鳥巣清典の時事コラム16 「GDPも5番のフランス並を目指す?」
経財政問題を調べていると、専門家の間でも“対立軸”が存在します。
「キー・ワード」を整理しておきましょう。
「日本は、“フランス型福祉国家”を目指すべき」
世界で最も速く超少子高齢社会に突入する日本。
榊原英資氏は、社会システムで備えをしたほうが良いという考え方のようです。
高齢化社会は、“互助の精神”が大切になってきます。
もっともフランスは、もともとは個人主義が発達している国です。
榊原氏の考え方には、もう少し付け加えておく必要があります。
「ただ分配するだけではなく、フランスのように競争させ、成長しなければならない。
そのために、とくにサービス産業に対する規制緩和が必要。
医療や介護は、いまだに完全な社会主義。
これを規制緩和し、混合医療も認めて医療を伸ばす。
教育も文部科学省なんかぶっ潰すくらいの自由化をやる。
医療、介護、教育、農業などで規制を緩和し自由化して、第三次・第一次産業を活性化させる。そしてヨーロッパ型の福祉社会を目指す」
やはり「分配」をするには、「富を集める」ことが必要になる、ということでしょう。
「それはそれで、りっぱな考え方だと思います」
と認めつつも、“立場”を異にする竹中平蔵氏は、こう忠告しています。
「民主党の鳩山由紀夫さんに、ぜひ日本のミッテランになってほしいと思っていた。
ミッテランは1981年、初めて社会党のフランス大統領になった。
社会主義の建設を目指して9つの企業群を国有化。
これはGDPの17%を占めた。
それから労働組合の影響を受けて労働時間の短縮をやり、家族手当を手厚くした。
その結果、初年度の財政出資が30数%増と、ものすごい財政赤字になった。
そこでミッテランは、82~83年に政策の大転換をやった。
もう
『社会主義の建設』
とは言わず、
『ヨーロッパの統合』
と言った。
競争するところは競争しようということで、実質的にかなり自由主義を入れた。
これがうまくいって、ミッテランは14年の長期政権になった。
民主党が自民党と違う政策を打ち出すのは大いに結構だが、ヘンな規制の強化は困る。
ミッテランのように賢い転進をやってほしい」
竹中氏は『政権バブル~重税国家への道~』(PHP研究所)でもこの話を取り上げており、繰り返している例えです。
「真実は、その中間にある」
という格言もあります。
ヨーロッパ諸国には、「社会主義」と「自由主義」の中間を採用している国が多く、いちばん現実的だということなのでしょう。
理念に偏りすぎると、現実社会ではなかなか上手くはいかない。
『フランス型福祉社会』も、最近伝わってくる状況は、必ずしも上手くいっているようには思えません。
自由主義、社会主義、どちらの政策によりウエイトを置くかで選挙をした結果、自由競争主義の強化を訴えたサルコジ大統領が勝利を収めています。
やはり、財政問題がネックになった結果のようです。
イギリスは、フランスより一足先に学習しています。
1960年代のイギリスには、「ゆりかごから墓場まで」と言われる充実した社会保障制度や、基幹産業の国有化等の政策をとる、大きな政府に守られた生活がありました。
児童・家族手当や国民保健サービスに加え、手厚い失業保険等、包括的な社会保障制度の確立は、戦争で疲弊したイギリスを立て直すために必要な政策だったようです。
イギリスの福祉は、中央集権型福祉へと変化し、中身を充実させたのです。
その結果は、極端な累進課税制度による社会的活力の低下や、手厚い福祉への依存による勤労意識の低下、産業保護政策による国際競争力の低下などが常態化していきます。
政府の意図とは裏腹に、経済全体が停滞する方向へ向かう悪循環に陥ります。
ストライキが多発し、多くの企業が倒産する中、第一次オイル・ショックが追い打ちをかけるようにイギリスの経済に打撃を与えていきます。
イギリスはついに国の抱える負債は危険水準を超えてしまいます。
1976年、苦渋の決断を迫られ、一旦は拒否したIMFの救済を受け入れたのです。
私がイギリスを訪れたのは20代の半ば、1975年頃でした。
歴史で習った「大英帝国」の頃の繁栄ぶりはなく、印象的だったのは、高福祉に手厚く守られた若者たちが退廃的な音楽の中で気だるく踊っている姿。
オイル・ショックにより、世界は経済混乱に見舞われました。
それでもその頃の日本は、難問を克服していく精神的エネルギーに満ち溢れていました。
数ヶ月のイギリス滞在から帰国した時、東京の青山辺りはオイル・ショックなどどこ吹く風とばかりの若者でにぎやかでした。笑い声が、満ちていました。
ただ、イギリスの惨状を見てきた私は、
