真白いカトラリースタンドとガラス製ティーポットが爽やかな雰囲気にとても合っている様子に自己満足しながら、おしぼりが載ったトレーを等間隔で並べる。今日の天気、美しい庭に家、素敵な料理という気分の上がる要素を打ち消して余りある

 (ママ友付き合い)

 気を抜けばすぐ、心が溜息を吐く。付き合い初め、和希は僅かに淡い期待を抱いていた。ママ友付き合いから末永い付き合いに発展した経験談を聞いたのだ。しかしその世界に入ってみればやはり、聞いた話はレアケースだった。幾つになっても続く女の世界の亜種またはそのものだった。

 (そもそも、’友’って違う。友達は親身とか誠実とか信頼とかだから。ママ友付き合いにないから。

 あ、でも、中村さんたちはちゃん付けで呼び合っているから余程仲が良いんだろうしそういう人たち同士は友達と言える仲なのかも。子供の名前はお互いに呼び捨てだし)

 大人になって久しい今さすがに、他人との密な関係は望まないしそもそも分を弁(わきま)えてこの間柄の匂いを感じたら、お邪魔しないよう急いで距離を取るようにしている。そのいかにも親しい関係を築ける人々にとって、ママ友付き合いも思い出に満ちた楽しく充実したものになりうるだろう。しかし居心地の悪さが見え隠れしながらくっついているだけの和希は

 (朱里のことがなければ解消できるのに)

 不毛さ、悪目立ちの瞬殺、異物への冷ややかさ、上辺の優しさ・気遣い・仲の良さ、息苦しさ、横並びの見えない強制他。

 (気を遣って、時間を使って、お金も使って、でも誰かと深い付き合いができる仲になんてなれないし。

 と、いうか厭なことをいやと言えていないこと、やりたくなくてもやらない選択がないこと。 

 軽く見られてること)

 内に潜む暗い深淵を覗き始めたとき、インターホンが鳴った。遠退いていた意識が戻り、和希はハッとした。

 5分前、一番乗り。何事にも几帳面な性格。不可抗力でもない限り予定として入れた以上、気乗りしない用事でも遅刻しない、というかきっかり5分前。

 「車、端に寄せたけどこれで大丈夫?」

 素晴らしい運転技術でピタリ。壁塀に寄せてある。

 「すごい」

 教習所で習ったとおりの模範的安全運転を維持し続けているだけの、スピーディーなすれすれ車線変更・右折・駐車なんて絶対、怖くて不可能な和希は本心から褒めた。対して、運転に自信がある洋子がゆとりの笑みを浮かべている。

 「どうぞ」

 口角を上げて笑顔を作り、和希は玄関扉を押さえた。

 洋子が後部座席からエコバッグ2個-一つはアリエルと熱帯魚が愉し気に見詰め合っている物でもう一つはもみの木・ハリネズミ・きのこがランダムにプリントされている、と紙袋を取り出した。

 「デザートにプリン持って来た。多かったら持って帰れるし」

 慣れた様子で上がり框の端に並べた。紙袋には持ち帰り用の、百均で買ったディズニーの手付きビニール袋が入っていた。

 (あ、まただ)

 和希の心臓がざわつく。洋子に何かを渡すと必ず、和希が使った袋で戻って来る。その度、

 (鈴木さんから来た物はできるだけ家内に留めて置きたくない)

 と思われているような気がして和希からの贈り物が迷惑がられているようで、しかしそれは和希としても洋子が頻繁に物をくれるので止むを得ずお返しとして上げるのだし、何となくもやもやするのだ。

 しかもいつもなら遊びに来たことを喜んで明るく話すのに、洋子の眼元には暗く深い影が落ちていて故意に視線を外されているのが判る。肩から腕に掛けては鋼を通したような強張り方で、全身から出ている棘(とげ)が見えるようだ。

 (こないだの事だ)

 自身の心の深淵を覗けば純粋に善意だったか?

