今回の記事は過去記事(2018年8月15日)に加筆修正を加えたものを再掲載しています。単なる読書感想文であり、特定の政治的思想に偏ったものではありません。コメント欄でのクレームは一切受け付けませんのでご容赦下さい。

こんばんはS子ですにっこり
今日は73回目の終戦記念日ですね。

私は現在43歳。両親も戦後生まれで、戦争を知らない世代です。戦争に関する知識は、大正末期・昭和初期生まれであった祖父母から聞かされた話と、書籍から得たものでしかありません。

私は子どもの頃、父方の祖父母と同居していたのですが、毎年終戦記念日の夕飯はすいとん(水団)と決まっていました真顔

少しでも不満を口にしようものなら『戦中・戦後は食べたくても食べる物が無くて死んだ人間も多かったのだ。贅沢を言うんじゃない。』だとか『このすいとんには野菜がたっぷり入っている。昔はもっと具が少なくて水っぽかったのだ。それでも欲しがりません、勝つまではの精神で耐えたのだ。食べられるだけ有り難いのだから、食べ物にケチをつけるべきではない。』等と延々お説教をくらうのがオチなので、お通夜のように押し黙り、そそくさと食事をすませるのが終戦記念日のお約束でした。

これ、昭和五十年代の横浜市での話です...凝視

私達の世代(現在三十代後半から四十代)が、戦争体験者から話を聞いた最後の世代かもなのしれませんね...💧

祖父母からは本当に色々な話を聞きました。

戦時中に配給が滞り食べる物がなく、飼い犬に食べさせる餌にも困り果て、泣く泣くその犬を食べたこと。(※地方はともかく都市部は食料の大部分を配給に頼っていた為、物凄い食糧難だったとか💦)

空襲で防空壕に逃げる途中、焼夷弾が直撃して燃えている人間を何人も見たこと。

いよいよ空襲が激しくなり、東北地方のある県に疎開したこと。

東京もんは気取ってると言われ、疎開先で村八分にされたこと。

戦後のインフレーションと新円切替によって、戦前・戦中に貯蓄したお金がほぼ紙くず同然になってしまったこと。

他には、天皇陛下の事を『天皇!』と呼び捨てにした祖母の級友(尋常小学校の男子児童)がいて、不敬罪だと大問題になったという話などもありました。まぁ、これは戦前の話だと思いますが...。

そういえば祖父母はアカ(社会主義や共産主義を指す隠語・侮蔑語)という言葉にはとても神経を尖らせていました。特高に連行されるとか、そんな話をしていたことを思い出しました。

私の祖父母は、父方の祖母を除いて全員鬼籍に入りました。父方の祖母も軽い認知症が入っているため、そういった話はできない状態です。

戦争関連の書籍は過去に色々と読みましたが、その中で一番心に残った作品をご紹介したいと思います。
流れる星は生きている
藤原てい著(中公文庫)
満州・新京の観象台に勤務する夫と三人の子どもたちと一緒に、官舎に住んでいた主人公。空襲や食糧難に喘ぐ内地と違い、平和な毎日を送っていたが、昭和20年8月9日のソ連参戦の夜を境に、状況は一変。夫はソ連の捕虜となり、生死すらわからない状況。満州にいた日本人のうち、若い男性はソ連に連行されてしまい、残されたのは女・子どもと老人だけ。主人公と幼い子ども三人の、日本を目指しての過酷な逃避行が始まる。

この作品は敗戦後の満州からの引き揚げの実体験に基づいて書かれた小説です。戦後間もない1949年に発表されると同時に、大ベストセラーとなりました。小説という体裁をとっていますが、満州からの過酷な引き揚げによって健康を害した作者が、自分の子どもたちへの遺書として書いたものなんです。

1949年に映画化、1982年にテレビドラマ化されているので、ご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。

終戦時、兵士だけでなく多くの民間人が外地にいました。当時、日本は大東亜共栄圏をスローガンに、東アジアの国を植民地にしていました。満州には主人公の夫のような技師や役人のほか、開拓団として集団移住してきた農業従事者が多かったんです。

日本が戦争に負けた途端、それらの植民地は本来の国に戻り、そこに住んでいた日本人は敗戦国民になってしまいました。

戦争が終わってから”生き残りをかけた本当の戦い”が始まったのが、当時外地にいた日本人たちなんです。

異国の地で家や土地・財産を奪われ、放り出され、日本政府は敗戦後の大混乱で外地の日本人のことまで手が回らない状態。日本に帰りたくても、帰るすべさえ失った時の心細さは筆舌に尽くし難いものがあると思います。

しかも、植民地時代に日本も多少は強引なことをしてきたわけで...元々その土地に住んでいた人間からは、あまり良く思われていません。

暴行や略奪など、本当に酷い目に遭う日本人も少なくなかったそうです。

こういったある意味”四面楚歌”の状況の中、日本人で疎開団を結成し、帰国を目指すのですが、上手くいきません。

極限状態の中で、日本人同士で裏切りや足の引っ張り合い、児童虐待など、弱い者が更に弱い者を叩くような状況に陥り、疎開団は事実上解散してしまいます。

主人公はこのような状況の中、六歳の長男と三歳の次男、まだ生後数カ月の長女を絶対に死なせないと決意。日本を目指し、地獄の三十八度線超えをするのですが...。

女性の真の強さと美しさ、母の愛とはどういうものなのか。

極限状態において、人はどのように生きるべきなのか。

...色々と考えさせられる作品です。

作者の藤原ていさんは、読売新聞の人生相談の回答者を13年間務めたことでも知られていますが、孤高の人八甲田山死の彷徨などの作品で有名な作家・新田次郎さんの奥様でもあります。

私はこの藤原ていさんの一本筋の通ったブレない文章が好きで、図書館で読み漁りました。古い作品(絶版本)は閉架図書になっていましたが...💦

この流れる星は生きている旅路などはAmazonで入手可能です。

興味がありましたら、是非一度読んでみてください。

それでは今夜はこのへんで大あくび
おやすみなさいふとん1ふとん2ふとん3