戦前も優れていた日本の科学技術
戦前の科学技術というと、当時の欧米諸国と比べるとかなり劣っていたイメージがある。
たしかに、戦前の日本は現代のような技術立国とは違うし、工業国のバロメーターである「自動車の保有台数」も欧米の先進諸国には遠く及ばなかった。
しかし、それでも分野によっては最先端を行っていたものもあった。
その代表的なものが「通信」の分野である。
通信は、今でも科学技術の最先端分野だが、日本は戦前からこの分野で長じていた。
たとえば、テレビ画像の送受信に初めて成功したのも、日本人科学者の高柳健次郎だった。
静岡高等工業学校の助教授だった高柳は、昭和元年(1926年)12月25日に自作のテレビ送受信機を用いて、カタカナの「イ」を映し出すことに成功したのだ。
当時は先進各国が次世代の情報通信手段として、テレビ開発にしのぎを削っていた。
世界が注視する科学技術を、日本の高等学校の助教授がいち早くものにしたわけである。
また、無線技術においても、日本は画期的な発明をしていた。
昭和3年(1928年)には、東北帝国大学の教授、八木秀次を中心とする研究グループが、テレビアンテナなどの原型となる「八木アンテナ」を開発した。
また、同じ東北帝国大学では、岡部金次郎によってマグネトロンが実用化された。
マグネトロンとは強力なマイクロ波を発生させる真空管のことで、現代ではレーダーや電子レンジなどに応用されている。
このマグネトロンは、1916年にアメリカのGE社が開発したものだったが、その実用化が急がれていたものだった。
以上、彩図社 「教科書には載っていない! 戦前の日本」より
この八木アンテナやマグネトロンは非常に有用な研究発明でしたが、日本ではあまり評価されませんでした。
有用性をしっかり認識をして利用していれば今の日本とは違っていたかも知れません。