こんばんは、S子ですにっこり

新型RAIZE HYBRID Zの納車を月末に控え、先週土曜日(3月12日)に現在乗っているSUZUKIの軽乗用車で息子と二人で最後のドライブに行ってきました車DASH!

行き先は栃木県足利市です。栃木県足利市は栃木県南西部にある市で、古くは足利庄が栄えて清和源氏義家流・足利氏発祥の地としても知られています。フランシスコ・ザビエルが坂東の大学と呼び、ルイス・フロイス が日本全国で唯一の大学と記した足利学校があることでも知られています。

足利学校と鑁阿寺(ばんなじ)周辺を散策したのですが、足利市は私が想像していた以上に素敵な場所でしたので、記事にまとめてみましたニコニコ

今回も長いので記事を2回(足利学校編・鑁阿寺編)に分けてUPします💦
足利学校近くの太平記館(足利市観光協会)の駐車場に車を停めました。太平記館には土産処、休憩所、観光案内所、トイレ等があるのですが、朝9時50分の時点で何故か長蛇の列が出来ていました。
國廣再臨
刀剣男士 山姥切国広
足利市では足利市制100周年を記念して、刀剣乱舞-ONLINE-とのコラボレーションを行っており、太平記館でコラボレーション記念グッズや足利市の名産品とコラボレーションした限定グッズを販売していたようで、これを購入するために大勢の方が並んでいたようです。そういわれてみると、並んでいた方は10代~60代の腐女子女性ばかりでしたニコニコ類は友を呼ぶのね♥️

息子と二人で歩道橋を渡り、道順を示す矢印に従って歩くこと約2分。
史跡 足利學校
入徳門
日本最古の学校である史跡 足利学校に到着しました。受付で参観料420円(中学生以下無料)を支払い、中へと進みます。
受付でパンフレットと足利学校 入学証、足利学校卒業記念品の鉛筆をいただきました。
鉛筆には足利学校卒業記念と書いてあります。
入学すると同時に卒業するとは、面白い(笑)
孔子立像と正一位霊験稲荷社
足利学校では孔子の教えに基づく儒学を中心に学んでいた為、孔子立像が建てられたのでしょう。その隣の正一位霊験稲荷社には学業成就・志望校合格等の願いが書かれた絵馬が多く奉納されていました。
梅の花が満開で、良い香りが漂っていましたニコニコ
学校門
日本で唯一の「学校」の額がかけられた門です。寛文八年(1668年)に建てられ、足利学校のシンボルとして受け継がれてきました。
扁額「學校」は明の書家 蒋竜渓の書を江戸国史館助教授の狛高庸が縮小したものです。
杏壇門
孔子廟の門がこの杏壇門です。学校門と同じく寛文八年(1668年)創建ですが、明治25年(1892年)に学校西方の火災により屋根、門扉が焼け、その後明治33年に再建したものです。柱等に、この時の焼けた跡が残っています。扁額「杏壇」は紀伊徳川家第10代藩主大納言徳川治宝の書です。

「杏壇」は孔子が弟子たちを教えた場所に杏の木が植えられていたことに由来しているのだとか。もしかしたら学校の教壇も、この杏壇に由良しているのかも知れませんねにっこり
大成殿(孔子廟)
聖廟とも呼ばれ、孔子を祀ってある廟です。建物の名称は「大成殿」で、寛文8年(1668年)足利学校第13世庠主伝英元教の時に造営されたもの。「大成殿」の様式は中国明代の聖廟を模したものと伝えられています。
孔子坐像がまつられているそうですが、入り口からは遠くて中が暗かった為、あまりよく見えませんでした無気力
杏壇門入って右側に月桂樹が植えられていましした。この月桂樹はなんと...
海軍大将 東郷平八郎が日露戦争の勝利を祝って植樹した手植えの月桂樹なんですってニコニコ💦

ちなみに足利学校には、元帥海軍大将 伊東祐享・海軍中将 上村比彦之丞が手植えした月桂樹もありました。明治期の日本海軍史に名を残す提督三人が植えた月桂樹が現在まで残っているなんて、足利学校スゴすぎます爆笑S子カンゲキ★
南庭園
巨石と老松が特徴的な、書院庭園の形態を持つ築山泉水庭園です。手前の砂利道は枯山水のように美しく整えられていました。
庫裡(くり)
庫裡は竃のある土間、板敷の台所、畳敷きの四部屋へと続き、その奥には湯殿などがありました。ここは庠主(学校長)や学生の日常生活の場として使われていました。
宥坐之器
これは宥坐之器(ゆうざのき)といい、吊るされた器が空の時は傾き、水をほどほどに入れると水平に近い状態に起きてきますが、一杯に入れるとひっくり返って水がこぼれ落ちる仕掛けになっています。

この宥坐之器は孔子は最高の徳であるとして説いた中庸を表しているとされています。『論語』で有名な孔子は弟子達に「満ちて覆らないものはない」と教えました。

ここからは庫裡(くり)の中を通って方丈まで移動します。
お風呂として使えそうな大釜です。私1人なら余裕で入れそう♥️
竈がいくつも並んでいます。共同生活をおくる上で、欠かせないものだったのでしょうね。
明治17年(1884年)頃から量産され始めた国産の腕用ポンプ(通称 ガッチャンポンプ)です。龍吐水(消火に用いる手押しポンプで江戸時代から使用されていた)が進化した物で、人力によりシリンダー内に入った水を圧縮して押し出すタイプのもの。足利学校と記されていることから、明治6年に開校した足利郡足利町足利学校(後の東小学校)で使用されていた消火ポンプだと考えられているそうです。
↓消防関係の過去記事はこちらをご参照ください↓


