鳥巣清典の時事コラム1634「山田方谷②『至誠惻怛』真心と痛み哀しむ心で人は必ず付いてくる」 | 絶対に受けたい授業「国家財政破綻」

鳥巣清典の時事コラム1634「山田方谷②『至誠惻怛』真心と痛み哀しむ心で人は必ず付いてくる」

 

 NHKEテレ『知恵泉』で「山田方谷~借金100億を完全再建」。





山田方谷が着手したのは年貢米の流通改革


 どうやって収入を増やすかーー。
 方谷が着手したのは、年貢米の流通改革。当時備中松山藩では年貢で得たコメを大阪まで運び、そこで売りさばき現金収入に換えていました。大阪には蔵屋敷と呼ばれるコメの貯蔵施設を兼ねた営業所があり、そこで藩から委託を受けた町人が販売を担当。大阪の商人は全国のコメ相場に詳しく商売上手。収入の一定額は商人が持って行きますが、武士たちが行うより確実に儲かるため多くの藩がこの方法を使っていました。しかし方谷は、この大阪蔵屋敷を売り払い、商人による委託販売を廃止してしまいます。

 その代わり、備中松山で取れたコメは現地に留め置き、産地直送で売りさばけば蔵屋敷の維持費も商人への委託費もコストカットできると考えたのです。問題は商売のプロの力を借りずにコメ商いができるのか。実は方谷には勝算がありました。

 コメの取引に方谷自らが携わったことが分かる記録が残されています。部下とのやり取りからは、方谷自ら相場の分析をしながらコメの売買を指示していたことが伺えます。「関東筋においては存外に豊作だったと。という事は、たくさん出来たら価格は上がらない、上がりにくいだろうという事が書いてある。でも方谷は、そういうものの相場とかそういう情報が常に入っているようで、それを踏まえたうえで有利な場所で、例えば大阪とか兵庫の辺りで売っている」(専門家)
 方谷には、かつて江戸で学んでいた時の友人たちが全国にいました。彼らと連絡を取りあう事で方谷は各地のコメの相場を把握していたのではないかと考えられています。その結果、よけいなコストをかけずにより効率よく収益を挙げることに成功していたのです。


目指すは特産品の開発ーー鉱山を開発、鉄の産業を発展


 続いて目を付けたのが、特産品の開発。備中地方は古くから上質な砂鉄が取れる場所です。そこで方谷は、藩で鉱山を開発し、鉄の産業を発展させようと考えました。そのうえで方谷が目を付けたのがマーケティング戦略です。方谷は、大都市江戸に注目します。当時人口が100万人を超えていたといわれる江戸の街。その生活を支える農産物を生み出す農民が関東には大勢暮らしていました。方谷はこの農民たちをお客としたのです。当時使いやすさで定評のあった備中鍬の大量生産と販売。
「売るのはマーケッティング。ちゃんと頭の中にあって、狙うのは農民。生産、販売、備中松山藩の藩民で一手にやる。30を超える工場。決行しよう、作るーーと」


生産・流通・販売ー全て備中松山藩で行うシステム


 江戸への商人への輸送も藩の直営。大阪に立ち寄らず、紀伊半島を迂回して運びました。販売拠点は、日本橋にあった藩の中屋敷。当時の藩邸の地図です。ここで専門の役人が鍬などの特産品を売っていました。生産、流通、販売ーー全てを備中松山藩において行うという合理的なシステムを確立したのです。
「輸出立国ーー日本の近代社会の原型をこのときすでに山田方谷は自分の国ーー備中松山藩という小さな国ですけどーーここで実現することを宣言」(専門家)

 こうした改革の結果、方谷は借金10万両を見事返済。そのうえ黒字財政への転換に成功しました。この財政改革は幕府にも評価され、藩主板倉勝清は幕閣に起用され老中まで務めます。貧乏藩と罵られていた備中松山藩。方谷の改革によって、財政だけでなく、藩の誇りまで取り戻したのです。

ーーみなさんのお手元には、備中松山藩、岡山県高梁市の名物お菓子を用意しました。もち米にたっぷりと柚を混ぜて、こねた餅菓子です。備中松山にもかつてからあったんですね。それを特産品として奨励して作らせたのが方谷と言われているんですね。それだけじゃなくて、もち米は地元産、柚は藩の農民に作らせて、農民の現金収入にしたんですね。藩の収入にもなった。みんなで潤っていく。自前の強みを生かせという知恵。鉄にも目を付けた。
「これは中国地方の特産なので、備中鍬というのは農地を深く耕す事が出来る。開墾も出来るし、どんどん収穫も上がる。非常に優れモノの、日本近世の農業の道具では最大の発見と言ってもいいですね。真似はされても、鉄がきちんと採れる所でないと安い値段では出来ない。良質の鉄がすぐ近くで採れるというのが松山藩の強みなんですね」(山本氏)


