われわれ高度成長を経験した世代は、若くして「新しいこと」へのチャレンジが許され、
多くの「失敗」を経て成長した。その「新しいこと」の多くは、アメリカで起こってい
たものだった。
われわれが創った「新しいこと」は数少なかったが、バブル崩壊以降、それでなんとか
日本は生き延びてきた。しかしその「新しいこと」にも、賞味期限が来てしまった。
電機業界を見れば一目瞭然だ。世界を風靡したナショナルやシャープのブランドには既に
往年の力は無く、新しい勢力に取って変わられてしまった。
「新しいこと」を創るのは誰か。
それはいつの時代も若者だ。
若者のエネルギーが「新しいこと」を産み出し、社会を変えてきた。
しかしいまは、
圧倒的多数のわれわれが
そのエネルギーを吸い取っている。
引退せず、指示をしている。
引退せず、ポストを奪っている。
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引退はできないよね。
仕事は生き甲斐だから。
仕事しか生き甲斐が無いのだから。
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ただ、自覚だけはしないか。
われわれにはもう
「新しいこと」を発想するエネルギーは無いことを。
「新しいこと」を実行するエネルギーも無いことを。
新しい日本を創る「新しいこと」は
若者の中ですでに始まっているのだろう。
きっと、われわれが気付いていないだけ。
何が起こるのかはわからない。
何が正しいのかもわからない。
ただはっきりしていることがある
それは、
20年後の日本を担うのはわれわれでは無いこと。
20歳のとき、ここまで豊かになると思ったか。
30歳の時、高度成長が止まると予想したか。
時代は予測ができない。
われわれは
「失敗」して成長してきた。
「失敗」しながら必死に働いてきた。
「失敗」を積み重ねて時代を創ってきた。
われわれの出番は
若者の「失敗」を支えるメンター役
若者が数多くの「失敗」ができるよう支えるメンター役
引退はしなくていいさ。
立派な出番があるのだから。
大変な出番があるのだから。
さあ、また忙しくなるよ。