鳥巣清典の時事コラム1592「熊本と大分で地震活動続く 激しい揺れに警戒」 | 絶対に受けたい授業「国家財政破綻」

鳥巣清典の時事コラム1592「熊本と大分で地震活動続く 激しい揺れに警戒」

熊本と大分で地震活動続く 激しい揺れに警戒

今月14日に熊本県で震度7の激しい揺れを観測した地震が起きて以降、熊本県と大分県では活発な地震活動が続き、震度1以上の地震の回数は800回を超えています。気象庁は引き続き激しい揺れを伴う地震が起きるおそれがあるとして警戒を呼びかけています。

熊本県では今月14日の夜、益城町で震度7の激しい揺れを観測する地震が発生したあと、1週間前の今月16日未明には益城町と西原村で震度7の揺れを観測する地震が発生しました。
一連の「熊本地震」で、熊本県と大分県で震度1以上の揺れを観測した地震の回数は、24日午前1時までに844回に上り、午前1時すぎには熊本市東区で震度3の揺れを観測する地震が発生しました。
1日当たりの回数は15日から17日までの3日間がいずれも100回を超えたほか、その後も1日数十回観測されていて、22日が41回、23日が28回となっています。
気象庁は「地震の回数が減ったように感じられるかもしれないが、地震活動は多い状態と少ない状態を繰り返しながら、全体的には活発な状態が続いている」としています。
震度別では最大震度7が2回、震度6強が2回、震度6弱が3回、震度5強が3回、震度5弱が7回、震度4が76回などとなっています。
気象庁によりますと、熊本県や大分県の被災地では24日もところによって弱い雨が予想されるなど、この先1週間程度は雨の降りやすい日が続く見込みです。
気象庁は揺れが強かった地域では地盤が緩んでいるため、引き続き地震の揺れや雨による土砂災害に警戒するよう呼びかけています。

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PS

 「華宮ゆう士」さんから郵便物が届きました。


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 1981年生まれの「華宮」さんは、声優・神谷明さんの娘さんです。

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 神谷さんのご家族とは、ご自宅で取材させて頂いて以来のお付き合い。奥様からチラと噂は聞いていたのですが、「シナリオノベル」という新ジャンルでデビューです。おめでとうございます。

 ちなみに以下のような書評が載っていました。
「エレンディール 剣の聖女」(セルバ出版刊)は、どんどん読み進んで行ってしまうほど面白いSFファンタジーです。「シナリオよりもちょっと踏み込んで、人物の動きだけでなく、効果音まで文章にして、より映像的に見せることを心がけました。演出はより細かく、ときにはセリフと連動して盛り上げ、なおかつ作品単体で完結できるように小説風に味付けをしています。」と華宮さん。一言でいうと「文章で味わう映画・マンガ」というところでしょうか。さらりと読め、わかりやすいが読みごたえがあるということで、シナリオノベルシリーズとして人気を博しているそうです。こうした新しいジャンルが生まれてくるのだなあとびっくり。>

 華宮さんの手紙には、こう記されていました。
「ただいま新作を準備中です。完成の際は、また改めてお知らせさせていただこうと思います」
 益々のご活躍をお祈り申し上げます。

PS②

 時々、テレビのインタビューや対談番組を見ることがあります。チェック番組の1つにNHKEテレの『スイッチインタビュー』。「宝塚のレジェンド柚木礼音VSバレエ界の宝石・上野水香」を見ました。柚木さんが、東京バレエ団を訪ねます。
「感動する、心が洗われる、バレエって最高(笑)」(柚木)
「先生から注意されるのは”肘(ひじ)”とか”踵(かかと)”とか。結局言われることは子どもの時から一緒です(笑)」(上野)
 現在社交ダンスを習っていることもあり、踊りに関するモチベーションや苦労話は興味深いものがありました。上記の2人のコメントに共通するのは「原点」。

「柚希礼音」の画像検索結果       「上野水香」の画像検索結果

 私の方は今月のタンゴとクイックステップで大苦戦。とくにタンゴは先輩のТ氏でさえ「やっとだった」と言う難しいステップが含まれていて、私はほとんど踊りになりませんでした。そのТ氏が居残り特訓に誘ってくれました。テーマは「正確に」。実は、これは本当にきつい。自分が出来なくてごまかしているところが如実に露呈されるからです。今回はタンゴで前進・後退を同じ歩幅でステップが踏めるようにーーやってみるとバラバラでーー出来るまでやらされました。
 Т氏は、ピアノ調律師。鞄の中にあった宮下奈都著『羊と鋼の森』(文藝春秋)を見せてもらいました。
本屋大賞を受賞したばかりの、調律師を描いた本です。書店で私も買いました。