ANAは自社の強みに目を付けて「貨物を儲け頭にしよう」


ーー自前の強み、自社の強みに目を付けて、経営戦略に軌道を乗せていったという例はありますか?
「お客様を乗せる飛行機は、一生懸命お客様を増やそうとします。貨物は余力で乗せていたーー昔はそうだった。そうではなくて、貨物を儲け頭にしようという事でやり始めたのが何年か前から」(全日空・大橋元社長)
 大橋さんの会社が、貨物部門を強化するために活用したのが自前の沖縄を中心とした旅客路線。国内の各地から沖縄へ貨物を輸送、そこからアジア各地へと結ぶ輸送網を新たに整備して収益アップにつなげたのです。
「お客さんが乗っていなくても、貨物だけで十分成り立っていける訳ですよ。仕組みを作ってやれば非常に有効な手立てになりますね」(大橋元社長)
「流通は非常に有効だと今気づかれている訳だけど、方谷はその時点で自前の船で江戸まで持って行っている。本当に流通をきちんと認識していたという事ですよね」(山本氏)
「ありゃ、すごいですね」(大橋氏)
ーー大阪の蔵屋敷を廃止する。
「これは、なかなかの英断なんですね。武士は商売には長けていないので、どうしても商人に委託する。その事務所が大阪の蔵屋敷。そこを廃止すると、どこで売って良いか分からない。ただ山田方谷は、いろいろな所からコメの豊作の情報だとか凶作の情報だとかを集めて、いちばん高く売れる所に運ぶ。そういう方策をやった。よほど情報網があって、なおかつ農民出身だけにコメとかそういう値段についての事には敏感だったんでしょうね。それでやることが出来た」(山本氏)
ーーそして結果として8年間で10万両。今でいう100億の借金を見事に返済した。この手腕たるや、すごいですよね。
「上杉鷹山なんか、そういう借財の返済を考えますけど、なかなか簡単には実現しない。かなり時間がかかる。薩摩藩とか長州藩とかは手っ取り早く踏み倒す」(山本氏)
ーー方谷はさらに人々の暮らしにも改革を求めていく。どうやって納得してもらう改革を進めたのか。さらなる知恵を味わってもらいます。
 財政改革といえば江戸時代、盛んに行われたのが倹約。方谷も例外ではありません。それは9箇条からからなる倹約令。日常生活の細かい事まで制限しています。「衣服は上下とも綿織物にして絹を使ってはいけない」「足袋を履いてよいのは、9月の節句から翌年4月の間だけ」「髪を結うのに男女とも人の手を借りてはいけない」。
 でも方谷が庶民に求めた倹約は、単なる息苦しい締め付けだけではありません。


山田方谷の知恵その3「安心で人の力を引き出せ」



山田方谷の知恵その3「安心で人の力を引き出せ」

 方谷の倹約令には、ちょっと変わった条文もありました。見回りの役員に酒は一滴も出さなくてよい。奉行や代官は、わずかな貰い物でも懐に入れてはならない。これは役人たちに蔓延していた接待や賄賂を禁じたもの。倹約で無駄を省く一方で弱い立場の人を不正から守り、負担を省くことも目指したのです。
 さらに方谷は庶民たちの地道な倹約から生み出した蓄えを庶民の暮らしのために役立てます。方谷の時代に建てられたコメ専用の貯蔵庫、濠蔵です。村ごとに1つずつ作り、年貢米を貯蔵させ、飢饉・災害などいざという時の備えにしました。方谷は農民が安心して働ける環境を整えることで経済を活性化させる大きな力を生み出そうとしたのです。
「農民たちに安心感を与えた。いざという時には、この濠蔵があるから大丈夫だということで。村人は安心して農業に励んで生活できる。だから方谷さんの時代に農民たちの数はずーっと増えている。藩全体が豊かになっている」(郷土史家)

ーーもともと農家に生まれ育ち、庶民の暮らしもよく理解していた方谷。庶民が豊かに安心して暮らせることを目指したからこそ、その改革に人々は納得したのです。
ーー安心が大事だというのは、どういう発想からなんですかね。
「将来のことを考えるためにも、今が安心でないとなかなか、きちんと働く気にもならないとなりますよね。方谷は農民出身なので、どこに農民が無駄遣いをしているのか、どこを契約すればいいのかがよく分かっている。そのうえで契約している。ただ指示をするだけでなくて、もし飢饉のときには濠蔵にコメを蓄えているよとなるんで。農民もそれなら従ってみようかという事になる訳ですね」(山本氏)

至誠惻怛』真心と痛み哀しむ心で人は必ず付いてくる


ーー従業員の方が安心して働けるモチベーションは、どうしたら持ってもらえるのか。一般の会社で社員の方、従業員の方に安心して働いてもらうためには。
「山田方谷には、もう1つ言葉があるんですよ。山田方谷『
至誠惻怛 (しせいそくだつ)』。至誠というのは、真心。惻怛 というのは、痛み哀しむ心。真心を持って、痛み哀しむ心を持てば、人は自ずから付いてくるよ。山田方谷は言ってますけど、私はその通りだと思いますね」(大橋氏)

ーー今日経営改革じっくり聞いてまいりましたけど。山田方谷の知恵、ビビりさん、どのようにご覧になりましたか?
「歴史の話を聞いていると、強引に押さえつけて進んだ結果、『ま、よくはなったけど』という話は結構あったじゃないですか。押さえつけたというよりは、考え方を変えて、メンバーはこのままでやってみませんか。みたいなところはあったのでね。理想的な改革な話がいっぱいありましたね」(ビビり氏)
ーー納得できる経営改革。というテーマで見てきたんですけど。最後に極意を、方谷の知恵を踏まえて大橋さんから教えて頂きますか。
「やっぱり、志ですよ。経営人の経営ビジョンがなきゃいかん。納得できる経営改革。経営改革の中身には、理念があって、ビジョンがなきゃいかん。ビジョンというのは、夢ですよね。夢を成り立たすには、志を持ってなきゃいかん。これがないと駄目ですね」(大橋氏)