今日は、横浜のホテルニューグランドから帰ってきました。


 このホテルは、僕の息子ちんが修学旅行に行ってる時、奥さんと一緒に泊まったホテルです。


 僕は、その3か月後、信号無視の大型トレーラーに轢かれて、瀕死の重体になりました。


 でも、救急搬送された病院の先生に言われた通り、奇跡的に目立った外傷はなく、死なずに済みました。症状てんこ盛りの障害者になりましたが・・・。


 いま、息子くんが、僕がブログ書いてるのを見て、「なんで息子ちんなの?!」って横で言ってるので、僕は間違えたようです。


 僕の勤続20年のお祝い旅行券をもらったので、生きてまた泊まることができるというお祝いも兼ねて、息子くんも連れて奥さんと一緒に、このホテルに泊まりにきました。


 昨日は、そばの中華街にお散歩訓練に行って、美味しい中華料理を家族で食べに行きました。美味しいというのは、奥さんも息子くんと同じものを食べたので、間違いなく美味しい中華料理でした。


 でも僕は、食べたものの味はするものの、その食べたものの味を正確にわかることができない味覚障害にもされてしまいました。


 だから、この美味しい中華料理をいただくということは、僕の勤続20年のお祝いでもあるけど、味覚障害のリハビリでもあるんです。


 事故後、僕にとって一番おいしいものは、脳内の圧力を下げるためのイソバイドというシロップ薬ですが、これは、猛烈にマズイお薬なんだそうです。


 だから、正解の味がわからないということは、良い面もあるんですが、美味しいものに限って、味を感じなくなる傾向がかなりあります。というか、美味しいものの味はほとんどわからなくなってしまいました。


 だから、ごちそうをいただくときは、事故で負わされた視覚障害(輻輳不全)の対症療法の眼鏡をかけていただくことにしています。


 目で見て、視覚的な美味しさを楽しんで、その味を想像しながら食べるんです。だから、この味覚障害も外見からはわからないでしょうが、お料理を作るのも食べるのも好きだった僕にとって、これほど辛いことはありません。


 美味しいご馳走をいただいて、中華街を歩く訓練をして、運転のリハビリもして、生きて、また来れたのは、物凄く幸せなことなんだな、と思いながら、帰路につきました。もちろん超安全運転です。


 でも、首都高では制限速度で走ることはものすごく怖かったので、制限速度プラス10~20キロくらいで走りました。物凄く怖いというのは、大型車の運転が物凄く酷かったからです。


 僕を轢いた奴の運転は物凄い恐怖でしたが、それを思い出させるほど大型車の運転は酷いものでした。なぜ、首都高で車間距離1メートルほどで煽ったり、追い越す時、かすめるように車線変更して来るのでしょうか!!?


 そんなのが10数台いましたが、制限速度オーバーしてる僕を追い越す車ばかりですから、危険運転ばかりでした。


 でも、僕は、安全運転といっても、事故に遭えばまた悲劇が起こるわけですから、速度違反をすることになっても、命を守るための運転を身につけなければいけないので、そういう運転リハビリでした。


 無事に、自宅までたどり着いた時、僕は、高次脳機能障害その他症状てんこ盛りの障害者だけど、今年こそ復職するぞ!と決意を高めていました。


 そんな、お祝い旅行を楽しんできました。