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 ミッソン船長とテュー船長は、自分達を「海賊」と呼んでさへ無かった立派な人格の持ち主で、作者チ

ャールズ・ジョンソン(ダニエル・デフォーと言われる)も二人を【海賊紳士】と呼んでいる。


 チャールズ・ジョンソン著の「イギリス海賊史」では二人の活躍した年代が、あまり出てない(見つけ

たら更新します)のですが、17世紀末~18世紀前半ではないでしょうか?

 というのは、ミッソン船長と友人(同行者)イタリア人のカラチオーリは、なかなかの思想家で、18

世紀(1700年代)にヨーロッパに広まった民主主義の元となった「啓蒙思想」の影響が濃いように思

うからです。


 ところで、ミッソン船長は南仏プロバンスの良家の師弟で御座いました。彼は勉学にも優れ、高い教育

を受けましたが、兄弟が多く親は銃士隊(三銃士みたいな)に就職を希望してたようですが、好奇心が強

く、放浪と冒険の生活を好んだミッソンは、知り合いに頼んでもらって、船の「水夫」の見習いになりま

す。ミッソンは、その仕事を大変気に入ったようです。



 ミッソンのイタリア留学先で知り合った、カラチオーリというキリスト教の僧侶志望の若者がいました

が、彼も当時のバチカンの腐敗に悩み、新しい思想を持って生きたいと願う、希望に満ちた若者で、ミッ

ソン船長と旅を共にします。


 カラチオーリは、当時の啓蒙思想のような、封建的体制の批判と、真に民主的国家、宗教を作ろうと熱

意に燃える若者でした。又ミッソンも封建的で人々の人権を無視した当時のヨーロッパのあり方に疑問を

感じ、本当の【民主主義】を求めようという熱意ある、立派な思想の持ち主っだったようです。



 彼らは、航海と放浪の生活を好み、冒険の旅にでます。彼らの活躍した場所は、カリブ海沿岸とはちょ

っと離れますが、例の海賊の楽園マダガスカル島がある、アフリカ沿岸でした。


 
 ある日、ミッソンは決意して、「自分達は海賊とは呼ばない。しかし新しい法律のもと、真に民主的な

世界を作るつもりだ。」と船員に演説し、行動を起こします。


 ミッソン船長は、大変な人格者で皆の支持を受け、その言葉通り、彼は出会った船の奴隷(黒人奴隷

達)を解放し、言葉、仕事を教え教育し、黒人達からも大変慕われていたようです。

 一方のカラチオーリも、熱い「民主的国家思想」に燃える若者で、支持を集めました。



 二人は「海賊行為」をしたにも関わらず、捕虜には大変丁重で、黒人奴隷達には教育を受けさせ、又船

の中でも、規律を重んじて、自堕落な行為言葉の船員に対しては、厳しく取り締まって、規律正しく、素

晴らしい環境を作っていた。



 トマス・テュー船長は二人の人物に魅せられ、テュー船長も大変良い人格を持っていたので、行動を共

にするようになります。


 彼らは、マダガスカル島に注目しました。その付近であろう?ヨハンナ島の人々とは、大変友好を深

め、婚姻を結び、やがて彼らは、マダガスカル島に新しい理想に燃えた国をつくる、決心をします。



 要するに彼らは、封建主義で腐敗したヨーロッパを捨て、新たに民主主義に則った新国家の建設を夢見

た訳です。彼らは、天然資源(宝石、金銀、鉄銅他)の豊富なマダガスカル島に着目しました。島は他に

も果物、動物自然の食料が豊富で安く、地元の住人も友好的で住みやすく、大変ヨーロッパにとって有望

な開拓地で、新しい国を建設するのに大変適当な場所だと思った訳です。



 とにかく、ミッソン船長の、当時はゴミ同然に奴隷として酷使された黒人を解放して、彼らに言葉と文

化を教えた、素晴らしい人道的態度には、驚くばかりです。このような人々を「海賊」などと呼べるでし

ょうか?

 彼らは、土地を開墾して、法律を定め、新しい国をつくる為準備をしていましたが、同じ島の中で、彼

らに反対する獰猛な住民の氾濫にあい、志半ばで、退却を余技なくさせられます。獰猛な住人は、恐らく

よそ者に土地を奪われると思ったのでしょうね。



 テュー船長も行動を共にしていましたが、同士を集いに以前の船員達を訪問してる最中に、ミッソン船

長達が攻撃を受け、同士のカラチオーリは戦死してしまいます。その上テューの船が嵐で難破して帰るに

帰られずいた所、ミッソン船長が訪れ、報告を聞きます。二人は、同士カラチオーリの戦死と国家建設が

不可能になった事を悲しみ、シッソン船長とテュー船長は、アメリカでやり直そうと旅立ちをするのです

が、不運な事に、ミッソン船長は再び嵐で遭難して船は沈没してしまいます。



 テュー船長は、運良くアメリカに渡り、植民地で静かに暮らしていました。ところが、彼も素晴らしい

人格者の有能な船長だったため、お金を使い果たした船員達の再三の「もう一度自分達と海賊をしてく

れ」という要望に、余程人が良かったのか無視出来ず、数回だけと出発した所、戦いでテュー船長も帰ら

ぬ人になってしまいました。



 この人々を、はたして「薄汚い海賊」と呼べるかどうか、甚だ疑問です。

 当時余程、仕事がないのか、軍人でも裕福な出身の人々でも、「海賊」と呼ばれる行為をしていた人達

は多いですが、中には彼らのように、絶対王政がひかれた封建的社会に反対して、新しい思想のものに、

夢と希望をもって旅立った、優秀で立派な人格の人々もいた訳で、たかが「海賊」といっても、冒険者で

あり、ある開拓者であったのではないでしょうか?



 彼らのような人達の努力の跡を継いだ人々によって、マダガスカル付近はフランス領として、先で開拓

が進みますよね。ひとくくりに「海賊」、「盗賊」と言い切ってしまえないところが、あったようです。



 あの時代に、黒人達を奴隷扱いせず、一人の人間として扱うなんて、本当に素晴らしい人達で、勇敢で

賢く、能力に富んだ人々だったようです。本当に、奴隷達を売り買いし、酷使した人たちに、爪の垢でも

飲ませたいって所です。



 何だか「海賊行為」と「立派な志」なんて、現在では平行しそうにないのですが、当時はそのような時

代背景があったのかもしれません。だって国が雇って、「海賊行為」をさせてた訳で、国の許可があれば

OK,パーソナルはダメなんて、変てこな時代ですよね。

 それで、「海賊」に裁判で反省しろって言うんだから、反省なんて出来るか?ってものじゃないです

か・・