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この道はいつか来た道 ああ そうだよ
あかしやの花が咲いてる
あの丘はいつか見た丘 ああ そうだよ
ほら 白い時計台だよ
この道はいつか来た道 ああ そうだよ
お母さまと馬車で行ったよ
あの雲もいつか見た雲 ああ そうだよ
山査子(さんざし)の枝も垂れてる
(作詞/北原白秋、作曲/山田耕作)
老人ホームの奉仕に行ったとき、皆さんに昔を思い出しながらこの歌を歌ってもらいました。子どもの頃のことを思い出しておられたのでしょうか、皆さんとても良い表情をしておられました。いつの間にか私もこの歌を口ずさむようになり、そのうち昔通った道がとても懐かしくなって急きょ田舎に帰ることにしました。目的は昔よく通った道を通ることです。歩いて通った小学校、自転車で山越えして通った中学校、バイクで通った高校、教会があった人吉市内も懐かしい所で同じ道を数回通ってきました。
昔通った道は広くなり舗装され別の道のようになっていましたが、道路から見えるあちこちの風景に見覚えがありました。道路沿いの川は水量こそ少なくなっていましたが所々に張り出した大きな岩はそのままです。魚がよく獲れた場所、小学生の水泳の時間にプール代わりになっていた川幅の広い箇所もその面影が残っており、遠くに見える山々の風景も昔のままです。三泊四日の短い期間でしたが懐かしい風景と綺麗な空気に触れ、心もリフレッシュさせていただき大満足の旅でした。
ところで、道はどのようにして出来たのだろうか考えます。現代はスタート地点とゴール地点を結び最新重機を使い強引に作っていきますが、古代の道はそういう訳にはいきません。獣が繰り返しることによって出来る獣道のように、人の通る道も同じではなかったかと想像します。誰か最初に草木をかき分けて通った人がおり、その跡を見つけた好奇心の強い人たちがその足跡を辿って行ったのかも知れません。あるいはその道を通る人の様子を見た人々が、この先には何か良いことがあると思い次々に通って行ったのでしょう。多くの人が通れば通るほど踏み固められしっかりした道になり、やがて何処と何処を結ぶ何々街道と名が付けられていくのです。
道は踏み固められて出来ていきます。書道や柔道などのように人の生き方も[道]と言いますが、どのような道にも道を開いたパイオニア(開拓者)の汗と涙と血が流されております。キリストの教えも一つの道です。十字架の死が象徴しているように、キリストの生涯は多くの人々に踏みつけられた生涯でした。キリストが踏みつけられたことによって、神と人間との間に道が出来たのです。
まことに彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって私たちは癒された。(*彼…キリスト)
(旧約聖書イザヤ書53章4-5節)
写真のカランコエは約16年間育ててきた思い出のある花です。当教会員にご主人を天に送り一人暮らしの老婦人がおられました。その方には子どもがいませんでしたが、教会の仲間を自分の家族のように思い信仰一筋に生涯を送られました。祈り深い敬虔な方という印象が残っています。その方が16年前に天に召された時のことです。後見人によって家が処分されることになり、親戚の方が形見にと家にあるものをそれぞれ持ち帰られました。私が家の鍵を預かっていたこともあり最後に家の中を確認しに行くと、コタツの上にある枯れかけたカランコエが目に入りました。おまえはいらない、と一つだけ残されたように思え教会に持ち帰ることにしました。教会に来てから少しづつ元気を取り戻し、ここが自分の居場所かのように毎年花を咲かせています。「幸福を告げる、たくさんの小さな思い出」これがカランコエの花言葉だそうです。たくさんの小さな花びらの数だけ思い出がつまっているような感じがします。
内村鑑という明治時代のキリスト者は、「後世へ遺すべきものはお金、事業、思想もあるが、誰にでもできる最大の遺物とは勇ましい高尚なる生涯である」、また「人もし全世界を得るとも、その霊魂を失わば何の益あらんや。人生の目的は金銭を得るにあらず、品性を完成するにある」と言ったそうです。内村鑑三は日本郵便切手の肖像にもなった程の功績を残した人でありました。その彼が、すべての人に残せる遺物があると言っています。それは勇ましい高尚なる生涯、つまり品性の完成を求めて生きることです。
「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」(第一コリント13章13節)
品性を完成させるものは信仰と希望と愛と聖書は教えています。すべての人に、私にも残すことのできるものがあるとは何と嬉しいことでしょうか。これからでも遅くはない、信仰と希望と愛を求めて生きていったら迷惑がられない良いものを残すことが出来そうな気がする今日この頃です。

