

しかし、計画では敵陣地突破後後続部隊が続くはずでしたが、いくら待っても後続部隊が到着しません。このまま後続部隊を待っていても敵に態勢を立て直す時間を与えるだけで、敵地の中に孤立している戦車隊の全滅も考えられます。

島田隊長はこの場でいつ来るか分からない後続隊を待つか、全滅しようとも戦車隊だけで前進するか悩みますが、戦車隊だけで進む事を決定しました。

後で分かった事ですが、戦車隊が敵陣地を突破し砲声が聞こえなくなったため、司令部では戦車隊は全滅したものと思い込み、後続部隊を出発させなかったそうです。



徒歩で随伴してきた歩工兵は奇襲攻撃により壊滅させた敵司令部に留まらせ、攻略目標である40キロ先にあるスリムの鉄橋へ戦車隊のみで向かいます。


途中での敵との戦闘、いつ爆破されるか分からない鉄橋を巡る攻防など、挺身による挺身でいくつもの敵陣地や集結地を蹂躙し壊滅させた、島田戦車隊の活躍を描いた1冊。


内容(「BOOK」データベースより)

キャタピラの轟音も高く、クリークを越え、椰子林を踏みにじって“鉄の王者”の行くところ敵なし―第二次大戦中に世界のすみずみまで島田戦車隊の勇名を轟かせた“鬼戦車隊長”が、自らの半生をドラマチックな筆致で描破する。果敢な闘志をもっていくたの難局にあたり、不可能を可能に変えた男の戦車隊戦記

島田戦車隊―サムライ戦車隊長奮戦す  島田 豊作

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