自転車日本一周旅〜人生で大切なことはすべて旅で学んだ〜
青森県の十和田湖を後にした自転車旅は、発荷峠を越え、国道282号線に合流。
奥羽山脈の中央分水嶺である貝梨峠を超え、国道4号線へ。
東北地方を縦貫する国道4号線を南下し続ければ、東京日本橋にたどり着く。
岩手県花巻市にやって来た。
花巻と言えば宮沢賢治だ。
あの詩集「雨にも負けず」で有名な宮沢賢治の生まれ育った故郷なのだ。
宮沢賢治ゆかりの地を巡り、賢治が求めていたイーハトーブの世界を追体験したいと思ったのだ。
イーハトーブとは、賢治が追い求めた理想郷。
宮沢賢治は不思議な人だ。
童話作家、教育者、科学者、宗教者、音楽や演劇を好む文化活動家など多彩な顔を持つ。
まず、北上川に沿って花巻農学校跡地を訪れる。
賢治は、25歳の冬から4年間、この農学校で教員を務めた。
教科書を使わない教師として、心と体が躍動する指導をしていたようだ。
「生徒の心に大事件が起きないような授業は授業ではない」という賢治研究家の文筆を読んで衝撃を受けたことがある。
心の事件の起こし方は、生徒の体や心が本質的に求めているものと教師の姿勢や言葉がうまくぶつかり合いスパークした時に事件が起き、生徒は「まいったなぁ、この先生は」ということになるのだ。
例えば、北上川での出来事。
賢治はこの一級河川をイギリス海岸と呼んで、よく生徒たちを連れて泳ぎに行ったという。
生徒の一人が溺れて大騒動になる。賢治は危険がある裏側の楽しさを楽しんでいたと言う。
またある時、校舎の2階から生徒たちに飛び降りるように指示する。
困惑する生徒たちを見て、賢治は内心吹き出したくなる気持ちを抑える。生徒は賢治の気持ちに応えようと屋根から飛び降りる。それを見て賢治は大いに喜び、自分のいたずらを楽しむ。
今の学校だったら絶対に許されないようなことをさせるユニークな教育者だった。
学級崩壊が叫ばれる昨今、授業が成り立たない場合、教師は生徒を責めてチョークを投げつけたくなる気持ちになる。しかし賢治は授業に集中していない生徒に対して自分を責めるのだった。
生徒の非は全て自分の不徳の致すところとして自分を責める。
そんな時、賢治はチョークを投げるのではなく、チョークを噛んだのだ。そういう賢治の姿を見て生徒は「まいったなぁ、この先生は」とみんな反省した。
教師の中に宗教家としての一面もうかがえる。
ある時、生徒が賢治に質問をする。
「先生、人間は何のために生まれてきたのですか。」
「何のために生まれてきたのか。それを考えるために生まれてきたのです。」
賢治は即座に答え、生徒は「まいったなぁ」といつもなるのだった。
次に北上川を臨む高台にある羅須知人協会(らすちじんきょうかい)の跡地を訪れる。
羅須知人協会の勝手口の黒板に「下ノ 畑ニ 居リマス 賢治」と書かれているが、その「下ノ畑」のあった場所は、今はほとんど水田になっていた。
農学校を退職した賢治は30歳の夏、羅須知人協会(らすちじんきょうかい)を立ち上げる。
「羅」とは、連帯、「須」とは、義務を意味する。全体とつながり個の才能の発機に努めるサークルのようなもの。近隣の知人、若者、農村の人たちの教育の場とした。
またこの間に多くの詩や童話を書き、自炊生活をして農村のために尽力する。
生き方の勉強会やレコード鑑賞の文化活動をする一方、自らも自炊生活をして、農家の生活を豊かにする肥料設計や農業指導などを行う。
37歳という短い生涯を駆け抜けた賢治。
ひとことではとても言い表せないその多面的な人生は、教員時代も羅須地人教会での活動、創作活動においても「夢中」になって人のために生きた生涯だった。
自転車日本一周旅は、「自分探し」をテーマに出発した。
しかし、自分探しも、好きなこと探しも、幸せ探しも無駄であると思うようになった。
なぜならどこを探しても、好きなことも、幸せも、自分も落ちてはいないのだ。
その答えは、全て自分の中にある。
今いる場所に、幸せも自分も、好きなこともあるのだ。
そう思うためには、与えられたその場所で夢中になることだ。
夢中とは夢の中。
夢の真っ只中を生きること。
賢治は、理想郷「イーハトーブ」を求めて、今を夢中に生きた人だと感じた。
「雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル」
如何にも力強い詩だ。
が、この詩の最後は、
「サウイフモノニ
ワタシハナリタイ」
と結ばれている。
この詩集「雨にも負けず」を自力旅流に超訳すると
「旅は自分を探す場所でなく、今いる場所で夢中になること。
そんな日々を追いかける人生が、自分らしさを作っていくんだ。
だから、
今日も、
雨にも負けず、
風にも負けずに、
雪にも夏の暑さにも負けない、
強い身体を鍛え、
欲が強く、
怒ってしまった時は、
まいったなぁと反省して
いつも笑顔で、
夢中でペダルを漕いで、
自転車旅を楽しもう。」
そんな詩を変なメロディーに乗せて、口ずさみ、中秋の東北を後にしたのだった。