「現在は経済的繁栄を謳歌しているけれど、日本人は満腹になった後は、いずれイギリスみたいになるのかもしれない」
と予感めいたものがありました。
敗戦で貧乏のどん底に突き落とされた日本人は、がむしゃらに復興に取り組み、「奇跡」と世界からおどろかれました。
私が1971年にアメリカに行った頃も、
「日本は戦争で負けて瓦礫の山になってたはずなのに、どうして目覚しい経済成長をしているんだ」
と、白人の若者たちから質問を浴びたものでした。
人というのは本来、なまけものなのかもしれません。
目的が見つかった時に、力を集中していく。
「経済」というのはとくに、国民が働いて、富を稼ぐ、というモチベーションが見つからなければ総体として発展しないようです。
(資源国のように、天の恵みがあるところは別ですが)
アメリカも福祉国家に転換した途端、かつてのイギリスのようになっていくのでしょう。
狩猟本能をかきたて、持続させていくキーワードが「新自由主義」、すなわち競争原理というわけです。
成功した者は、ビル・ゲイツのようになれるという「夢」が原動力となっています。
竹中平蔵氏は、その立場に立っています。
大きく分ければ、3つの選択肢があるような気がします。
(1)「競争」して「成長」を目指し、サッカー全日本代表のように世界と激烈に戦う。(「1番」をあきらめない)
(2)競争や成長の考え方は止めて、少子高齢化の流れに従い、自分たちの価値観でほどほどに生きる。(価値観を変えて、経済競争の順番争いからは脱落)
(3)「競争」と「互助」の中間辺りを目指し、「(蓮航議員のように「なぜ2番じゃ駄目なんですか」と言っても2番も無理だろうから、名目GDPがフランスと同じ)4~5番」志向でいく。
ちなみに世界の名目GDP(国内総生産)<( )内は一人当たりGDP>ランキングは、以下の通りです。
さて、これからの日本社会を見渡してみた時、日本人はどういう進路を選択すればいいのでしょうか。
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「キー・ワード」を整理しておきましょう。
「日本は、“フランス型福祉国家”を目指すべき」
世界で最も速く超少子高齢社会に突入する日本。
榊原英資氏は、社会システムで備えをしたほうが良いという考え方のようです。
高齢化社会は、“互助の精神”が大切になってきます。
もっともフランスは、もともとは個人主義が発達している国です。
榊原氏の考え方には、もう少し付け加えておく必要があります。
「ただ分配するだけではなく、フランスのように競争させ、成長しなければならない。
そのために、とくにサービス産業に対する規制緩和が必要。
医療や介護は、いまだに完全な社会主義。
これを規制緩和し、混合医療も認めて医療を伸ばす。
教育も文部科学省なんかぶっ潰すくらいの自由化をやる。
医療、介護、教育、農業などで規制を緩和し自由化して、第三次・第一次産業を活性化させる。そしてヨーロッパ型の福祉社会を目指す」
やはり「分配」をするには、「富を集める」ことが必要になる、ということでしょう。
「それはそれで、りっぱな考え方だと思います」
と認めつつも、“立場”を異にする竹中平蔵氏は、こう忠告しています。
「民主党の鳩山由紀夫さんに、ぜひ日本のミッテランになってほしいと思っていた。
ミッテランは1981年、初めて社会党のフランス大統領になった。
社会主義の建設を目指して9つの企業群を国有化。
これはGDPの17%を占めた。
それから労働組合の影響を受けて労働時間の短縮をやり、家族手当を手厚くした。
その結果、初年度の財政出資が30数%増と、ものすごい財政赤字になった。
そこでミッテランは、82~83年に政策の大転換をやった。
もう
『社会主義の建設』
とは言わず、
『ヨーロッパの統合』
と言った。
競争するところは競争しようということで、実質的にかなり自由主義を入れた。
これがうまくいって、ミッテランは14年の長期政権になった。
民主党が自民党と違う政策を打ち出すのは大いに結構だが、ヘンな規制の強化は困る。
ミッテランのように賢い転進をやってほしい」
竹中氏は『政権バブル~重税国家への道~』(PHP研究所)でもこの話を取り上げており、繰り返している例えです。
「真実は、その中間にある」
という格言もあります。
ヨーロッパ諸国には、「社会主義」と「自由主義」の中間を採用している国が多く、いちばん現実的だということなのでしょう。
理念に偏りすぎると、現実社会ではなかなか上手くはいかない。
『フランス型福祉社会』も、最近伝わってくる状況は、必ずしも上手くいっているようには思えません。