羊と鋼の森
PS③
 
 (スイッチに)続いての番組ETV特集「ハンセン病の隔離政策に抵抗した医師の記録」も見ました。
硬派のドキュメンタリーでしたが「小笠原昇」医師の孤高の戦いぶりには感慨深いものがありました。

【小笠原昇】
 
1888年(明治21年)7月10日 - 1970年(昭和45年)12月12日)は日本医学者(専攻は皮膚科学)でハンセン病(らい病)の研究者。元京都帝国大学助教授。愛知県出身。京都帝国大学医学部卒業後、同大学医学部の皮膚科特別研究室助教授となり、1948年まで在職した。彼はハンセン病の発病は体質を重視すべきことや不治ではないことを主張し、当時行われていた患者の強制隔離・断種に反対したが学会から葬り去られる結果となった。(ウィキペディア)

PS④


 翌日、「最高裁が異例の謝罪」がニュースに。




かつて裁判所がハンセン病の患者の裁判を隔離された療養所などで開いていた問題について、最高裁判所は「差別的に扱った疑いが強く、患者の人権と尊厳を傷つけた」とする報告書を公表し、異例の謝罪をしました。一方、有識者などから「憲法に違反していた」と指摘されていたことについては、認めませんでした。

昭和20年代から40年代にかけ、ハンセン病の患者の裁判のうち95件が隔離された療養所などの「特別法廷」で開かれていた問題について、最高裁判所は報告書を公表しました。
報告書では、遅くとも昭和35年以降、ハンセン病は確実に治るとされていたにもかかわらず、当時の最高裁が必要性を精査しないまま各地の裁判所からの申請を受けて、原則、特別法廷を認めていたことを問題点として挙げました。
そのうえで、「差別的に扱った疑いが強く、特別法廷の手続きを定めた裁判所法に違反していた。偏見や差別を助長し、患者の人権と尊厳を傷つけたことを深く反省し、おわび申し上げる」として、謝罪しました。最高裁が過去の対応について謝罪するのは異例です。
一方、最高裁と共に検証していた有識者の委員会や、検証を求めた元患者などから「平等の原則を定めた憲法に違反していた」と指摘されていたことについては、「当時の最高裁内部の検討が資料として残っていないので判断できない」として認めませんでした。
また、元患者などが「裁判の公開の原則に違反していた」と指摘していた点については、裏づける資料が確認できなかったとして「非公開だったとはいえない」としました。
最高裁判所の今崎幸彦事務総長は、特別法廷が最後に指定されてから40年以上たって検証を始めたことについて、「資料の散逸を招いたという批判は率直に受け止めなければならない。この教訓を真摯(しんし)に受け止めたい」と述べました。
また、最高裁と共に検証作業を行った、有識者委員会で座長を務めた金沢大学の井上英夫名誉教授は「最高裁は形式的には憲法違反と認めなかったものの、実質的には踏み込んだ内容になっており評価したい。今後も資料の発掘なども含めて調査を続けてほしい」と話していました。

「公開されず」「 遅すぎた」 元患者の証言

最高裁判所の検証について、ハンセン病の元患者からは「裁判は公開されていなかった」という疑問の声や、「検証を始めるのが遅すぎる」という指摘が出ています。
熊本県合志市のハンセン病の療養所「菊池恵楓園」では、近くに設けられた医療刑務所も含めて、全国で最も多い35件の特別法廷が開かれました。
10代で強制的に入所させられた元患者の長州次郎さん(88)は、およそ60年前に園内で開かれた刑事裁判の特別法廷を傍聴することができなかったといいます。この裁判はある患者が殺人未遂などの罪に問われたもので、自治会の事務所や公会堂などで審理が少なくとも3回行われたということですが、大人の背丈よりも高い布の幕で周りが覆われていたといいます。
長州さんは「当時は患者がいる場所を『有菌地帯』、職員がいる場所を『無菌地帯』として区分けしていたので、法廷に入ることもできなかった」と述べ、裁判の公開の原則に反していたのではないかと話しています。
また、元患者の杉野芳武さん(85)は実態を明らかにするには裁判所の検証が遅すぎたと感じています。杉野さんは特別法廷が開かれているのを、法廷の外から見かけたことがあるということですが、審理がどのように行われたか記憶があいまいになっているということです。
杉野さんは「半世紀以上もたったあとに検証して本当のことが分かるのか。裁判所は行動があまりにも遅すぎる」と指摘しています。