2018年4月29日の礼拝説教
「天に昇り」
使徒1:3~11
今週の聖句
「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたし(イエス・キリスト)を信じる者は、
わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。
またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは、何でもそれをしてあげます。
父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かを
わたしに求めるなら、わたしがそれをしてあげます。」
ヨハネの福音書14章12~14節
昨年のクリスマス礼拝と受難節終わりからの説教で、「使徒信条」の告白を宗教改革の時代
に作られた『ハイデルベルク信仰問答』を参考にしながら取り上げてきました。「使徒信条」は
古代の教会の洗礼式文がもとになってだんだんかたちを整えてできたと考えられ、
キリスト者が信じるべき基本的な、また最小限とも言える大事なことをまとめているものです。
今年の私たちの教会の年間目標は「御国の成長と拡大」ですが、私たちが福音を宣べ伝え
るにあたり、自分が何をどのように信じているのか、はっきりさせておく必要があると思うの
です。途中少し順序が入れ替わりますが、7月くらいまでかけて使徒信条の残りの部分を
扱いたいと思います。5月20日のペンテコステの日に「われは聖霊を信ず」を取り上げる予定
ですので、そこから遡ってきょうは使徒信条で、主イエス様について、「天に昇り」と告白して
いることを取り上げていきます。
きょうは少し難しい教理の問題を扱います。それは主イエス・キリストは今どこにいらっしゃる
かという問題です。「天に昇り」と言うのですから天にいらっしゃるには違いありません。きょう
読んだのは、主の昇天の記事でした。けれどもその一方で、主は、「わたしは世の終わりまで
いつもあなたがたとともにいます」(マタイ28:20)と約束してくださったのでした。主は
いったい今どこにいらっしゃるのでしょうか? ・・・私たちは、主が今天にいて父なる
神さまの御前で私たちのためにとりなしていてくださることを信じています。でもそうして
天にいらっしゃることと、今私たちとともにいてくださることとはどう辻褄が合うのでしょうか?
改めて聞かれると説明に困ってしまい、自分でもよくわからなくなってしまうのではないで
しょうか。
その解決の鍵は、主が神さまであられるとともに、私たちの救いのために人となってくだ
さったお方であるということにあります(これは三位一体とともに人間の理解を超えた難しい
ことで、主の神と人との「二性一人格」の教理と言います。『ウエストミンスター信仰告白』
にも載っています)。『ハイデルベルク信仰問答』は次のように説明しています。
問46 あなたは「天に昇り」をどのように理解しますか。
答 キリストが弟子たちの目の前で地上から天に上げられ、生きている者と死んだ者を
裁くために再び来られる時まで、わたしたちのためにそこにいてくださるということです。
問47 それでは、キリストは約束なさったとおり世の終わりまでわたしたちとともにおられる、
というわけではないのですか。
答 キリストは、まことの人間であり神であられます。この方は、その人間としてのご性質
においては、今は地上におられませんが、その神性、威厳、恩恵、霊においては、
片時もわたしたちから離れてはおられないのです。
問48 しかし、人間性が神性のあるところどこにでもある、というわけでないのならば、
キリストの二つの性質は互いに分離しているのではありませんか。
答 決してそうではありません。なぜなら、神性は捉えることができず、どこにでも臨在
するのですから、確かにそれがとった人間性の外にもあれば、同時に人間性の内に
もあって、絶えず人間性と人格的に結合しているのです。
まず何よりも、主イエス様は天におられます。使徒信条で告白するとおり、主はよみがえら
れた後、「天に昇り、全能の父なる神の右に座し」ておられるのです。十字架におかかりに
なる前、主は弟子たちに、「わたしは父から出て、世に来ました。もう一度、わたしは世を去っ
て父のみもとに行きます」(ヨハネ16:28)と言われました。先ほど読んだ聖書にあるように
主はよみがえられた後、40日間弟子たちの前にお姿を現され、彼らの目の前で上げられ、
雲に包まれて見えなくなったのでした。少し後にペテロは、主は「万物が改まる時まで、天に
とどまっていなければ」ならないのだと言いました(使徒3:21)。
主は今天におられ、父なる神さまのところから「もう一人の助け主」(ヨハネ14:16)と呼ばれる
聖霊をお送りくださいます。そうして私たちを救いにあずからせ、力を与え、キリストの証人
としてこの世にお遣わしになりご自分の大切な働きをさせてくださるのです(マタイ28:18~
20、ヨハネ1:13、3:5~8、16:13ほか)。
主は言われました。「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、
わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからで
す」(ヨハネ14:12)。そうして私たちが主のために働くことによって、天に宝をたくわえ、
主と喜びを分かち合うことができるようにしていてくださるのです(マタイ6:20、24:25~27、
25:14~23、へブル12:22ほか)。そして主ご自身は今、父なる神さまの御前で私たちの
ためにとりなしていてくださいます(ローマ8:34、へブル7:25,9:24ほか)。
ところでこの「天」は、私たちの自然な感覚にあわせて使われていることばであって、実際に
空間的な意味で空の上のほうとか、宇宙のかなたという意味ではありません。聖書の
中で「天」ということばが用いられる場合、3つほどの意味があります。第1に、鳥が飛び、
雲がわきおこる空を指す場合、第2に太陽や月や星がある天を指す場合があり、第3に
神さまの領域としての天を指す場合があります(申命記10:14、Ⅰ列王記8:27、ネヘミヤ
9:6ほか)。主が昇られた天は、この第3の意味です。神さまはいつでも、どこにでもおられ、
天にも地にも満ちておられます(偏在と言います。Ⅰ列王8:27、Ⅱ歴代2:6、6:18、詩篇
139:7~10、エレミヤ23:24、使徒7:49ほか)。けれども、神さまは時間も空間も超越して
いるお方であり、この世界を超えた存在です。その、この世界を超えて神さまのいらっしゃる
ところを「天」と言っているのです。それがどのようなところなのか、私たちは知ることができ
ませんが、ともかくもこの世界を超えた神さまの領域、「天」に主は移られたのです。
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http://www.karuizawa-christ-church.com/sermons.html
(4月29日の礼拝説教を音声で聞くことができます)