おじちゃんが亡くなってから数日後に、

施設長さんから、メッセージをいただきました。

 

 

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健一さん(おじちゃん)はいつも前向きで、優しく、

謙虚で人のことを悪く言わない、

家族想いの健一さんと話すのはとても楽しく、

そこに厳しく合いの手を入れるチエさん(おばちゃん)

との息の合った掛け合いが楽しくて、

ケアマネとして訪問していましたが、

つい長居してしまっていました。

 

 

理子さんの作成したインタビューを観て、

ご家族への想い、戦後の生活、

農業士としての活躍等々が語られており、

いつも笑顔を絶やさない、

昔から変わらないお方なんだと思いました。

 

 

お亡くなりになる前日はチエさんと一緒に

健一さんに3時間半ぐらい

お付き添いしていたのですが、

その時にチエさんが

 

「この人には本当に大切にして貰ったんだよ、

農家からお嫁に来たけど、

大切に育てられて来て、

遠くには嫁に行けなかったし、

近くに従兄弟も叔母さんもいたから心強かったけど、

やっぱりこの人が良かったんだよね、

 

怒られたことないよ、

まぁ、怒ったら出ていっちゃうけどね、

声を荒げることもなかった。

この人の親も良かったから、有り難かったよ。

 

もう、弱くなっちゃって、起きられないよね?

この人寂しがり屋だから、

私が先に逝っちゃうと可哀想だもんね。

 

この人が先に逝く方がいいと思う。

お父ちゃんは何にも悪いことしてないから

このまま苦しくないんだろうから、

静かに逝くのがいいと思う。

良く働いてくれた家族のために。

 

お父ちゃん、私の声聞こえてるよね?

私の手冷たいから、お父ちゃん寒がりだから

あんたの手あったかいから

代わりにさすってやって。」

 

と繰り返し話されてました。

 

 

真理子さんの言葉にあった、

 

「誰にでも青春があり、

今の私達と同じような時を過ごしてきた」

 

は私がいつも職員に話していることです。

 

今は高齢となり

誰かの手を借りて生活をしているけれども、

その方達にも青春時代があり、夢があり、

家族を養い、地域で活躍していた

キラキラした時代を経て今があるのだ

ということを決して忘れずに

ケアをしなくてはならないと思っております。

 

これからは健一さんのことを思いながら、

チエ様のケアもしっかりとしていきますので、

お任せ下さい。

 

 

「真理子のことは

アメリカにやりなくなかったんだよ、

可愛い孫だから、私らが育てたんだから。

近くにいて欲しかったから、私は反対だったの、

でもねお父ちゃんが真理子が決めたんだから

俺らがとやかく言ってもダメだんべ

って言うから。」

 

とご自宅に伺うとチエさんが

いつも話して下さってました。

その脇でニコニコしながら話を聞いている

健一さんの優しい笑顔、ずっと忘れません。

 

 

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施設長さんの優しさ、温かさ、誠実さ、強さ

そして忙しい中にも関わらず、

とても丁寧なメッセージをくださったこと

すべてにおいて、ただただ感謝しかありません。

 

こんな素敵な施設長さんのもとで働く

スタッフの方たちもまた

とても温かく素晴らしい方達ばかりで

この方達がいるからこそ、

私の両親も今も元気で過ごせている。

 

介護にかかる大変さは、私も2年前の帰国の時に

身にしみて感じました。

あの時は、私がすべての時間を

介護だけに費やすことができたけれど

両親だけではそんなわけにはいきません。

 

最初は、2人を施設に送らなければいけないこと

他の人たちの手を借りなければいけないこと

家に残りたい2人の気持ちに応えられないことに

罪悪感を感じたりもしていたようですが

そうではないんだと思います。

 

それを専門にしているプロの方たちがいて

その方達と密に連絡を取りつつ

お任せすることで

みんなが穏やかに、安全に過ごせるのなら

それはありがたいことなのですね。

 




 

夏に帰る頃には、ガラス越しではなく

面会できるようになっていたらいいなと、

心から思います。

 

久しぶりに、

おばちゃんの手を握ってあげたいです。

 

 

施設長さんのメッセージの中で触れていた

インタビューの過去の記事と、その動画の一部分です。