鳥巣清典の時事コラム1582「東日本大震災から5年、『津波避難学』の教訓は東日本から西日本へ」 | 絶対に受けたい授業「国家財政破綻」

鳥巣清典の時事コラム1582「東日本大震災から5年、『津波避難学』の教訓は東日本から西日本へ」

『おはよう日本』で「”最短2分で津波”避難を諦めない対策は」(3月15日朝)。

 東日本大震災から5年を経て、次に心配されているのが南海トラフ地震。国から南海トラフ地震防災対策推進対策地域に指定されたのは1都2府26県の707市町村。
政府が発表した、南海トラフ地震の驚愕の被害想定は最悪「死者32万人」。

「南海トラフ地震」の画像検索結果

 その1つ、和歌山県串本町の串本幼稚園などの地域がルポされていました。
串本町は、紀伊山地を背に潮岬が雄大な太平洋に突き出した本州最南端の町です。

和歌山県串本幼稚園。の地図

ーー串本幼稚園では東日本大震災以降、毎日のように高台への避難訓練を行うようになりました。いざという時に自分で判断し逃げる力を養って欲しいからです。
「全員そろうまで1分37秒でした」(「お~っ」の歓声。先生が「速かったね」とホメる声。)そのあと先生が「自分の命は」と言うと、子どもたちが一斉に「自分たちで守る!」。
ーーしかし高齢者の中には数分の間に津波が来るというあまりにも厳しい想定に避難を諦める人も出ています。Gさん(81歳)です。避難場所である高台までの距離はおよそ500メートル。10分以上かかる道のりです。「3分の1くらいですね」。Gさんは89歳の夫と2人暮らし。津波が来れば自分たちは避難できないと思うようになりました。「ここでおろねって。もう逃げる事が出来ないから、おって覚悟を決めとこねという話をした事もあるんですよ。ま、最終的になるようになれっていう事やね」(Gさん)。
ーーお年寄りの中に広がるあきらめ。どうしたら自ら逃げる力を強くしてもらえるのか。町にとって大きな課題でした。防災を担当してきたHさんです。Hさんは東日本大震災の被災地でいち早く津波から逃げた事で命を救われた人の話を聞いてあきらめない事の大切さを痛感しました。
「もう私はここで死んでもいいや」というあきらめの気持ちを持って貰う事によって可能性がゼロになってしまいます。絶対に私たちは、あきらめる訳にはいかないんですね」(Hさん)
ーーまず取り組んだのが、津波を避ける事の出来る避難場所の確保です。厳しい財政状況の中でいま町の中にある民間のビルを活用する事にしました。家からすぐの所に避難場所があれば、あきらめずに逃げて貰えるはずだと考えたのです。
 十分に耐震性のある高い建物が限られるなかでビルの所有者の協力を得てこれまでに4つの建物を避難場所に指定しました。今も1つでも多くの避難場所を増やそうと取組を続けています。
 目を付けたのは5階建のホテル。ここなら10メートルの津波が来ても住民が避難できます。避難場所になれば多くの人が出入りします。会社や顧客の情報流出など防犯上の理由から受け入れをためらう経営者が多い中で夜間にも避難出来る場所を探していました。
「これだけの広さがあったら、ここだけでも50人かそこら・・」。半年にわたって続けられた交渉。ようやく今月中の指定に目途がつきました。あらたに200人分の避難場所を確保する事が出来たのです。これで計算上では、この地区の住民の半数以上2000人余りにビルへと避難して貰う体制が整えられたのです。
 さらに町ではカバーできない避難タワーのような施設の建設も急ぎ住民全員が避難をあきらめないための対策を進めるようにしています。
「1秒でも早く、1メートルでも高く、行動を起こす。そういう意識を高めてもらう事に力を入れていきたいと思いますね」(町担当者)
ーー住民が主体となって避難をあきらめないための取組を推し進める地区も出てきました。町の中心部から西に5キロ離れた有田地区です。津波が内陸1キロまで到達し、およそ100人が巻き込まれる怖れがあるとされています。
 区長のIさんです。山が迫る地形を避難に利用できないかと考えました。「高台に移動できるというのは山しかない。どこでも駆け上がれるという状態を作っておかないと」。
 自宅が山に接しているY子さん(83歳)。これまでは直接上がれる道がなく100メートル以上遠回りしなければなりませんでした。そこでこの地区では町に要請し新たに避難用の階段が整備されました。Y子さんは、わずか1分で高台に逃げられるようになったのです。「高い所にあったら、年寄りにはいちばん助かります」(Y子さん)
ーー避難路を自分たちで整備する取り組みも行っています。山から丸太を切り出して手すりなども設置。「命の道」と呼んでいます。東日本大震災以降の5年間に整備した避難道は23本。地区ではこの避難路を確保して地域ぐるみで訓練を重ね命をあきらめないための取組を続けたいとしています。
「1分の差ですね。1分がものすごく大事になる。ここらをどう縮めていくのか。とりあえず助かる。とりあえず逃げ切る。それしかないですね」