なお、鳥飼の休日 in 消防博物館(後編)はアメンバー限定記事となっております。現在、旧ブログ(鳥飼の自由研究室)はS子の日記兼備忘録となっている為、アメンバー募集は停止しております。
上杉憲実像
足利学校の創建年代については諸説あり、長らく論争となっています。室町時代の前期には衰退していましたが、永享4年(1432年)に上杉憲実が足利の領主になって自ら足利学校の再興に尽力し、鎌倉円覚寺の僧快元を能化に招いたり、蔵書を寄贈したりして学校を盛り上げました。その成果あって北は奥羽、南は琉球にいたる全国から来学徒があったそうです。

上杉憲実は文安4年(1447年)に足利荘及び足利学校に対して学規三条(※)の規定を定めました。

※学規三条とは校則のようなもので「足利学校で学ぶべき学問の内容や規則を守らない学生の在校を許さない」「就学に不熱心な学生の在学を許さない」「学生は入学際して僧侶の身分となる」と定められています。

この中で足利学校で教えるべき学問は三註・四書・六経・列子・荘子・史記・文選のみと限定し、仏教の経典の事は叢林や寺院で学ぶべきであると述べており、教員は禅僧などの僧侶であったものの、教育内容から仏教色を排したところに特徴があります。そのため教育の中心は儒学でしたが、快元が『易経』のみならず実際の易学(占い)にも精通していたことから、易学を学ぶために足利学校を訪れる者が多く、また兵学、医学なども教えていました。
戦国時代には、足利学校の出身者が易学等の実践的な学問を身に付け、戦国武将に仕えるということもあったそうです。学費は無料で、学生は入学すると同時に僧籍に入りました。構内には自分たちが食べるための菜園の他、薬草園も作られていたそうです。
脇玄関には、孔子や孟子といった儒学者の像が並べられていました。正直言って、私には見分けがつきません真顔全部同じに見えます...
仏殿
2本の来迎柱の前に黒と朱の本漆塗りの須弥壇(しゅみだん)があり、高欄(こうらん)にはわらび手がついています。須弥壇の両側にはふき漆で仕上げられた脇仏壇があります。
仏殿の間に刀剣乱舞のパネルが置かれていました。刀剣女子が並んで写真を撮っていましたので、ミーハーな私も並んでパチリニコニコカメラ
石祠
これは弁財天を祀った祠で、昭和57年(1982年)から行われた足利学校の発掘調査の際に北庭園で発見されたものなのだそうですよ。弁財天は七福神として知られていますが、元々はインドの神・サラスヴァティでした。それが仏教に入り、楽才・知恵・弁財・福徳宝財等を与え、厄災を除き、勝利に導くものとされました。
茅葺き屋根はほとんど見なくなりました。
北庭園
外廊下から北庭園が見えます。左側の建物は大成殿(孔子廟)を裏側からみたもの。前から見るのと後ろから見るのとでは、また雰囲気が変わりますね。

庫裡方丈の中を一通り見学しましたので、外に出ます。
衆寮
衆寮は僧房又は学生寮です。学生が寄宿し、または遠くから通う学生が写本をするために泊まったと考えられています。内部は六畳の間に一間の土間がついて一部屋になっており、それが四部屋続く長屋となっています。
木小屋と土蔵
木小屋は物置で、主に煮炊きをするための木や食糧などを格納していた建物です。
土蔵は大切なものを格納する堅牢な耐火建築として建てられました。
庠主の墓
足利学校の校長のことを庠主いいます。室町時代、関東管領上杉憲実は鎌倉円覚寺から僧快元を招いて初代の庠主とし、足利学校の経営にあたらせました。以後、明治元年までの430年間に23代の庠主が在任しました。孔子廟の裏手には、このうち17人の歴代庠主の墓があります。
多くは無縫塔で、庠主の名前がわかるのは8基あり文字が判読されていますが、残りの9基は不明なのだそうです。
古井戸
竹林の中に古い井戸がありました。こういうところにも歴史を感じます。
旧足利学校遺跡図書館
足利学校伝来の書籍の保存を目的として明治36年(1903年)3月に足利学校遺蹟図書館が発足し、大正4年(1915年)に現在の建物が完成し開館しました。大正モダンっぽい洋館で、内部は撮影禁止となっている為、画像はありません。

足利学校伝来の古典籍と足利ゆかりの郷土資料及び一般の参考図書のみを所蔵しており、公共図書館というよりは専門図書館に近い施設です。蔵書冊数は約3万2000冊。

今回は刀剣乱舞とのコラボ企画で、日本刀が何本か展示されていました。どれも切れ味は良さそうでしたよ。沖田総司の日本刀を作ったという刀鍛冶の作品も展示されていました。

鳥飼の休日~栃木県足利市~ 足利学校編は以上です。次回の鳥飼の休日は鑁阿寺編(鑁阿寺と大門通散策)になります。

お楽しみに♥️