鳥巣清典の時事コラム1622「EU離脱派 勝利確実 イギリスーキャメロン首相辞意表明 」 | 絶対に受けたい授業「国家財政破綻」

鳥巣清典の時事コラム1622「EU離脱派 勝利確実 イギリスーキャメロン首相辞意表明 」

英BBC速報
 
EU離脱派 勝利確実 イギリス「国民投票」

午後1時前ーー円は106円台が100円93~00銭と急激な円高に。

株価は1万5035円59銭と急落。


キャメロン首相 辞意表明


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.「離脱となれば関税や移動の自由などEUとの関係をどうするか、2年かけて交渉することになりますが、日本をはじめ世界経済への影響は避けられません。残留となっても、保守党の亀裂は深刻で、政治の不安定化が懸念されます。前例のない離脱という事態になるのか、それとも現状維持か、イギリスの将来だけでなくEU統合という壮大な実験の成否が18歳以上の有権者4600万人の選択にかかっています。」(NHK解説委員)


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PS

 今日は、美空ひばりさんの命日。

 昨夜、元スポーツニッポン新聞西部本社福岡総局記者の関戸幸冶氏より電話がありました。
「6月22日にNHKBSプレミアムで放送された『アナザーストーリーズ 運命の分岐点 女王美空ひばり魂のラストステージ』は、取材を受け冒頭60秒映りましたけど、ドキュメンタリ―として非常に良く出来ていた。まいった! 脱帽!ーーというのが正直な感想です。ディレクターは、テレビマンユニオンの石井永二さん。36歳で、ちょうど、あの頃の僕や鳥巣さんと同じ年代。僕は彼に会いましたけど、腰が低く、物腰が柔らかく、その頃の鳥巣さんの雰囲気に似ている(笑い)。貪欲さはあっても、表に出さず、人間性に溢れている。僕もそうだったのかもしれない(笑い)。久々にあの頃の自分を思い出させてくれました。僕もまだ何かをしようと燃えさせてくれましたよ。ブログでもやろうかな(笑い) いい花道を飾らせてもらいました。孫、ひ孫にもDVDを見せていこうと思います」
 書きながら照れるところがありますがーーこの時期は関戸氏にとっても地方のいち取材記者として天下のひばりさんに密着を試みていた頃で四半世紀を経てもなお熱く蘇る思い出。関戸氏はRKB毎日放送(福岡市)のディレクター故木村栄文氏と親しく、元々からドキュメンタリー好き
。木村氏は水俣病などを題材に文化庁芸術祭大賞など6度受賞したテレビドキュメンタリスト今思えばそんな根っこがあったからこそ「ひばりさんの最期の生き様を描きたい」と申し出た私という同業者を寛大な心で受入れてくれたのでしょう。そして拙著の中で主要な人物の1人として書かせてもらった恩義は私には一生忘れられません。
 その出会いは「邂逅(かいこう)」であり、私たちの合言葉はひたすら「天国のひばりさんに感謝しましょう」--なのです。

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 私の方には、NHKから番組をDVDにして郵送してくれるそうです。楽しみにしております。Yさん、ありがとうございます。

 今宵はひばりさん”最後の絶唱”となったテレビ番組(TBS系)『春一番! 熱唱 美空ひばり』を聴いています。録画取りは、12月12、16、17日の3日間にわたって行われています。見事な絶唱ぶりなのですが、録画取り終了直後、池田文雄プロデュサーに「池田さん、これ、最後になるかもしれないから・・」と呟くように伝えたひばりさん。「私ね、見た目より大変なのよ。・・・・見た目よりうんと疲れてんの。一曲終わるたびにガクッとくるの」ーーこれは、直接私が池田氏から聞いた逸話です。

 まもなく「昭和」の時代が幕を閉じようとしていました・・。<天皇陛下崩御> 1月7日「昭和」という時代の幕が下りたのです。
 そしてひばりさんは、平成元年6月24日に逝去、享年52歳でした。
 

PS②
 25日、突然の訃報。
 親戚の内藤芳徳氏が昨日24日に亡くなったという報せ。死因は肺がん。享年67歳でした。私より3歳年上で、小学生の頃はよく遊んでくれたものです。ご冥福をお祈りします。

 本人の名前で携帯に電話があったので、何気なく耳元に当てると奥さんの声。重たい声で・・「亡くなりました」。東京在住で1年ほど前には「また会おう」と話していました。「肺がんでした。告知から、7か月でした。とても速くて・・」。
 突然の報せで愕然としています。

PS③

 駆け付けました。
 奥さん、そして3人の娘家族が集まっていました。眠ったように柩の中に安置されていました。抗がん剤治療の後、5月から完全に入院してからは、娘たちが交代で見舞いに訪れたそうです。
 しばらく、生前の思い出を語り合いました。芳徳氏は私の祖父の弟の娘の子ーーですから血縁的には離れているのですが、年齢がいちばん近かった。氏自身の人懐っこい性格もあり、年下の私も分け隔てなく可愛がってくれました。
 故郷柳川の少年時代に遊んでもらったこと、そして私が上京してからも目を掛けてくれたことなど、今日までの事が走馬灯のようによみがえってきます。私が『美空ひばり最期の795日』を上梓した時は、家族だけでなく知り合い中に「読んで、読んで」と言って勧めてくれていたといいます。
 その芳徳氏の命日が奇しくも、ひばりさんと同じ日になりました。

 29日がお通夜、30日がご葬儀。今週はダンスを休み、喪に服す事にします。