昨日の記事も読んでくださって
ありがとうございます
最近、我が家で静かに絶滅危惧種に指定されているものがある。
そう、トイレットペーパーである。
いや、正確に言うと「芯だけを残して補充されないトイレットペーパー」という謎の文化財が、夫によって日々量産されている。
夫の中では、トイレットペーパーは自然発生すると思っている節がある。
以前書いた「自然発生しない麦茶」と同じジャンルだ
どうやら我が家は、麦茶も紙も、時間が経てば勝手に補充されるエコシステムらしい。
…誰がその生態系を支えていると思っているのか。
トイレに入って、紙がない。
仕方なくストックを取りに行く。
そして思う。
「ここで替えれば、次の人は助かる」
という、人類が長い年月をかけて育んできた“思いやり”という概念。
一方、夫は…
使い切る。
芯を残す。
立ち去る。
以上。
潔すぎるだろ
いやもう、あの芯、何なの。
「やりました感」だけ残して去るのやめてほしい。
むしろ「ここまで使い切りました」っていう謎の達成感すら漂っているのが腹立つ。
で、私が補充する。
毎回
何も言わずに。
するとどうなるか。
夫の中で「トイレットペーパーは補充されるもの」という宗教が強化される。
違う。
それは奇跡じゃない。
私だ。
芯をそのまま放置してみたことがある。
どこまでいくのか、社会実験的なやつだ。
結果。
普通に次の新しいロールを棚から持ってきて使い、やっぱり補充しなかった。
進化の方向性、そっちじゃない。
しかもその後、
夫「なんかトイレットペーパー少なくない?」
とか言ってきた日には、さすがに笑った。
少なくしているの、あなたです
補充という行為は、そんなに難しいのか。
IQテストに出るレベルなのか。
それとも「家庭内で最も見えにくい家事ランキング」殿堂入りなのか。
たぶん全部
でもね、言いたい。
トイレットペーパーは、自然発生しない。
麦茶と同様に。
そしてそれを生み出しているのは、妖精でも自動システムでもなく、
ただの、私である。
そろそろ気づいてほしい。
せめて芯を見たら、ほんの少しだけ、人間らしい優しさを思い出してほしい。
…まあ、無理か







