いよいよ梅雨入りしました。
でも、毎日暑かったり寒かったりで体調管理が難しいですね。
さて先日(6/10)、総務文教委員会にて
「選択的夫婦別姓制度の導入を求める意見書に関する請願」
についての審議を傍聴しました。
請願代表の方が、とても分かり易く、いろんな角度から
夫婦別姓を選択できる環境の必要性を説明下さったので、
全員賛成で可決されるだろうと思いきや、
1人の男性議員は賛成に手を上げませんでした。
採決終了後休憩時間に、
その男性議員と他の議員とのやり取りを聞いていたのですが、
要するに、自分には夫婦別姓の必要性が分からないということなんですね。
そして聞いて行くうちに、
ああこの方は、ご自分の姓が変わることはないという前提で
お話しされているんだということに気づきました。
ご自分の姓が変わる可能性はまったく考えず、
女性側が変えることしか頭にないようでした。
(そのように、私には聞こえました)
それは、その男性議員が意図したわけではなくて、
ほぼ無意識のうちに自分の中の常識の範囲内で、
今回の「選択的封別姓制度」について考えたということです。
この、「自分の中の常識」というのが曲者で
世間の常識とか、世間の目とか、自分の中の正しさといったもの。
大人なら誰しも、相当これらに縛られて、
自分を知らず知らずのうちに縛って、毎日を送っている。
そんなことに気づかされた日でした。
とりで生活者ネットワーク代表 根岸裕美子