上野~

ボクの父は80歳越えてますが
最初に勤めたのが
この上野駅だったそうです。
最初に勤めたのが
この上野駅だったそうです。
ボクが
20数年前に
今の会社に入り
営業担当として最初に行ったのが
長野県の小諸・・
やはりこの上野駅から
信越本線に向かいました。
20数年前に
今の会社に入り
営業担当として最初に行ったのが
長野県の小諸・・
やはりこの上野駅から
信越本線に向かいました。
子どもの頃、親に
動物園や科学博物館、美術館なんかに
連れて行ってもらい・・
そして、今、自分の子どもを
連れて行ってあげ・・
思い出のある駅です。
動物園や科学博物館、美術館なんかに
連れて行ってもらい・・
そして、今、自分の子どもを
連れて行ってあげ・・
思い出のある駅です。
なんか上野駅は
心のなごむ駅ですねえ~
心のなごむ駅ですねえ~
今でこそ新幹線に
その座は奪われてしまいましたが
特急が主流だった最近までは、
上野駅は
東北地方・上信越地方から
東京に来られる方達の
窓口でありました。
その座は奪われてしまいましたが
特急が主流だった最近までは、
上野駅は
東北地方・上信越地方から
東京に来られる方達の
窓口でありました。
そんな中に
都会で働くために
やって来る若い方達がいたのですね。
都会で働くために
やって来る若い方達がいたのですね。
今回のバイトの4コマ漫画は
そんな話でかいてみました。
そんな話でかいてみました。

リーマン・ショック以降
就職氷河期と言われまして、
大卒就職率は
2009年 68.4パーセント
2010年 60.8パーセント
今年はもっと悪くなると予想されていますね。
就職氷河期と言われまして、
大卒就職率は
2009年 68.4パーセント
2010年 60.8パーセント
今年はもっと悪くなると予想されていますね。
こんな状況いけません・・
早く回復させなくては。
早く回復させなくては。
去年の10月、 上野で会社の慰安会がありましてね、 時間もありましたので 上野駅のまわりをブラブラしましたら、 この「あゝ上野駅」の歌碑を 見つけたんですね~ こんなんがあるとは知りませんでした。 まずは説明しときますと、 「あゝ上野駅」とは 井沢八郎さんが1964年に歌った 名曲です。 その内容は 当時の集団就職で上京された 若い方達のことを歌っております。 親元をひとり離れてるさみしさ 仕事のつらさ でもガンバロウ!っていうような内容で 応援歌ですね。 わからない人は おじいちゃんに歌ってもらいましょう。 ------------------------------------------------------------- 就職列車と言うのは 1954年に青森発上野行き臨時列車が 始まりだったそうです。 まだ生まれてないわあ~ その後1975年まで運行されたそうですので、 あらま、ボクやゴクさんがヒゲが生えだした頃まで 動いてたんですね! 集団就職をされたのは 地方の中学高校を卒業された方達で、 とにかく求人難の当時ですからその労働力は 企業とってはノドから手が出るくらいに欲しい・・ ですので、 彼らは「金の卵」とよばれて、 就職列車は続いたのですね・・ ですが、 彼らは給料も安く、 労働時間・福利厚生も悪い状態で働かされることが多く、 非常に苦労されたようです。 ただし、 その労働力があったからこそ 戦後日本の驚異の高度成長が実現されました。 今日の日本経済の礎となったことは 言うまでもありません。 ------------------------------------------------------------- 上野駅はやはり 日本の心の駅なんですね。 あ、 「あゝ上野駅」の歌碑、 漫画にちょこ~っとしか出て来ませんが ちゃんと全部かいたのよう~ボクだって ほんのちょっと苦労したんだから。
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