虐めた人には因果応報があるのか?
自分の経験から考えてみました。


私は、生まれて間もなく両親が離婚し、
両親の祖父母に育てられました。


私自身2020年7月にイタリア人と入籍し
国際結婚しましたが、
実は両親も国際結婚でした。

私を妊娠中に父が母の親友と浮気をし、
それが理由となり離婚しました。


今となっては、祖父母ともよい関係を
築いているのですが、
祖父は昭和の頑固オヤジそのもの。
本当にとにかく怒りっぽくて、
毎日毎日怒鳴っているような祖父でした。
祖母はそんな家にいるのを嫌がり、
毎日平日は仕事にいき、
週末は教会に行っていました。

二人はもう子育てが終わっていたのに、
私を育てることになり戸惑いながら
育ててくれていたと思いますが、
夏休みの間母のいる中国へ遊びに行き、
帰ってくるたび母の写真を見ては
恋しくなり、なぜ自分の母と一緒に
暮らすという当たり前のことが、
私にはできないのか、と悲しくなり
一か月毎日泣き続けていた私を
祖父母はどうしていいか分からず
基本的にはそっとしていました。

大人になった今は、当時の二人には
どうしていいかわからなかっただけだ
という気持ちがよくわかりますが、
当時の私には二人は私に関心がないと
思い込んでいました。

泣いている時に誰かが慰めてくれることを
望んでいたのかもしれません。


流石に一か月毎日泣いていると祖父母も
呆れ始め、怒るようになってきました。

それがさらに私の心を閉ざしました。


今ではそんなことは決してない
と断言できますが、幼い時から誰にも
愛られていない存在だと思っていました。


幼い時からぽっちゃりの私は、学校では
でぶや、中国に帰れと虐められていました。
椅子で頭を殴られたり、クラス全員から
無視されたりして、
不登校になった時期もありました。









中学に上がってからは、他の小学校からも
人が来るので一から頑張ろうと決めました

そしたら、友達もできるようになりました。

誰よりも虐めていて辛い思いもしていたので
決して人を虐めるようなつまらない人間には
ならないだろうと思いますよね?


私もそうありたかったです。


私は、辛い経験をしたにも関わらず
人を虐めてしまいました。


中学一年生の年、席の前の女子の制服に
常にフケがたくさんついていたことを
私はからかってしまいました。
そして、その子にフッキーというあだ名
をつけてそう呼び始めてしまいました。


私はそのすぐ後中国の中学に一年転校し
帰って来た時には、彼女がその後不登校に
なり、しまいには転校した事を知りました


その年初めて自分のしたことは、
虐めだったことに気がつきました。


自分が散々見た目のことでいじめられたのに
なぜ人の容姿のことをバカにしたのか、
なぜ虐められていて不登校になったのに、
またそれを他の人にしてしまったのか、


本当に自分のしてしまったことを悔みました
彼女に謝りたいと思ってもその機会すら
ありません。今でも誰にも話したくないほど
恥ずかしい自分の犯した大きな過ちの1つです








そして高校に進みました。私はクラスを
冷めた目で見る少しツンツンした性格でした。
学年対抗の音楽会があり、クラスの何人かの
女子が優勝目指して朝練や残り練習をしよう
と盛り上がっていたのを、私は家から通学まで
1時間半もかかっていたことと、冷めた性格から
それに参加することを拒否しました。

それをきっかけに、虐めが始まりました。
盗撮され、それを編集され、ネットで
ばら撒かれたり、学校中でヤリマンだと
噂されるようになったり、しまいには
私と仲良かった友達二人までヤリマンだと
言われてしまいました。


実は一度停学になっており、次何かするだけで
即退学ということだったのでずっと我慢して
いましたが、友達が巻き込まれた時は本当に
我慢の限界が来て、休み時間にその主格犯の
机を蹴りいい加減にしてくれとキレました。


そしたら、彼女は自分ではないやら
証拠はあるのかやら色々言っていましたが、
その日以降、
あからさまな嫌がらせはなくなりました。


考えてみれば、相手も幼稚ですが
高校の時は自分も自業自得だったと思います



小学校:イジメ被害者
中学校:イジメ加害者
 高校:イジメ被害者



自分の経験を考えてみると、私の場合は
因果応報と言えるのではないかと思いました。



振り返ってみると幸せな人は人を虐めない
ということに気づきました。
小学校のクラスは、両親離婚している人が
多かったり、両親が常に喧嘩をして家に
帰りたくないという人や、急にお父さんが
出て行ってしまった人などいたので、
皆何かしら生活上辛いことがあったことを
思い出しました。

そして、イジメ加害者となった中学生の時
私も精神的にどん底にいました。
いつも死にたいと思っていましたし、
自傷行為を繰り返していました。


こんなふうに過去を振り返ってみると、
改めて家庭環境の大切さに気付かされます


自分の過去の経験から
幸せな家庭を築くのが私の夢です。
幼い時からの、大きな大きな夢です。

そしていつか子供を授かる機会があれば
子供には人を虐めるような子供に
ならないように、家庭のことで悩むこと
なくすくすく楽しんで人生をおくれるような
環境づくりをしたいです。



私は、人生は全て因果応報だと思います。

私の場合は、
虐められ、
そして虐め、
また虐められ、
というような因果関係でしたが、実際は
違う形で因果が訪れることもあると思います



なんとも言えない語りになってしまいましたが
最後まで読んで頂きありがとうございます。