 先週いつものように和希の家で遊んだとき、兄妹で朱里の玩具の取り合いになったうえ綷が怒りに任せて思い切り放り投げてしまったので、こういう場合のいつものように物凄い剣幕で綷の腕を強く掴んで揺さぶりながら洋子が大声で怒ると、

 「うわ~んんん!!!」

 これもいつものような仰々しさで大粒の涙を流し口を大きく開けて、綷が泣き出した。

 兄妹が怒られる様子を初めて見たときは迫力に戸惑ったけれど、もうすっかり見慣れた光景になってしまった。怒られている間綷は少しおかしいみたいな芝居掛かり方をするだけだし、香帆は眉を一文字に顰(しか)めて部屋の隅を睨みながら殻に逃げ込む。何にしろふたりとも喉元過ぎれば大丈夫、反省した振りをするだけでやり過ごしているのが見え々々だ。

 「村田さん、とてもしっかりした考え方をする人だと思うし能力もすごく高いと思う。幼稚園のママさんが皆、言ってる。

 子育てというか教育に対しても真剣に取り組んでいると思う。

 でも、綷君と香帆ちゃんにうまく伝わっていないような気がする。思うんだけど、その怒り方だと伝わらないんじゃないのかな」

 遂に和希は、常々感じていることを言ってしまった。

 「わたしもちょっと悩んでいたんだ。朱里ちゃんママの言う通りかもしれないね。

 どうすれば考えが子供たちに伝わると思う?」

 洋子がより親身なアドバイスを聞く運びになるかもしれない、という非常な見通しの甘ささえあった。悪い流れになったとしてもふたりの関係を考えれば何事もなかったようにスルーされるくらいだろうと踏んでいた。背を向けていたので洋子の表情は見えなかった。しかし一瞬で、和希と洋子の間に灰色の壁がそそり立つのが感じられた。

 「そうかもね」

 普通の調子で答え、いつものように時間まで綷たちを時間まで遊ばせて帰った。けれど和希の言葉の後、洋子は用意された席には戻らずに和希から距離を取って隅のソファに座って綷たちを注視し続けていた。そして、

 (明日からは悟志君を誘おう)

 洋子の頭の中で、子供たちのための付き合いの優先順位が速やかに入れ替わった。

 「この間、忘れていったおもちゃなんだけど」

 自分が悪いとはいえ、ふたりきりの重い雰囲気の内で話し掛けるのは辛いけれど他のママの前で洋子にだけ何か渡すのも気が引ける。曖昧に視線を彷徨わせていると再びキッチンから

 「鈴木さ~ん」

 坂下が呼んだ。ホッとした和希は思わず小さく溜息を吐きながら

 「上がって。

 いつものように適当に座って。すぐ、みんな来ると思うので」

 キッチンに行くと坂下が帰り支度を終えたところだった。

 「どうでしょうか?

 ティラミスは冷蔵庫に入ってます」

 「すごく素敵です!みんな喜ぶと思います!」

 じゃ、これで、と坂下は軽く会釈してから外したエプロンを素早く畳んで道具を入れてきたバスケットの上にポンと載せる。

 「楽しい時間をお過ごしください」

 「本当にありがとうございました。食べるのが待ち遠しいです」

 見送るため和希も、大きいバスケットを軽々と両手に持って玄関に向かう坂下に従う。リビングでは隅に立ったまま、持参した荷物に囲まれた洋子が目も上げず、忙しなくラインをしていた。

 彼が玄関扉を押し開けたとき隙間から、美佐子の車が車庫入れしようとしているのが見えた。

 場所を空けるため急いで車を出そうとする坂下に、

 「シェフの方?」

 主催者然とした雰囲気で順子が声を掛けた。

 「こんにちは」

 会釈する坂下に

 「一緒にどうですか?」

 無神経な軽口を叩く。やれやれ、言わんばかりでも坂下はにこやかな雰囲気を崩さず、車に乗り込んだ。彼の車が出るのと入れ違いに美佐子の車が駐車スペースに入って来た。

 ふと、和希の家が視界から消える角でミラー越しに見遣るとそこだけすっぽり灰色のゼリー状の物で覆われているようで、しかもゆらり、歪(ひず)んでる。車を路肩に寄せ、見返すもそれはそこに確かにある。

 (子供向け怪現象特番でもあるまいし…)

 その光景が信じられない坂下は自分の疲労を疑いつつ、けれど存在する正体不明の不穏を無視することもできないと思い

 (忘れ物を理由にしよう)

 和希に電話をしてみた。しかし呼び出し画面の光までが霞掛かったようにぼんやりとして、呼び出し音が全く聞こえて来ない。無音が彼の鼓膜を重く圧迫する。何か手立てを考えなければならないと思うけれどどうすれば良いのか全く判らないし、何より、引き返すのは得策ではない。と、本能も理性も大音響で警告を発している。

 (警察に電話する?でも信じてもらえるだろうか?

 どう見てもあるんだけど、本当なのか?

 だめだ、取り敢えず帰って香苗と考えよう)