自由主義、社会主義、どちらの政策によりウエイトを置くかで選挙をした結果、自由競争主義の強化を訴えたサルコジ大統領が勝利を収めています。
やはり、財政問題がネックになった結果のようです。
イギリスは、フランスより一足先に学習しています。
1960年代のイギリスには、「ゆりかごから墓場まで」と言われる充実した社会保障制度や、基幹産業の国有化等の政策をとる、大きな政府に守られた生活がありました。
児童・家族手当や国民保健サービスに加え、手厚い失業保険等、包括的な社会保障制度の確立は、戦争で疲弊したイギリスを立て直すために必要な政策だったようです。
イギリスの福祉は、中央集権型福祉へと変化し、中身を充実させたのです。
その結果は、極端な累進課税制度による社会的活力の低下や、手厚い福祉への依存による勤労意識の低下、産業保護政策による国際競争力の低下などが常態化していきます。
政府の意図とは裏腹に、経済全体が停滞する方向へ向かう悪循環に陥ります。
ストライキが多発し、多くの企業が倒産する中、第一次オイル・ショックが追い打ちをかけるようにイギリスの経済に打撃を与えていきます。
用語解説≪オイル・ショック(石油危機)≫ アラブ産油国の原油生産削減と価格の大幅引き上げが、石油を主なエネルギー資源とする先進工業諸国に与えた深刻な経済的混乱。 第一次は昭和48年(1973)、第二次は昭和54年(1979)に起こった。 |
イギリスはついに国の抱える負債は危険水準を超えてしまいます。
1976年、苦渋の決断を迫られ、一旦は拒否したIMFの救済を受け入れたのです。
私がイギリスを訪れたのは20代の半ば、1975年頃でした。
歴史で習った「大英帝国」の頃の繁栄ぶりはなく、印象的だったのは、高福祉に手厚く守られた若者たちが退廃的な音楽の中で気だるく踊っている姿。
オイル・ショックにより、世界は経済混乱に見舞われました。
それでもその頃の日本は、難問を克服していく精神的エネルギーに満ち溢れていました。
数ヶ月のイギリス滞在から帰国した時、東京の青山辺りはオイル・ショックなどどこ吹く風とばかりの若者でにぎやかでした。笑い声が、満ちていました。
ただ、イギリスの惨状を見てきた私は、
「現在は経済的繁栄を謳歌しているけれど、日本人は満腹になった後は、いずれイギリスみたいになるのかもしれない」
と予感めいたものがありました。
敗戦で貧乏のどん底に突き落とされた日本人は、がむしゃらに復興に取り組み、「奇跡」と世界からおどろかれました。
私が1971年にアメリカに行った頃も、
「日本は戦争で負けて瓦礫の山になってたはずなのに、どうして目覚しい経済成長をしているんだ」
と、白人の若者たちから質問を浴びたものでした。
人というのは本来、なまけものなのかもしれません。
目的が見つかった時に、力を集中していく。
「経済」というのはとくに、国民が働いて、富を稼ぐ、というモチベーションが見つからなければ総体として発展しないようです。
(資源国のように、天の恵みがあるところは別ですが)
アメリカも福祉国家に転換した途端、かつてのイギリスのようになっていくのでしょう。
狩猟本能をかきたて、持続させていくキーワードが「新自由主義」、すなわち競争原理というわけです。
成功した者は、ビル・ゲイツのようになれるという「夢」が原動力となっています。
竹中平蔵氏は、その立場に立っています。
大きく分ければ、3つの選択肢があるような気がします。
(1)「競争」して「成長」を目指し、サッカー全日本代表のように世界と激烈に戦う。(「1番」をあきらめない)
(2)競争や成長の考え方は止めて、少子高齢化の流れに従い、自分たちの価値観でほどほどに生きる。(価値観を変えて、経済競争の順番争いからは脱落)
(3)「競争」と「互助」の中間辺りを目指し、「(蓮航議員のように「なぜ2番じゃ駄目なんですか」と言っても2番も無理だろうから、名目GDPがフランスと同じ)4~5番」志向でいく。
ちなみに世界の名目GDP(国内総生産)<( )内は一人当たりGDP>ランキングは、以下の通りです。
1位 アメリカ(9位) 2位 日本(17位) 3位 中国(99位) 4位 ドイツ(16位) 5位 フランス(15位) 6位 イギリス(22位) 7位 イタリア(21位) 8位 ブラジル(61位) 9位 スペイン(23位) 10位 カナダ(18位) |
さて、これからの日本社会を見渡してみた時、日本人はどういう進路を選択すればいいのでしょうか。
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