 取材にあたったТ記者。
ーー2分で逃げるというのは、かなり難しいですよね。
「ただ串本町に最短2分で津波が到達するというのは、あくまで最悪の場合です。地震の規模が小さかったり震源地が遠かったりすれば避難する時間は必ずあるんです。リポートでは、避難をあきらめて覚悟を決めたという女性を紹介しましたが、この女性もすぐ近くに避難できるビルが出来た事で”夫と一緒に避難したい”と話をしてくれました。」
―ー東日本大震災の被災地では高台移転も行われていますが、そういった取り組みは行われているのでしょうか。
「高台移転は住民の命を守るうえで重要な考え方だと思います。しかし高齢者を中心に、いつ来るか分からない津波のために住み慣れた家を離れたり、中心部から離れた高台に家を新築したりするのは難しいと考える人も少なくありません。そうした中、発想を転換してそもそもお年寄りが高台で過ごす時間を増やそうとする取り組みを始めた自治体もあります。串本町のすぐ側にあり同じように津波が来ると想定される太地町では宿泊施設として使われていた高台の建物を購入し来年度から運用したいとしています。ここには温泉もあり、お年寄りにも快適に過ごして貰えます。普段からここに集まって貰えれば地震が起きても津波に襲われず安全に過ごして貰える時間が長くなると町では考えたんです
ーーそして何よりも住民が「あきらめない」という気持ちを持つ事が大事ですよね。
「とにかく避難をあきらめなければ必ず生き抜くチャンスはあるという事です。まずは私たち自身が必ず助かる、必ず生きるという意識をもって命をあきらめない事が大切だと思います」

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PS①

 この日、私のもとに1冊の新刊本が出版社より届きました。
 タイトルは『津波避難学』(すぴか書房)。著者は、清水宣明・
愛知県立大学看護学部教授。三重県伊勢地域に住まい、南海トラフ地震・津波対策に関わるなかで、災害弱者の視点に立った科学的な「避難学」を追求。地域で100回を超える勉強会や講演会を重ね、現在具体的な対策づくり(地域との共同研究)が進行中。毎日新聞地方版にコラム「看護の視点からの地域の災害弱者対策を」を連載中の教授です。

内容紹介

そのとき、あなたはどうしますか?
「とにかく逃げろ!」はまやかしです。
逃げられない災害弱者もいるのです。生き延びるために、
津波避難における大原則と「正しい避難のしかた」を知りましょう。
東日本大震災の事実を見直すと、尊い犠牲から学ぶべきことがたくさん見えてきます。
巨大な地震・津波には勝てない。いつ起るか予測もできない。でも、絶望する必要はありません。
本書を読めば、「負けない」ために、誰にでも実行可能な方法があることがわかります。津波避難学は災害弱者の希望を引き出す科学なのです。自然の制圧をめざす科学ではありません。いま生きている人間の視点で、危急存亡の「難を避ける」ための最善を追求しています。最優先は命が助かることです。それを可能にする地域をめざしましょう。防災対策は地域づくり。主役はあなた自身です。

著著者について

愛知県立大学看護学部教授。1959年栃木県鹿沼市生まれ。山形大学理学部卒業後、成人T細胞白血病ウイルス2型(HTLV-II)の遺伝子構造の世界初の決定プロジェクトに参加。1986年群馬大学医学部博士課程進学、エイズウイルスの研究に取り組む。1990年、医学博士。1993~1994年フランス(パリ)のコシャン分子遺伝学研究所留学。群馬大学医学部講師を経て2013年4月より現職。2009年の新型インフルエンザ流行を機に感染制御研究を開始、小学校内の流行進行の仕組みと学級閉鎖の効果を解明。その後、地域の健康と安全へとテーマを広げ、三重県伊勢地域で南海トラフ地震・津波対策に関わるなかで、災害弱者の視点に立った科学的な「避難学」の必要性を痛感。地域で勉強会や講演会を重ねる(すでに100回を超える)。現在、具体的な対策づくり(地域との共同研究)が進行中。毎日新聞地方版にコラム「看護の視点からの地域の災害弱者対策を」を連載。




 私は清水教授とは以前より知り合いなのですが、今回は出版社との縁を結ぶ事になりました。そういう教授との絆もありこの1年間、脱稿までを見守ってきただけに、完成に感慨もひとしおです。
 この本が必ずや、大地震・津波被害対策に役に立つ事を願ってやみません。